極単(ごくたん)2 2018年05月23日 | 禅 百合の皮がまだむけていないのに、皮が無いと思っている人が多いものです。 「悟り」というものがあれば、それだけ「単」ではありません。 いわゆる「悟りという迷い」です。 所詮何物も脱し、何事も落としてこそ、「洒洒落落(しゃしゃらくらく)」の 大自在底が初めて得られるのです。 « 極単(ごくたん)1 | トップ | 極単(ごくたん)3 »
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