「天」あり、「地」あり、「人」ありです。
「人」に男女、貴賤、苦楽、昇沈があるのです。
即ちこれは、「四大の家の因縁生」によって生じる真理で、
その間「自我の実体」はあることなしなのです。
それ故に相融和して、共存共栄を許さなければならない
道理なのです。
元来一体の上の分かれだからです。
どうしても相衝突し、反目することを許さないのです。
経に曰く、「一切は男子は皆我が父、一切の母は皆我が母、
六道(りくどう)の衆生は皆我が父母、一切の地水は是れ
我が先身、一切の火風は是れ我が本体なるが故に」。
つまり、本体の一つなることを知らずして「差別(しゃべつ)」の
「隔歴(かくりゃく)」に迷って融和すべき「霊力(れいりき)」を
物質的に衝突させてしまう結果を生ずるのです。
即ちこれが「見濁」です。