迷悟の論量を透過す1 2017年08月09日 | 法理 元来、此の物は悟ろうが迷おうがそういうことには関係なく (人の論量には関係なく)きちんとしているのです。 此の物は迷悟の論量を透過しているのです。 迷っている凡夫が聞くのも、聖人、覚者が聞かれるのも、 なんにも変りはないのです。 同じことです。 それが同じでなかったならば、役に立ちません。 ですから、今までの人間(にんげん)の見解(けんげ) というものを一度捨てる必要があるのです。 それを「万事(ばんじ)を休息する」といいます。 « 仕事三昧2 | トップ | 迷悟の論量を透過す2 »
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