「六根作(な)すこと無し」というお言葉がありますが、
六根のまんま、唯、開放しておけばよいのです。
それを、自分の見解をもって六根を使うと違って来るのです。
公私の分かれる処です。
鼻は鼻にまかせておけばよいのです。
よい香りがしようが、悪い香りがしようが、そういうことに
関係はないのです。
どちらも皆自分の法身(ほっしん)の消息です。
六根共に一つ一つあげてみればその通りなのです。
「六塵、六境」と名付けられているものが直ちに「六根の真相」
を最も明確に現わしているのです。