それだと、どれだけ坐っても「意識(考え)の中でただ」
になっているだけになります。
別の言葉で言えば、静かになって落ち着いているという
ことになってしまいます。
それはあくまで「意識(考え)の中」でのことですから、
どんなにいい状態があったとしても意識(考え)の範疇
にあるということを、自分でよくそういう「病」という
ものに気が付かないといけないのです。
ですから、「身心を挙げてものを見る」というように
務めていきさえすれば「自然(じねん)」に「ものと
一体と成っている状態」というものを自分で自覚される
時節があるのです。
そういう坐禅を徹底して頂きたいと思います。