「不戯論(ふけろん)」とは戯論せず、というものです。
人間(にんげん)は四角張って、あまり窮屈になるのも
堪えられないものです。
時として軽く面白い冗談くらいはたまにはよいと思いますが、
心の乱れぬように心を修めて置かなければなりません。
「戯論」について古人が言っています。
須らく知るべし、一切の教門は方便にあらざるはなし、若し
執争を起こせば通じて「戯論」に帰す と。
「執争」とは、執着して争いを起こすということです。
それは通じて「戯論」というものであると、それは次曰く、
己を是として他を非とす 其の浮詞(ふし)異論は皆、
「戯論」に同じ、故に是を「戯論」という と。
「是(これ)」とは総じて仏教を聴いたり見たりするに、
就いては、根本から見ないと間違うという戒めです。