たとえば、鼻なら鼻というものは、私たち衆生が臭いものは嗅ぎたくない、
良い香りだけ嗅ぎたいと思っても、どうすることも出来ません。
人間(にんげん)が考えているような枠へ鼻ははまらないのです。
目でも同じです。
好きでも嫌いでも、そんなことに関係なく、目は皆見えるようになっています。
口だって同じです。
好きでも、嫌いでも、口に入れば必ずその味はするものです。
そのように、「鼻も目も口も」 “公(おおやけ)” に出来ているのです。
「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)」 は、全部全身上げてそうなのです。
始めから、“公” に出来ているのです。
「それ自体(六根)」 に自分が教えられれば、自分の今までの考え方と、
道具としての本来のあり方とは違うんだという事が分かると思います。
そうすると、今度は 「公私混同」 することなく、六根の使い方が分かるのです。