私たち衆生の出生を見ても「無目的」に生れて来て居ります。
「不知不識生(ふちふしきしょう)」にです。
何の意味付けも意義付けも無く、そうして話をし、坐り、食べ、笑ったり泣いたりしています。
完全に「そのことがそのことで消滅しながら生活(活動)」しているのです。
過去も現在も未来もそうです。
ですから、いってみればその時その事が結果として、それ以外如何する事も出来ないこととして行なわれているということです。
ですから、遠くの方に遠くの未来とかということに目的を持ったり、意味付け意義付けしたりすることはあってはならないことなのです。