おシャカ様の教えでは「物心が付く時点」が迷いの元なのです。
しかし人類のすべてがこの「物心が付く時点以前」には人間的な日常生活というものは有り得なかったのです。
それではいったい「物心」は何処で付いたのでしょうか。
赤ん坊にはその自覚は無いはずです。
不自覚なまま人間として成長して、「不自覚な人間」ばかりが形成されていったのです。
おシャカ様以前には「人間の心」に対して、どういう風に何処から何のように手を付けたらいいのか、誰も手の付け所を知(識)らなかったのです。
人類有史以来そのような状態でしたが、おシャカ様が「迷いの元」をあきらかにされたのです。
この「物心が付いた時点」で「初めて認識(初一念)」が起き、その時点で「自分が認識したと認めてしまったのが(思い込んでしまったのが)「迷いの元」なのです。