活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

因縁の法を考える1

2017年02月25日 | 法理

「因縁」というのは、凡てのものは寄り集まって唯

組み立てられただけのことなのです。

 

別の言葉で言えば、あらゆる条件が唯重なり合って

凡てが出来上がっているだけのことなのです。

 

ですから、その中に永続的な「私(わたし)が」という

固定的な変わらないものだというようなものは、一つも

存在しないのです。

しかし、このことだけが「不変」なのです。


ですから、私たち衆生がどういう世界へ入って行っても

その約束(規則)の世界からいえば、「無条件」であり、

「無条件同士」の組み立てられたものですから、元来

約束(規則)のないものなのです。

 

約束(規則)がないものですから、「自由」であるという

ことです。

 

しかし、ここで「自由」であるということに「問題」が

あるのです。

 

それはどういうことかというと、「自由」であるというと

先ず大半の人がそれでは何をしてもよいではないか、

勝手放題のことをしても差し支えないものじゃないか

ということをまず先に考えるものです。

 

これが「我見」であり、おシャカ様も昔は有ったのです。


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