活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

新三法印6

2019年11月03日 | 法理

道元禅師は「正法眼蔵」の中で「恁麼時(いんもじ)而今(にこん)は吾も

不知(ふち)なり、誰(たれ)も不識(ふしき)なり、汝も不期(ふご)なり、

仏眼(ぶつげん) も覰不見(しょふけん)なり、人慮(にんりょ)あに測度(しきたく)

せんや」とお示しになっておられます。

 

意訳すれば「絶対的な真実の瞬間は我も知らず、誰も識らないのである 

汝も予期せず、仏の眼でも見ることが出来ない。

まして人間(にんげん)の考えで、どうして推測することが出来るであろうか」

ということです。

 

なんと「不知不識生」に対する親切な解釈ではないでしょうか。

 

「不知不識生」とは「知らず識らずに生ずるなり」ということなのです。


「因縁生」も「知らず識らずに因縁より生ずるなり」ということです。

 

 


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