思いにも、自分で起こしている思いと、必然的に湧き起ってくる思いとがあるのです。
そこのところは分けにくいので、ひとまず思いをそのまんまにしておく必要性があるのです。
自分で思ったものでないものは何ともないはずです。
厳密に自分を看てみると、苦悩や心配の種になるのは、自分で思ったものだけです。
自分の中で思っていた事を看てみると、それを自分で取り上げてから苦しむのです。
自分で取り上げるまでは、その事が思いであっても、何も苦しんでいないのです。
例えば、“こうしたら相手がどう思うだろうか” という事も、それは自分の思いだけであり、
相手はまだ何もやっているわけではないはずです。
ですから、それは全く自分の動きだけなのです。
相手がやっているように見えたり、聞こえたりしていますが、全部自分の動きなのです。
苦悩や心配している時を看ると、必ず自分で思いをつかまえて、行っている時です。
それ以外の時は苦悩や心配はしていないのです。