活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

十界の分かれ

2017年05月25日 | 仏教

元来、「我」というものは無いものではありますが、

どうしても「修行が要る」のです。

 

それが所謂「十界(じっかい)の分かれ」です。

ここに「修行の必要がある」のです。

 

「十界」は自分の標本である自分が分かれて「仏」とも「地獄」

ともなっているのです。

 

たとえ「地獄」に入っても即ちそれが「仏の生涯」です。

「提婆(だいば)の悪も観音の慈悲」なのです。

 

提婆がおシャカ様を殺そうとして「無間地獄(むげんじごく)」に

入りますが、それを「阿難」が見舞いに行きました。

 

「兄さん、出たらどうか」と言うと、提婆は

「出られない、地獄の者が地獄にあるのは、今の懲役人が懲役に

居るのと同じものである。それだけのものだ。

貴様はものを知らぬ奴だ、それならばおシャカ様を呼んで来い」

と言ったのです。

 

仏様が地獄に来るものではありません。

仏様は仏様の居所に居るのです。

 

提婆は、「因果」を自分で引き受けてやってみせているのです。

「提婆の悪も観音の慈悲」

「周利槃特(しゅりはんどく)も文殊の智慧」

なのです。

 

地獄の者が、地獄の中にあって、心動かざる処は「成仏」です。

 


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