死ぬ前に「三つの愛着」が起きると仏教の論書のなかに
説かれています。
誰一人として、この考えから離れられないというのです。
その第一番目に「惜愛(せきあい)」というのが出て来ると
いわれています。
病床にありながらまだ「自分自身」というものを考える余裕が
あるということで、いわゆる自分以外の周囲のものに対して
「愛着」を起こす「愛」です。
財産とか名誉とかそういうものを惜しむ愛を「惜愛」と言っています。
ところが体がだんだん衰弱してくると、もうそういうものを必要と
しない次の執着が出て来ます。
それが第二番目の「自体愛(じたいあい)」というものです。
何とかして自分の体だけを保っていけばそれでいいという考えです。
「お金はいくらでも出すから、おれの命を助けてくれ」と医者にせがむ
執着です。
第三番目が「当生愛(とうしょうあい)」です。
これから死んだら先はどうなるか、それが分からなくて心配になって
くるのです。
地獄・極楽といっても、平生に信仰がないから分からないのです。
全くお先真っ暗なのです。
それが「当生愛」という愛着です。
これはひとつの執着なのです。