此の物5 2023年10月29日 | 法理 人間(此の物)というものはそういう働きだけのものなのです。 従って「肉体と精神」をどれだけ鍛えても(修練、訓練しても)実体は有(在)りませんから、「ただそういう事をしている」という事にすぎないのです。 「自らが法(道)その物であったという事」に目醒めることが「自己の正体を見極める」ということなのです。 全ての覚者は「六根の縁」に因って自己の正体を見極めているのです。 « 此の物4 | トップ | 此の物6 »
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