活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

なければならないものが在る4

2023年06月09日 | 法理

私たち衆生は日常生活が全て「言葉(解釈、理解)」で解決されているかの如くに錯覚を起こしています。

 

そのために「法に目醒める道」という存在がある事を分からないまま過ごしているのが実情なのです。

 

別の言葉で言えば「本来の自分とは何か」という事を知(識)る必要もなく考える事も無く、或いは知(識)らなくても生きていられるという事で自分の一生を送り続けているのです。

 

「法」に目醒めれば迷い、不安、不自由であったという事があるはずも無いという事がはっきり「自覚」することができます。

 

これを「此事(このじ)」といいます。

それを「救い」といいます。

 

要は、自分で自分を救う事です。

 

それを仏教では「安心(仏教では”あんじん”と読みます)が得られた」というのです。