「水清うして地に徹す」とは、一点の汚染も無く清中の清ということです。
「魚 行いて魚に似たり」とは、魚の実体なくしてものに衝突することもなく、魚の自己を見ない自在の境界を指したのです。
身心脱落の境界です。
六根が六塵に奪われない境界です。
ですから、「人 行いて人に似たり」ということも出来ます。
人という実体が無いから生まれると死ぬ、死ぬと思うと生まれるのです。
かくして「無始無終」です。
何と自在なものではないでしょうか。
「似たりというのは「無自性空」に当てはめることが出来ます。