どのような宗教集団であっても「自分意識の人間(にんげん)」が関わっている限り、その教義や活動に多かれ少なかれ問題が生じてしまいます。
私たち衆生は人間(にんげん)としてのおシャカ様という「人格(個性)」を考えてはいけないし、又そのような「人格(個性)」も想像してはいけないのです。
何故ならば、こうした考えが「法(真理)」を識るうえで私たち衆生の目を覆うからです。
誰かに追随することは易しいです。
その人物が大きければ大きいほど、追随するのは容易となります。
しかし、それは「本人の解脱」にとっては妨げとなります。
何故なら、「追随する者(その人物)」は、決して「解脱」するものではあり得ないからです。
「追随と随身の識別」ははっきりしなければなりません。