活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

気付きと悟り3

2022年09月07日 | その他

後から無門という和尚さんが次のような寸評を加えています。

 

「余りにも趙州の答えが親切すぎて、そのまますぎて、かえって新米の和尚の所得(悟り)に至るのを遅くするのではないか」と。

 

禅門では気付くことを「省(しょう)あり」と呼んでいます。

 

「省あり」とは「大悟(だいご)」に至る前の段階の事であり「途中のもの」です。

 

それが落とさなければならない処なのです。

 

もう一つ落とさなければ悟り(大悟)には至らないのです。

 

「明眼の師」がいなければ落とせない処なのです。

 

私がブログを開設してから使用してきた「悟り」とは「大悟」の事です。