「此の物」は聞けば聞いたきり、見れば見たきり、思えば思うだけなのです。
別にどうということはありません。
邪魔にするものはありません。
何が何処に止まっているのでしょうか。
実は何も後に残るものはないのです。
堂々たる「法身(ほっしん)」の様子です。
「此の物」は清水のように透き通っていて表と裏と内も外もないのです。
何にも無い処から、いつでも何でも出て来るのです。
何にも無い処から出て来ながら何にも残っていないのです。
そして然も自由自在、縦横無尽です。
その活動を「自照霊然(じしょう れいねん)たり」というのです。
「霊」という特殊なものがあるのではないのです。
そういう微妙な活動をするものを賛嘆して「霊」という名目を付けただけです。