活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

公案功夫

2017年04月15日 | 坐禅

公案功夫というのは、頭のてっぺんから足の先に至るまで

体中が公案に成るということです。

 

公案だけに成って何も寄りつくことが出来ない、それが公案の

解決です。

 

公案がなくなるとき、自分も一緒になくなります。

相対的な考えの一方が無くなるのですから、一つだけが残るはずが

ありません。

 

そのことを「身心脱落 脱落身心」といっています。

要するに、功夫の力を借りて自己を忘じることです。

 

坐の目標は、公案を看ることではありません。

自己を忘じることです。

 

公案というのは、私たち衆生の意識を起こしやすいように

仕立ててあるのです。

 

意識を起こしやすいようにして、本当に意識が起きなくなる

まで奪っていく、それが公案の要所です。

 

分かろう、分かろうとするようなことをもって、公案を看るのは

よくありません。

 

本当に体中が公案に成ってしまうようであるなら、公案が生きてきます。

自分が納得いったところで公案を看る、ということにして頂きたい

と思います。