たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

裁判傍聴記4

2013年03月10日 | その他

この事件は猟奇事件で被告人はネクロフィリア(屍体性愛者)だったのではないかとのネット記事も散見されます。
愛知事件では鉄パイプで何度も殴って死因は絞殺、腹部などにいくつか傷がある、それを写真に撮っていた。下呂事件も何度も一部白骨化した遺体を写真に撮っているからです。
この鉄パイプは裁判所が没収すると主文で述べました。

前回傍聴でも陪席裁判官から「ムービーカメラで撮った画像を消去しても、後で再現できるという認識はなかったのか」と問われて、「そういう認識もないことはなかった」と供述していました。下呂事件で逮捕されて、そのデジカメを処分もせず持っていて、愛知事件の解決の糸口になるなど、異常性が多いと感じました。

判決理由で、下呂事件の現場は濁河温泉へ向かって右カーブ、道路下は45度~60度の急傾斜で、走る車に乗った車内から目に入ったという供述には合理性がない。毎日この道を通った郵便配達人も気づかなかった。除雪車の運転手も気づかなかった。匿名の警察への通報で27人の警察官が3~5日付近を探したが発見できなかった。道路にメモがおいてあって通りかかった女性がはじめて発見した。とそれぞれ証言者の名をあげ、何度も供述に合理性がないと判決理由を説明されました。
下呂事件は物的証拠が少なく、遺体遺棄現場の状況証拠の積み重ねの判決だったように思えました。
裁判員も最後の審理で愛知事件の遺体写真を見せられた女性裁判員が倒れて、審理が中止されるなど大変だったようだ。
判決理由の説明が終わり被告人に退席が許され、閉廷が宣言されました。弁護人も検事も発言は許されません。被告人が弁護人席へ戻り、また手錠と腰縄をかけられ退廷していきました。裁判官も退廷され、法廷は言いようのないやりきれなさが漂ったように感じました。
4時半から裁判員の記者会見があるとプレスは話し合っていて20人ほど廊下に残っていました。
人間という生き物の不可解さ、罪を犯した人、悲惨な被害者、それぞれの家族の悲哀、・・・。極刑の裁判を傍聴し、すこしショックもあり帰宅して、

聖書マタイによる福音書  (汝、人を裁くなかれ、汝が裁かれんがためなり)
第7章1節 人をさばくな。自分がさばかれないためである。
第7章2節 あなたがさばくそのさばきで。自分もさばかれ、あなたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。
第7章3節 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁(はり)を認めないのか。
を、読みました。翌日は図書館へ行き新聞を読み比べしようとしましたがみな閲覧中で、閉架図書になっていて倉庫入りしている本で、前に読んだことがある、遠藤周作「聖書の中の女性たち」を借りてきました。