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日本文化のユニークさ28:縄文人は稲作を選んだ

2011年08月03日 | 現代に生きる縄文
さらに『日本人はなぜ震災にへこたれないのか (PHP新書)』(2011年7月出版)を参考にしながら、日本文化のユニークさを考えていきたい。今回も、

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(4)宗教などのイデオロギーによる社会と文化の一元的な支配がほとんどなかった。

にかかわるところに触れる。

縄文時代から弥生時代への移り変わりは、大量の渡来人が一気に押し寄せてきて、日本列島を席巻してしまったわけではなかった。日本文化のユニークさ5項目のうちの(3)の前半「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族による侵略、強奪、虐殺な体験をもたず、また自文化が抹殺されることもたなかった」という事実は、縄文時代から弥生時代という日本という国の創成期にも当てはまるのである。

そのあたりの事情を、上の本にしたがって少し詳しくみよう。縄文人がかなり早い段階でかんたんな農耕を始めていたことは、三内丸山遺跡などの発掘で明らかになりつつある。もちろん狩猟採集も行われ、これが生活の重要な位置を占めていた。弥生人により九州北部で本格的な稲作が始まり、それが東進してくると、縄文人はそれを跳ね返そうと呪術を用いた。それが土偶だという。弥生文化と縄文文化が接するところで土偶が盛んに用いられたのはそのためだ、と著者はいう。

主に狩猟採集を生活の糧にしていた縄文人は、必要以上に獲物を乱獲すれば、やがてつけは自分たちに回ってくることを知っていた。狩猟採集民は、長い経験からそういう知恵を持っていたのである。大自然に畏敬の念をもち、土地を安易に傷つけることもなかった。そのため、土地を貪欲に開墾し、奪い合い、増殖していく稲作民の行動に、本能的に拒絶感をもつ縄文人がいたのではないか。

ただし稲作文化をかたくなに拒んだ縄文人もいたが、稲作を積極的に受け入れた縄文人もいたようだ。最近の考古学は、そのような縄文人がかなりいたことを明らかにしつつある。たとえば、九州の菜畑遺跡や板付遺跡など初期の水稲農耕の遺跡から、縄文系の土器が出土し、石器も縄文系のものが多いという。このように稲作民の中に縄文人が混じっている事例は多い。したがって単純に「弥生人=渡来人」なのではなく、「弥生人=稲作を選択した縄文人+弥生人」ととらえる方が実態に近いというのが著者の主張だ。

現代人に占める縄文系と渡来系の血の配分は、1対2ないしは1対3だとされ、大量の渡来人が流入してきたと信じられてきた。しかし、渡来人が北九州に稲作を根づかせ、少なからぬ縄文人も稲作を受け入れ、渡来人と混じり合っていったとすれば、どうか。狩猟採集民は自然環境とのバランスの中に生きざるを得ないので基本的に人口は増加しないが、稲作民の人口増加率はかなり高い。それが渡来系の血を圧倒的に多くしていった。しかし文化的には、縄文系の風俗、習慣、信仰心などに溶け込んでいったので、縄文文化は抹殺されず、むしろ生き生きと後の時代に受け継がれていくことになったのである。つまり、日本の歴史はその原初から、従来の文化を基盤としつつそこに新しい文化を取り入れ、自分たちに適した形に変えていくという、その後何度も繰り返えされる歴史の原型を作っていたのである。

さらに上の(4)に関連しては次のようなことがいえる。日本列島は、国土の大半が山林地帯だ。水田稲作の長い歴史があるが、その特徴は狭小な平野や山間の盆地などでほぼ村人たちの独力で、つまり国家の力に頼らずに、灌漑設備や溜池などを整備してきたことだ。

一方中国大陸では、広大な平野部で大規模なかんがい工事を推し進める必要から、無数の村落をたばね無数の労働力を結集させる力が国家に要求された。巨大な専制権力が必要だったのだ。それを可能にするのに政治的、文化的な統治イデオロギーも必要だった。そのイデオロギーをやがては儒教が担うことになる。こうしてしだいに農耕文明以前の精神性(日本でいえば縄文的・多神教的な精神性)が失われていった。

逆に、日本列島のように農耕に適した土地がみな小規模だと、強大な権力による一元支配は必要なかった。島国であるため外敵の侵入を心配する必要もなかったから、軍事的にも大陸に比べ小規模でよかった。そのため日本では、強固な統治イデオロギーによる支配も必要とせず、縄文時代以来のアニミズム的な精神性が消え去ることなく残った。 (呉善花『日本の曖昧力 (PHP新書)』)


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『「かわいい」論』、かわいいと平和の関係(3)

《関連図書》
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)


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1 コメント

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Unknown (T.K)
2011-08-03 22:59:10
人間と家畜や野生生物との関わりを動植物学の観点から検証する動物考古学という学問があります。
これまで人類学の観点からの検証では倭人伝の記述などを根拠にイノシシの骨とされてきた縄文弥生時代の貝塚などから発掘された獣骨が、動物考古学による再検証で中国南部から東南アジアにかけての地域で家畜化されたアジアブタの骨であったことが確定しています。
また、短尾のネコは東南アジア原産で長尾のネコは大陸原産、鍵尾のネコは短尾と長尾の交配によって生じること、短尾のネコは九州沖縄に多かったことや長尾のネコは日本海側に多かったことも判明し、古代の交易関係の見直しも始っています。
今までの学校で習った歴史観も考え直す時期かもしれませんね。