クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

日本文化のユニークさ34:縄文の蛇信仰(3)

2011年08月18日 | 現代に生きる縄文
◆安田善憲『森のこころと文明 (NHKライブラリー)

今回が、この本を参考にしながら日本文化のユニークさを考える最後になると思う。

紀元前1500年ごろから、シリア北西部のラタキアのウガリットで天候神バールの信仰が盛んになったという。バール神は太陽の力をもち、嵐と雨の神、豊穣と多産の神でもあった。この天候神バールが、大地の女神のシンボルである蛇を殺す。シリアのある博物館には、ユーフラテス河畔で出土したバール神の彫刻がある。その彫刻は口ひげをはやした男神で、右手に斧を振り上げて、左手に握った蛇を殺そうとしている。

バール神は、もともとセム系の人々の神であったが、のちにフェニキア人やヘブライ人にも受け継がれた。とくにヘブライ人(ユダヤ人)は、一部の人々の中にあったバール神への信仰という迷いを断ち切ったからこそ、ヤハウェのみを神とする一神教を確立するに至る。ヤハウェとバールはヘブライ人の中で対立したが、ともに天候神の性格をもっていた。どちらも、これまでの蛇をシンボルとしする大地の豊穣の神とは対決する性格をもっていたのである。しかも大地の豊穣の神々が、主として女神としての性格をもっていたのに対し、バール神は明らかに男神として出現した。

日本の稲作技術は、気候の寒冷化をきっかけとして大陸からやってきた環境難民によって最初にもたらされたという。その後、弥生時代以降は、大陸から大量の人々が渡来した。こうして新たにやってきた人々は、蛇殺しの信仰をもっていた。こうした神話は、稲作と鉄器文化が結びついて伝播した可能性が高いというのが著者の推論だ。

その蛇殺しの神話を代表するのがヤマタノオロチの伝説だ。スサノオノ命が、オロチに酒を飲ませ、酔って寝込んだすきに、剣を抜いて一気にオロチの八つの首を切り落とす。この物語は、バール神が海竜ヤムを退治した物語によく似ているという。さらにスサノオノ命は荒れ狂う暴風の神であり、この点でもバール神を思い起こさせる。

バール神の蛇殺しもスサノオノ命の蛇殺しも、ともに新たな武器であった鉄器の登場を物語っている。バール神がシリアで大発展した紀元前1200年頃は、鉄器の使用が広く普及した時代でもある。日本の弥生時代も鉄器が使用されはじめた頃だ。こうしてみると、蛇を殺す神々の登場の背景には、鉄器文化の誕生と拡散とが深く関わっており、殺される大蛇たちは、それ以前の文化のシンボルだったのだと著者はいう。

しかし、日本に関してはスサノオノ命が大蛇を退治したから、それ以前の文化を葬り去った新時代の神とは単純にはいえない。これまで見てきたように、日本では蛇信仰は形を変えつつも生き残った。縄文文化は弥生文化によって抹殺されてしまったわけではない。むしろ縄文文化という根幹の上に、弥生文化が接ぎ木されていったと考えた方がよい。縄文の心が稲作農耕を中心とした弥生文化の中に流れ込み、溶け合っていった。

それを反映してか、男神であるスサノオノは、ヤマタノオロチ退治の前、アマテラスが住む高天原で大暴れをして、「根の国」に追放されたのである。つまり女神に男神が敗北しているのだ。女神や蛇に象徴される古い文化が、鉄器をもった男神によって葬り去られるという単純な図式では、きれいに整理できない。

しかも「根の国」に追放されたスサノオが、復活してヤマタノオロチを退治するのは、出雲の国である。出雲はもともと縄文文化の関係が深い地域でもある。もともと出雲族は近畿地方の中央にいたが、外部から侵入した部族によって四方に分断され、その一部が出雲と熊野に定住したという説もある。さらに出雲族の一部は、諏訪地方にのがれ、諏訪大社の基盤を作ったという。諏訪大社は、御柱祭からも推測できるように、蛇信仰や縄文文化と関係が深いのだ。

すなわち、スサノオノ命の大蛇退治は、その前後の物語も含めて考えると、稲作や鉄器に代表される弥生文化が,蛇信仰に代表される縄文文化を葬り去った物語と単純にとらえることはできない。むしろ縄文文化と弥生文化が複雑に入り組み、融合していくさまを、そのまま反映して、両方の要素が複雑に入り組んでいるものと理解すべきだろう。

かつて日本文化のユニークさ13:マンガ・アニメと中空構造の日本文化という記事で、河合隼雄の論を紹介しながら、アマテラスとスサノオの関係に触れたことがある。

「西洋のような一神教を中心とした文化は、多神教文化に比して排除性が強い。対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。排除の上に成り立つ統合は、平板で脆いものになりやすい。キリスト教を中心にしたヨーロッパ文化の危機の根源はここにあるかも知れない。

唯一の中心と敵対するものという構造は、ユダヤ教(旧約聖書)の神とサタンの関係が典型的だ。絶対的な善と悪との対立が鮮明に打ち出される。これに対して日本神話の場合はどうか。例えばアマテラスとスサノオの関係は、それほど明白でも単純でもない。スサノオが天上のアマテラスを訪ねたとき、彼が国を奪いにきたと誤解したのはアマテラスであり、どちらの心が清明であるかを見るための誓いではスサノオが勝つ。その乱暴によって天界を追われたスサノオは抹殺されるどころか文化英雄となって出雲で活躍する。二つの極は、どちらとも完全に善か悪かに規定されず、適当なゆり戻しによってバランスが回復される。」(河合隼雄『中空構造日本の深層 (中公文庫)

二つの極が、一方的に善か悪か、勝者か敗者かで色分けされず、バランスが保たれるという構造は、実は縄文文化と弥生文化の出会いと軋轢の中でこそ経験されていたのだ。対立する極の一方を完全に排除してしまわないという特徴が、日本人の原体験として体験されていたのだ。その結果、縄文人の魂は、現代日本人の魂のなかにも生き残ることになったのである。

《関連図書》
文明の環境史観 (中公叢書)
対論 文明の原理を問う
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)
環境考古学事始―日本列島2万年の自然環境史 (洋泉社MC新書)
蛇と十字架

《関連記事》2
日本文化のユニークさ03:縄文文化の名残り
日本文化のユニークさ17:現代人の中の縄文残滓
日本文化のユニークさ19:縄文語の心(続き)
『「かわいい」論』、かわいいと平和の関係(3)

この記事についてブログを書く
« 日本文化のユニークさ33:縄... | トップ | 日本文化のユニークさ35:寄... »
最近の画像もっと見る

現代に生きる縄文」カテゴリの最新記事