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日本の長所と神道(3)

2014年02月03日 | 日本の長所
◆『本当はすごい神道 (宝島社新書)

前回は縄文・弥生文化と神道の関係について触れた。その上で今回は、「日本の長所11項目」(→「自覚すべき日本の良さ」参照)と神道の関係について、上の山村氏の本も参考にしながら、私なりに考えてみたい。

山村氏は、神道の構造を三角形で図式化して三つの観点からとらえている。第一の角に日本人の「美意識」があり、第二の角に「日本人の生き方」があり、第三の角に「魂」がある。

まず「美意識」についてだが、神社では、鳥居をくぐり、参拝の前に「手水舎」で手と口を注ぐ。これは「禊ぎ」を簡略化したものだという。日本人の長所の一つに清潔さ、きれい好きということを挙げたが、それと神道の禊ぎの精神が深く関係するは確かだろう。問題は、では禊ぎの精神そのものはどこからやって来たのかということだ。これは推測の域を出ないが、禊ぎは太古からの日本列島の自然環境に深く関係していると思われる。大陸の大河に比べればほとんど急流といってよいような河があちこちに流れ、しかも豊かな森を経ることできれいに澄んでいた。その流れで身を清めた体験が、いつか禊ぎの心を育んでいったのではないか。

また自然災害の多さも、どこかで禊ぎの精神に繋がっているかもしれない。私たちの祖先は、人間の手によって築いたものが自然の力によっていとも簡単に破壊され、あとかたもなくなってしまうという体験をいやというほど重ねてきた。すべてを破壊され、否応もなくゼロの状態に引き戻される。いつしかため込んでいた穢れを、自然の力によってはぎ取られてしまう。そのたびに生まれ変わったかのように心を新たにして再出発する。自然環境に根ざすそういう体験も、禊の心に関係があるのかもしれない。

神道の三角構造の第二の角は、「日本人の生き方」である。山村氏は、本の中に示された三角形の構造図の中で、具体的には礼儀作法、伝統文化、思いやり、おもてなし、謙虚さなどの特徴を挙げている。これは、以下の「日本の長所11項目」のうち、1)~6)に関係するだろう。

1)礼儀正しさ
2)規律性、社会の秩序がよく保たれている 
3)治安のよさ、犯罪率の低さ 
4)勤勉さ、仕事への責任感、自分の仕事に誇りをもっていること
5)謙虚さ、親切、他人への思いやり
6)あらゆるサービスの質の高さ
7)清潔さ(ゴミが落ちていない)
8)環境保全意識の高さ
9)食べ物のおいしさ、豊かさ、ヘルシーなこと 
10)伝統と現代の共存、外来文化への柔軟性
11)マンガ・アニメなどポップカルチャーの魅力とその発信力

これらもおそらく、日本列島の太古からの歴史のなかで長い年月をかけて育まれきたものであり、その意味でも神道の精神と表裏一体である。その多くは、遠く縄文時代にまで遡ることができるだろう。1万数千年も続いた縄文時代が平和で平等な社会であったことについてはなんども触れた(→日本文化のユニークさ31:平等社会の基盤強い日本女性のルーツは?など)。縄文人が基本的には狩猟・漁撈採集の民であったことが社会の平等性と維持できた最大の理由だっただろう。しかも縄文時代は、湿潤で森の豊かな環境のなかで1k㎡の土地で3人を養うことができたという。世界の狩猟採集時代の平均では0.1人だから、日本の土地は世界平均の30倍の扶養能力があった。自然の豊かさは争いの原因を少なくする。さらに母系社会であったことが平和な社会を保つ大きな原因となった。平和や平等性が保たれない社会では、謙虚さや思いやりなどは育ちにくい。

前回見た通り、大陸からの渡来人が一気に大量に押し寄せることもなく、まして彼らは牧畜民はなく稲作漁撈民であったため、縄文人が培ってきた精神性や宗教心は、かなり色濃く弥生時代に流れ込み、融合していった。この段階でもし、大陸の諸民族の間にあったような征服民と被征服民の強固な支配-被支配関係が成立していれば、縄文時代以来の遺産は引き継がれなかっただろう。

縄文文化が弥生文化と融合していったという事実は、日本列島に住む私たちの原体験の一つといってよいと思う。日本文化のユニークさとして挙げた四番目は、「大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった」ということである。縄文人が被征服民として支配下に置かれていれば、それは大規模な奴隷制の発端になっていたかもしれない。渡来人との間でそうした熾烈な関係がなかったからこそ、大陸の進んだ文化を屈託なく学び受け入れるという、その後現代にまでつらなる日本人の精神態度が生まれたのである。

上の「日本の長所11項目」を眺めると、そのおおくが何らかの形で性善説の人間観に関係していると思うが、とくに2)~6)あたりは関係が深い。人間の誠意や真情を互いに信頼することで、社会の「和」や秩序が保たれる。自分のわがままを抑えることで、相手も譲ってくれ、そこに安定した「和」の関係ができるという性善説を無意識のうちに共有しているから、規律や秩序、治安のよさ、謙虚さ、親切、思いやりなどが維持される。

では、こういう日本人の特徴はどこから来るのかと言えば、その源は縄文時代であろう。そして弥生人が渡来した時期も含め、長い歴史を通じて異民族による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたなかったことがいちばん重要な要素だと思う。異民族との闘争のない平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが可能だったし、それを育て守ることが日本人のもっとも基本的な価値感となった。その背後には人間は信頼できるものという性善説が横たわっている。

加えて、弥生時代以降の日本は稲作農業を基盤とした社会であった。人口の8割以上が農民であり、田植えから刈入れまでいちばん適切な時期に、効率よく集中的に全体の協力体制で作業をする訓練を、千数百年に渡って繰り返してきた。侵略によってそういうあり方が破壊されることもなかった。礼儀正しさ、規律性、社会の秩序、治安のよさ、勤勉さ、仕事への責任感、親切、他人への思いやりなどは、こうした歴史的な背景から生まれてきたのであろう。

異民族に制圧されたり征服されたりした国は、征服された民族が奴隷となったり下層階級を形成したりして、強固な階級社会が形成される傾向がある。たとえばイギリスは、日本と同じ島国でありながら、大陸との海峡がそれほどの防御壁とならなかったためか、アングロ・サクソンの侵入からノルマン王朝の成立いたる征服の歴史がある。それがイギリスの現代にまで続く階級社会のもとになっている。

日本にそのような異民族による制圧の歴史がなかったことが、日本を階級によって完全に分断されない相対的に平等な国にした。武士などの一部のエリートに権力や富や栄誉のすべてが集中するのではない社会にした。特に江戸時代、庶民は自らの文化を育て楽しみ、それが江戸文化の中心になっていった。庶民は、どんな仕事をするにせよ、自分たちがそれを作っている、世に送り出している、社会の一角を支えているという「当事者意識」(責任感)を持つことができる。自分の仕事に誇りや、情熱を持つことができる。

階級によって分断された社会では、下層階級の人々はどこかに強力な被差別意識があり、自分たちの仕事に誇りをもつという意識は生まれにくい。奴隷は、とくにそういう意識を持つことができない。日本文化のユニークさのひとつは、奴隷制を持たなかったことであった。奴隷制の記憶が残り、下層階級が上層階級に虐げられていたという記憶が残る社会では、労働は押し付けられたものであり、そこに誇りをもつことは難しいだろう。

このように日本人の長所は、日本列島という自然環境と縄文時代以来の長い歴史のなかで様々な要素に影響されながら作られてきた。神道も同様な様々な要素に影響されて形づくられた。というよりも、その地理的、歴史的環境の中で育まれてきた、日本人の世界観、価値観、様々な風習や風俗こそが、「神道」の実体をなしているのだ。だから日本人の長所が、どれも神道と深く関係しているのは、当然といえば当然なのである。

《関連図書》
文明の環境史観 (中公叢書)
対論 文明の原理を問う
一神教の闇―アニミズムの復権 (ちくま新書)
環境と文明の世界史―人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ (新書y)
環境考古学事始―日本列島2万年の自然環境史 (洋泉社MC新書)
蛇と十字架

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