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2017年11月15日 葉山 三浦半島 ニュージーランドビーフ

2017年11月15日 | 風の旅人日乗
朝ラン



さ 今日も忙しいぞ

午前中は三浦半島あちこち
マリーナとか船舶検査機構とか
外回り

午後は
机にへばりつく

夕方
鎌倉にまでプール


糸満の我々のサバニ
うみすばる(海群星)の写真を
バシが撮って送ってくれた



6月のレースが終わったあと
水さえかけてあげられずに
那覇から糸満行きのトラックに
載せちゃったまま

ごめんなぁ
早く整備に行かなきゃなぁ
2月には行けるかなぁ


さて午前中
外回りを済ませて
葉山に向けてクルマを走らせながら
無性に肉が食べたくなる

それも
ミディアムに焼いたステーキを
ガッツリと

昼飯はすでに家に用意していたのだけど
もう頭の中は
ステーキステーキステーキステーキ

クルマを車庫に入れて
走ってユニオンへ

肉売り場に行くと
なんとたまたま本日
牛肉のみが大安売り

ニュージーランドビーフ400グラムを買って
走って戻り
焼くのももどかしく
ガブリとかぶりつく

美味しい〜^_^

先日エド・ベアードと一緒に
六本木の某有名和牛レストランで
ん万円のステーキコースを
からすの斜森さんに御馳走になり
幸福に打ち震えたが

あそこまでではないものの
ニュージーランドビーフも充分いける

その後
すでに用意の弁当とお茶を持って

トンビと威嚇し合いながら
浜でランチ

こちらも残さず食べる



加齢によるだぶつきがいやな
アゴのラインをシャープにしたくて
栄養摂取を控えるよう
心がジブンに命令しているのに

胃袋と共謀する脳が
時折それに背く

手強い奴だぜ




2017年11月14日 葉山

2017年11月14日 | 風の旅人日乗
夜明け前の
暗い朝からぶっ続けに
デスクワーク


仕事し過ぎて
頭がふらふらしてきたので
散歩がてらに
図書館に行って本を立ち読み

静かな空間の
紙とインクの匂いに
心が安らぐ


ところで
一昨日の話だけど

自分がセーリングを指導した子どもたちに
ヨットに乗せてもらう

至福だった



楽しかったなぁ




違う海でのことだけど
数十年前に
エド・ベアードと共有していた時間もあったなぁ

すごくたくさんのことを学んだ

自信を持とう



デスクワークの合間に
写真を見て


©︎Ed Baird

海に出られない悶々を晴らす




大切な仲間たちのことを思う

海では爽やかに



酒飲めば伸びやかに



いつまでも一緒にいたいと願う

2017年11月10日 葉山 東京

2017年11月10日 | 風の旅人日乗
本日これから
今週末の
お台場セーリングイベントに向けて



準備のために東京に出る


来年6月に太平洋にクルージングに出る
お客様のために
通信機器類の手配準備を開始した

四国のお客様の
セール製作のための
計測準備を開始した

マストチューニングを
依頼されているお客様のための
マストセットアップ準備を開始した

来月輸入する
フランスからのクルージングヨットの
書類準備を進めている

イギリスの
レースヨットのデザイナーとの
改造のための情報やりとりが
進んでいる


小さなことでも
手抜きせずに誠意を持って一歩一歩

目標はまだまだずーっと遠いけれど

視界には入っている

それをじ〜っと見据えて

歩いていくさ




昼過ぎ

訪問先の古野電気東京支社に
約束よりも早く着いてしまい
近くの和泉公園で時間調整



今年の5月、6月にも
となりの三井記念病院に何度も来て
時間待ちとかで
この公園によく来たなあ

あの時間を
今後に生かさなきゃなあ

お台場で本日の締めとなる仕事終わり

お台場から歩いて
品川に出る


2017 年11月8日 葉山 鎌倉 レサーブル〜オルタ・ダブルハンドレースのメモ

2017年11月08日 | 風の旅人日乗
一日葉山にこもる

今週末のお台場イベントの準備について
あちこちに電話

12月に入ってくる艇の輸入について
乙仲業者さんに葉山まで来ていただいて
打ち合わせ

夕方
鎌倉にプール


今年7月の大西洋でのレースの備忘録として
私家版メモのデータを
バックアップ代わりに以下に記載しておくことにする

ーーーーーーーー
レサーブル・オルタ往復ダブルハンドレース
(2017年7月2日〜22日)
復路参戦記 西村一広


レース参加への道 厳しい関所その1 
メディカルチェック

レサーブル・オルタ往復ダブルハンドレース。
往路のレサーブル→オルタのコ・スキッパー(副スキッパー)として期待の若手セーラー志賀翔太君が乗ることは、比較的早くから決定していた。しかし復路のオルタ→レサーブルのレグに、コ・スキッパーとして乗るのは一体誰なのか? 今年2017年シーズンとそれ以降の活動について綿密にアイディアを練っている北田氏の頭の中には、何人もの候補者がいるようだった。

自分がそれに乗ることになるのかも、という雰囲気を感じ取ったのは、確か今年のゴールデンウイークが明けてしばらくした頃だと記憶する。
今年のスケジュール帳を改めて見てみると5月中旬から複数の医療機関の予約関係のメモが突然のように増えてきているから、おそらくその辺りの時期にレサーブル・オルタ往復ダブルハンドレースの復路に自分が乗る可能性が高くなったのだろう。

さて、なぜレースに出る可能性が高まったことと病院通いが関係しているのか?

日本ではまだあまり考えられないことだが、ヨーロッパでは長距離外洋レースの参加資格に『専門医のメディカルチェックをクリアしていること』という条件が加わるレースが多い。そしてそのレースが、シングルハンドレース、ダブルハンドレースといったショートハンドであればあるほど、レース距離が長くなればなるほど、クリアすべき検査の厳しさが増す。身体に、特に心臓と頸動脈に、少しでも異常が認められる選手は外洋ヨットレースには参加させない、というのがヨーロッパ文化圏のヨットレースオーガナイザーが打ち出している強い姿勢だ。

レースドクターからの指示に従い、JORA(日本オーシャンレーサー協会)清水広美さんとフランス在住のスタッフ、パトリツィア・ゾッティさんの助けを借りて、しかるべき医療機関に行って検査を受ける。そこで発行してもらった専門医のサイン入りの「異常なし」の診断書を清水さんとパトリツィアさんに依頼してレースドクターに届ける。
レースドクターから別の専門医で別の検査を受けるよう指示が来る。別のしかるべき医療機関に行って検査を受ける。「異常なし」の診断書を清水さんとパトリツィアさん経由でレースドクターに届ける。
レースドクターから追加の検査を受けよという指示が来る。また別のしかるべき病院に行って検査を受ける・・・・。

この繰り返しが1ヶ月以上も続いただろうか。

自分の場合は、東京の三井記念病院と専門医療機関2つ、出張中に訪れた北九州の病院、合計4つの医療機関で検査を受けたのだが、なかなかレースドクターのOKが出てこない。世界最高峰を謳う最新型の心臓&頚動脈の医療検査機器を備える三井記念病院では、「この検査機器はフランスにはまだ多分設備がないくらいの最新の機械で、この検査機器で異常なしの診断が出れば、それは世界トップレベルで異常なし、ということなんだけど・・・。一体どんなスポーツなんですか、外洋レースって?・・・」と、担当医師が困り果ててしまうほどだった。

そんなことがあった後、自分のメディカルチェックは、復路の選手エントリー締切りギリギリになってやっと認められた。
おかげで、自分の心臓と頚動脈は、エコーやらCTスキャンやらMRIやら負荷心電図やらで、徹底的に検査され、それぞれの専門医から異常なしの診断をいただき、心臓と頸動脈については自信を持つことができた。
そうだった、レースドクターからの指示はなかったが、少しヤケになって、ついでに脳のMRIも受けて、脳の血管の塞がり具合もチェックして、異常なしの診断も、もらったのだった。

この時期のスケジュール帳を開いてみると、それら医療機関の予約メモでいっぱいだ。その頃は右肩を別のスポーツで痛めていたので、メディカルチェックの病院通いのついでに、新宿の整形外科医にも通っていた。こちらもありがたいことに6月下旬には完治した。

まだ日本を出る前なのに、レサーブル・オルタ往復ダブルハンドレースの参加資格を得るための要件として立ちふさがったメディカルチェックという高い壁は、JORAのスタッフの皆さんのサポートによって、こうしてなんとかクリアすることができた。


参加への道 厳しい関所その2
ISAF公認安全講習参加義務

欧米の、ある程度本格的な外洋ヨットレースでは、登録クルーがISAF公認の安全講習に参加したという証明書を持っていることを条件にしているレースが多い。日本ではシドニー〜ホバートレースがこれを条件にしていることが知られているが、これはシドニー〜ホバートに限ったことではない。このレサーブル・オルタ往復ダブルハンドレースも同様で、参加クルー全員(2名だけど)がこの安全講習受講証明書を持っていなければならない。
往路に乗る北田スキッパーと志賀君は、3月にすでにフランスのロリアンで受講していたからその資格は獲得していた。問題は自分である。5月の時点ではまだISAF公認の安全講習に参加したことがなかったのだ。

ISAFが公認する安全講習は、フランスでは毎月一度、木・金・土の3日間の日程で行われている。そこでの公用語はもちろんフランス語で、講義も実技もフランス語で行われる。もし受講するとなれば、JORAのサポートを受けて、パトリツィア・ゾッティさんか、清水広美さんに通訳していただかなければ講習内容を理解することはおろか、受講申請手続きすら困難を極めることになる。

しかも、前述の、メディカルチェックをクリアするための病院通い騒ぎで、6月開催の安全講習に合わせて渡仏することは不可能になった。そうなると、レサーブル・オルタ往復ダブルハンドレースの復路がスタートする7月14日に間に合うタイミングで開催される安全講習は、ロリアンで7月6〜8日に開催される回のみということになり、自分にとってはそれが最初で最後のチャンスになる。
その前の週の7月2日に、北田スキッパーと志賀君はすでに往路スタートを切っている、そんな際どいタイミングだ。

自分は6月下旬から7月3日までは沖縄にいなければならず、それまでは関東に戻れないという仕事が入っていたが、4日に日本を出れば、乗り継ぎの多い格安チケットでも5日の夜にはロリアンに入ることができ、6日に始まる安全講習に参加できる、というスケジュールを組むことができた。しかしこれは、JORAが煩雑な申し込み手続きや通訳同席などの交渉を代行してくれたから可能になったことで、自分個人でやろうとしたら、時間的にも、不可能だったかもしれない。

7月6日から始まったISAF公認安全講習は、とても刺激的で興味深い内容で、興奮して、心底この講習を楽しむことができた。JORAの清水さんが隣の席に座って分かりやすく同時通訳してくれるので、まるで日本語で講習を受けているかのように、フランス語による講師の話がスルリ、スルリと頭の中に吸い込まれていった。

この安全講習に関係する詳しいレポートは、近い将来別のメディアで発表することになるかと思うが、3日間の講習期間中、まったく退屈することはなく、ものすごく集中して受講することができた。ヨーロッパのセーラーの、海でのサバイバルに対する意識の高さを、知識と技術のレベルの高さを、強く肌で感じ取ることができた。

自分を含めた日本人セーラーは、外洋ヨットレースに出ようとするときに、海で出会う可能性の高い『危険』について、自分の命を自分の責任で守らなければならないということについて、彼らヨーロッパ人のように、高くて強い意識を持っているだろうか? 一緒に乗っている誰か他の人や、外部から援助の手が差し伸べられることに、知らず知らず頼ってはいないだろうか?

乗っていたヨットが沈んでクルーみんなで助け合いながらライフラフトに乗り移り、ヘリコプターが来て、それに吊り上げられて救助されるまでを、サバイバルスーツに身を包んで、大型のプールの中で泳ぎながら疑似体験する実技メニューも組まれている。
様々な原因で起きる船火事の燃え方を実際に見て、それを消火する実習もする。
心臓発作で倒れたクルー仲間に対する処置も全員が実技でファーストエイドを施す訓練もある。
それらの実技講習を受けていると、安易な気持ちで外洋ヨットレースに乗ってはいけないのだ、という意識が今更ながら強く湧き上がってくる。

自分にとって安全講習は、レサーブル・オルタ往復ダブルハンドレースに出るために受講することが必要な、少し面倒な関門の一つでもあったのだが、受けてみると、とても価値のある講習であることが分かった。
このISAF公認の安全講習を受講するにはそれなりに費用がかかる。現地まで足を運び、アコモデーションも手配しなければならない。個人でこの講習をフランスで受講しようとしたら、ほとんどの人は通訳にも別途費用がかかることだろう、フランス語で行われる受講手続きも簡単ではない。

少なくとも自分の場合は、JORAのサポートがあって初めてこの講習を意義深く受講することができた。そのおかげで、外洋ヨットレースというスポーツをリスペクトするセーラーなら必ず、このような高いレベルの安全講習を受講する必要があると強く思うことができた。


ポルトガル領アゾレス諸島ファイアル島へ

ISAF公認安全講習をすべて受講した翌日の7月9日、ロリアンを後にしてレサーブル・オルタ往復ダブルハンドレースの、往路フィニッシュ地であり復路スタート地であるアゾレス諸島ファイアル島のオルタに向かう。
ロリアンからパリに出て、オルリー空港からポルトガルのリスボン経由でアゾレス諸島サンミゲル島のポンタ・デルガダへ。そこでプロペラ機に乗り換えて、大西洋の真っ只中の小さな島ファイアル島のオルタ空港に、ロリアンを出発した翌日の7月10日午後7時前に降り立った。北田浩・志賀翔太の往路コンビは、この日の午前1時過ぎに、後ろに数隻を従える健闘の順位で往路のフィニッシュラインを切っていた。

翌日から、往路で健闘した二人もレース疲れを癒す暇なく整備作業に参加。自分はセールを片付けたり簡単な修理などをしたりしながら、<貴帆>のことを思い出す作業に入る。
“<貴帆>のことを思い出す作業”とは何か?
実は自分は、<貴帆>できちんとセーリングしたのは、昨年2016年4月に乗艇したロリアンからサンマロまでの回航と、サンマロから英国プリマスまでの、レースのような回航のようなセーリングの、それぞれワンオーバーナイトの経験しかなく、それから1年以上も<貴帆>から離れていたため、その記憶も薄れ、しかもその間に変更された装備もあったりもした。思い出すというよりも、3日後の復路スタートまでに、<貴帆>のことをほとんど最初から学び直さなければならなかったのだ。

だからその日からスタートまでの3日間は、できるだけ<貴帆>にいる時間を長くして、デッキ、コクピット、キャビン内、マスト、セールなど、<貴帆>に触り続けることを心がけた。
レースの食料とミネラルウォーターの買い出しは、ジャン、パトリツィア、清水さん、志田君がすべて段取ってくれ、気象情報に関連したナヴィゲーション的作戦については、北田氏とジャンが周到に準備していた。

それなので自分は、各セールをチェックしたり、パックし直したり、使用レンジをイメージしたり、メインのリーフ作業や各種ヘッドセイルのファーリング作業、セット作業、取り込み作業などを、デッキの上で繰り返しイメージトレーニングしたりすることに集中できた。もちろんその合間には、デッキに座って水を飲みながら、アゾレス諸島名物の、特異な形の火山、ピコ山を眺めて楽しんだりもした。本土からは遠く離れているが、ポルトガル領の中でもっとも高い山なのだという。


アップウインドスタート

3日間、北田スキッパーとともに体調を整え、7月14日、午後5時に気持ちよくオルタ沖のスタートラインを飛び出す。
アップウインドになったスタートは、自分が舵を持たせていただいた。
ストレートラインを高速で走るクラス40は、オープン60やクラスミニ6.50のようにツインラダーを持ち、適正なヒール角でセーリングした時に風上側のラダーが水面上に出るように設計されるため、ラダーの深さは結構浅い。そしてなおかつマストは通常のヨットよりも後ろ目に位置している。それなので、ジブを開かずにメインセールだけでトロトロ走っているスタート前などは特に、タッキングの後は結構多めにメインシートを出さないと、ラダーが効かずに操舵不自由に陥る場合がある。

スタートラインとスタートでは、このことに気を付けつつ、かつ、クラス40のコミュニティーにおける<貴帆>の「愛されキャラ」にダメージを与えないことに気を配った。クラス40コミュニティーに昨年新入りした<貴帆>は、北田スキッパーの気配りによって、いつの間にか多くの先輩クラス40セーラーたちが援助の手を差し伸べてくれる「愛されキャラ」を獲得している。
シングルハンドレースやダブルハンドレースのスタートでは、全艇が人手不足状態なので、マッチレースやフルクルーのレースのスタートのように、ルールを駆使したややこしい動きをする艇がいると、無用な混乱を生じてしまうし、危険でもある。「愛されキャラ」としては、絶対にそんな原因を作ってはならない。

スタートしてそのまま左に伸ばしたいのだ、という意思表示で風上側から突進してくる艇の進路を邪魔せずにそのまま行かせ、スタート前からの計画通り早めにタックを返して、広い右海面を先に走る。ウオータータンクに水を入れてもいいようなコンディションだが、ポートタックの間は、念のためにそれも控える。ここは安全第一だ。

スタート後2時間。
スタート前日からの北田スキッパー、コーチのジャン・クリストフとの打ち合わせ通り、2、3日後に250マイルほど北を通過する予定の低気圧に向かって、スターボードタックで北上を開始している。なんか、ちゃんとフリートの、少なくとも前半分には入っている感じ。ま、こんな感じでいきますか、と北田スキッパーと話す。

最初の夜に、途中経過で1位に出たこともあったようだが、周囲に見える航海灯に比べてスピードが劣ってはいないが、優っている訳でもない。スピードがある時にも、スピードがない時にも、その理由がわからないもどかしさがある。クラス40の経験と勉強が足りないことを痛感する。
北田スキッパーのナヴィゲーションに従って、できるだけスピードを維持しつつ、北への距離を伸ばす作戦を続行。


2晚目の大失敗

スタートの翌日には、予報通り風が落ち始めて風向も不安定になって来た。レースフリートはかなりバラけてきたが、全体として北に向かって、低気圧通過予想緯度を目指している。風が不安定ながら後ろに回り始め、ジェネカー(かつてのコードゼロをクラス40ではジェネカーと呼び、かつてのジェネカーはAセールなどと呼ばれることが多い)やAセールを揚げたり降ろしたり張り替えたりが続く。

2晚目が明けて、パソコンの画面でレースフリートの位置を見てみると、<貴帆>は大きく遅れを取っていた。前日の夕方からこの日の朝方にかけて、ジェネカーの選択を間違えてばかりいたのだ。自分の責任だ。
これはレースの後半になって学んだことだが、風向と風速の変化が大きかったその2回目の夜、自分はミディアムジェネカーを挙げるべき時にA2を揚げ、A2を挙げるべき時にミディアムジェネカーを揚げた。そのことで、トップ集団から挽回できないくらいの差をつけられた。これは世界トップクラスのオーシャンレーサーが参加しているダブルハンドレースなのだと、改めて思い知った。

天気図が海図上にオーバーレイして、<貴帆>の最適コースが示されるナヴィゲーションソフトの「Expedition」の画面を見ると、北上するフリートの一番前を走っている艇から順番にいい風が入って来て、トップ艇団と後続グループの差は、どんどん広がっている。
結果から言うと、復路の大局はここで決まってしまった。気象予想のヨーロッパモデルも北米モデルもほとんど同じで、しかもそれが見事に当たり、最初の北上競争に取り残された艇は、その時点ですでに勝ち目はなかったのだ。

トップ艇団が所期の緯度まで到達して、コースを90度くるりと東に転じて、フランス沿岸に向かって怒涛のブロードリーチングで走り始めた後も、「Expedition」は我々に、トップ艇団と同じような緯度まで北上を続けてから東に転進するよう指示した。
確かにその時点での、フィニッシュ予定の日時までの風予想が当たる限り、それが<貴帆>が最短時間でフィニッシュラインに到達できるコースなのだろう。しかしそれでは、<貴帆>は自分のコースレコードは作れるだろうが、レースの順位を挽回することはできない。先行艇はその緯度まで到達した艇から順番に、まるでロケット台から発射されたような勢いでスピードに乗って東に向かっている。<貴帆>が北上している間に、先行艇団からさらに差をつけられることだろう。

北田スキッパーと十分に話し合い、先行艇団が受けている風と自分たちが受け始めている風の違いを分析し、「Expedition」が指示する緯度に到達する前に、東へと転進することに決定した。実際の強風域が、気象モデルよりも南下する可能性に賭けて。
こうして書いていて、「賭ける」とはなにごとだと思う。
ヨットレースの教科書に照らし合わせても、すでに<貴帆>が勝つ可能性は少ない。レースで「賭け」をしてはいけないのだ。賭けるしかないようなこの状況に陥ったのは、何日か前のセール選択のミスであり、それは自分の責任である。


最後まで来なかった逆転のチャンス

少しにがい思いを胸に、ヨーロッパ大陸に向かって東に進み続ける。しばらくは人間の勝手な振る舞いに怒っているようにみえた「Expedition」も、再び気を取り直したかのようにウエザールーティングに基づいたコースを指示し始めた。<貴帆>も23〜25ノットの風を受け、15〜17ノットの艇速でセーリングしているのだが、北のほうではもっと強い風が吹いているらしく、そこにいる艇群は我々よりも常に1ノット、2ノット速いスピードで離れていく。コンスタントに1ノットの差があれば、1日に24マイルずつ遅れていくわけで、これではまったく手に負えない。

それと、レースをしながら気がついたもっと重要なことがある。
ダウンウインドセールにしても、メインのリーフにしても、例えば風が少し落ちたりすると、トップ艇団のセーラーたちは間髪を入れずに大きいセールに替えたり、リーフを1段解除していた。
それに対して自分などは、本当に風が弱くなったのか、もう少し見極めましょうという理由で、後になって思うと、即時に必要だったセールチェンジをワッチ交代までの1時間か2時間延ばしたりもした。必要を感知するやいなや即セールチェンジをするのと、ワッチ交代まで待つのでは、それこそ距離にしてひとワッチ3時間で2マイルや3マイルの距離がすぐについてしまう。この積み重ねが、今回のレサーブル・オルタ往復ダブルハンドレースの<貴帆>の復路の順位になったのだった。

今回のレースは、自分としてはスタートから北田スキッパーとのコンビネーションもよく、艇の上ではまったくストレスのないセーリングができた。北田スキッパーのナヴィゲーションには全幅の信頼を寄せることができたし、デッキワークも、ほとんど2人での練習をしなかった割には、まあ、それが理由でそれぞれの作業に慎重に、多少時間はかけたが、トラブルもなく、順調にレースを進めることができた。そのことには完全に満足し、かつ北田スキッパーに感謝している。

ただし、レースを終えた今、自分自身に対しては不満を強く覚えている。自分がレース中考えていた「トラブルなく完走することが大切」という言い回しは、自分の手抜きセーリングを自分が容認することに繋がったのではないか、と猛反省している。

ヨーロッパの一流のシングルハンドやダブルハンドのオーシャンレーサーたちは、フルクルーでのレースに限りなく近い精度で、限りなく近い完璧さでセーリングし、かつ、寝る時間を惜しんで、高度なレーシングナヴィゲーションをしている。これが、今回のレースで、先行艇のレース展開を地団駄踏みながら観察して、身に滲みて学んだことだ。彼らは、必要なときにはワッチの時間に関係なくオールハンズで、タイムラグなく、もっとも適切なタイミングを逃さず、2人でなければできないセールチェンジなどの作業をしているはずだ。

今回のレースで学んだことを、できるだけ早い機会に、JORAを通じて日本の若いセーラーたちに役に立つ形でフィードバックできることを願っている。

2017年11月7日 葉山 夢の島 お台場 レインボーブリッジ

2017年11月07日 | 風の旅人日乗
星が瞬く時間帯

外に出て星を眺めて
勉強

外から帰って
勉強部屋にこもって
朝ごはんまでの早朝は



一昨日の
うみすばる親子セーリング体験教室
@お台場海浜公園
の様子を



あちこちの関係筋に
レポート提出

あまり身を委ねたくないfacebookでも
レポート

Facebookなんかに頼らずに
いつかは自前のメディアを持たねばならぬ

切実にそれを思う

朝食後の時間帯にも
その作業がはみ出してしまい

昼過ぎの
東京夢の島マリーナでの
コンサルティングの約束に間に合うよう
資料を揃えて
慌てて森戸海岸前から
バスに飛び乗る

夕方も東京で
来月横浜に入る輸入艇の
乙仲業者さんと打ち合わせになりそう





本日の弁当は
夢の島マリーナに面した
新木場公園のグラウンドで



トンビには今のところ狙われないけど

トンビがいても
やっぱり森戸海岸の
景色のほうがいいなあ


夢の島マリーナでの打ち合わせ
終わり

お台場の
船の科学館での打ち合わせ終わり

田町での打ち合わせ
明日に延期になったので

南風が吹くときに
お台場海浜公園にどんな風が
入ってくるのか



じっくり観察して



レインボーブリッジを
歩いて渡る




南側歩道と



北側歩道を



行ったり来たりしながら

東京港を横切る



本土側に渡って
品川目指して
南方向へと歩いていくと

ブルーに光る
SOMYのロゴが頂に見える
でっかい
ビルが見えてくる

井深さんの思いと
盛田さんの思いが
こういうカタチになって
残っている訳だ

現在のSOMYに
お二人が満足しているかは
さておきだけど


物質的質量を持たない
『思い』ってやつが
こんな圧倒的な質量を持つビルになる

いいとか
悪いとかの問題は脇に置いて

ジブンは
深〜く感じ入った


結構頑張った一日

さよなら
俺の2017年11月7日



2017年11月6日 葉山 鎌倉

2017年11月06日 | 風の旅人日乗


昨日の
うみすばる親子セーリング体験教室
@お台場海浜公園



素晴らしい天気に恵まれて
大成功



朝食も昼食も食べる時間なく
新橋の打ち上げビールに酔う


そして
本日昼は
昨日と打って変わって
弁当だけでは物足りず
近くの中華屋さんに
タンメンを食べに行く

いまはその帰り道



海を見て
今週の作戦考えながら
タンメンで
だくだくにかいた汗が
ひくのを待ってる




遅い夕方
鎌倉のスイミングプール

2017年11月4日 葉山

2017年11月04日 | 風の旅人日乗
徹夜で原稿書き

今年7月の
アゾレス諸島からフランスまでの
ダブルハンドレースのレポート

楽しい思い出

レースに負けた悔しいと思い出

まったくメモに残してなかったけれど
書いているうちに
スタートからフィニッシュまでの
レースの7日間を
クリアに思い出した

明日はいよいよ
お台場セーリング体験教室

事故なく終われるよう
全力を尽くす


2017年11月2日 葉山

2017年11月02日 | 風の旅人日乗


ふー

なんだか慌ただしい一日だった



なので日記は
夕方の浜ランのあとで撮った
西方向の写真だけでおしまい



寝る前に
久しぶりに
『三丁目の夕陽その2』を見る

明日は
気持ちが乗らない仕事を
一気に片付ける覚悟

明後日のイベントに集中したい

だから
その仕事を片付けねばならぬ

辛いと思わず
幸せだと思うこと

分かるか?ジブン



こんな夕焼けを
いつも見られるのだし

2017年11月1日 葉山 東京 逗子 鎌倉

2017年11月01日 | 風の旅人日乗


レオナルド・ダ・ヴィンチによると
幸福の後頭部はハゲているらしい

幸福が来たら
ためらわずにその前髪をつかめ
後ろはハゲててつかめないからね

みたいな言葉を残しているらしい

面白い人だ


本日午後は
1件の用事だけのために
東京に出ねばならぬ
交通費が結構かさむので
JR回数券を買ったけど
焼け石に水 っぽい


ジブンに告ぐ

午前中しっかり仕事して
午後東京に出る前に
がっつり泳げよな

これは命令だ

東京に出る前に
エド・ベアードから届いた
トレーニングレポートを
翻訳しなければいけなくなり
ジブンからの上記命令を守れなくなる

夕方に終わった東京での用事と
夜の鎌倉での用事との間に
泳ぎトレーニングを挟み込めないか
東京からの横須賀線の中で思案する