男二人のカルボナーラ

2013年02月03日 | 風の旅人日乗
いま、ニュージーランド時間で午前3時前。
朝凪の時間帯を利用して、
今日の朝5時から始める予定のインクライニング(復元力計測)に、
寝坊などしたらまずいぞ、まずいぞ、と思いながらベッドに入ったら、
心配のあまりそのまま眠れなくなった、というお粗末な話。
意識しなくても、いつもその時間には普通に起きているのにね。
ま、こういうこともあるわな。

一昨日の土曜日。
ここのところ作業が遅れ気味なのに、
休みを取ってばかりいるこちらの関係者にイラつきながら、
週末もへったくれもあるもんか、と一人で作業を続けていた。

そんな、気持ちが疲れ気味のぼくのことを心配したのか、
夕方4時すぎに、リチャードが艇まで来て、
「オレの船でさ、これから近くの島までセーリングで行って、
アンカリングしてワイン飲んで、
一晩のんびりしてから帰ってこようぜ」
と誘ってくれた。

そんなことしている場合じゃないのだけれど…
と内心では思いながらも、
息抜きできていないぼくのことをを心配してくれていることが
とてもよく伝わってきたので、
素直に誘いに従うことにした。

寝袋と着替えと歯ブラシと、読みかけの本を取りに
宿に寄ってから、
夕方5時半、男二人でプチ・クルージングに出港。



ランギトト島を左に、ミッションベイを右に見ながら
風上にある、何度聞いても名前を覚えられない島を目指す。

1時間ちょっとで、その、ブラウン島とワイヘキ島の間に浮かぶ島に着き、
2枚のセイルをファーリングして、錨を下ろす。



リチャードがカルボナーラを作るのを見ながら、
冷えたビールを飲む。

カルボナーラ完成後、
お酒をビールからワインに替えて
オークランドの街並の向こうに沈む
でっかい太陽を見ながら
コクピットで晩御飯。



いい歳をしてこういう写真を載せるのは、
とても恥ずかしいんですけどね、
一応載せますね。
こういう感じの男二人飯でした。



何回お代わりしても尽きない膨大な量があり、
味はともかく、量には大満足。上出来。

リチャードとはジャパンカップでも何度か一緒に乗ったし、
海外のレースでは、敵味方で闘った間柄。

ピーター・ブレイクのクルーとして世界一周レースにも乗った
リチャードから、セーリング中のピーターのことや
レースのことをいろいろと聞く。
何回も聞いた話だけど、何回聞いても面白い。

こちらも無尽蔵に出てくるワインの酔いもあって、
日本での仕事の悩みや人間関係の悩みなどを、ついこぼす。
話すことで気が晴れたし、彼のアドバイスも気に入った。

降ってくるような南半球の星空を久しぶりに堪能したあとの、
あるかないかの波に揺られながらの睡眠も完璧だった。

翌朝は、サッポロ一番醤油味とコーヒーの朝食後
錨を上げて、
開催中の『セイル・オークランド』のレース海面で、
ロンドンオリンピック金メダルの470クラスNZ女子チームの
セーリングをじっくり観察。
上手な人たちに操られている船は、どんな艇種であれ、
伸びやかに、とても美しくセーリングするよね。

お昼前には帰港し、仕事好きのニッポン人は、
そのまま自分の船に戻って作業を続けましたとさ。



故ピーター・ブレイク

2013年02月03日 | 風の旅人日乗
オークランドでJPN6630を臨時係留している
ウエストヘブン・マリーナのS桟橋の前には、



日本でいえば日本セーリング連盟に当たる
ニュージーランドのセーリングの国内最高機関、
ヨッティング・ニュージーランドの事務所がある。

その駐車場には、レガッタ開催時の支援車として
ニュージーランド各地のレース会場に持ち込まれる
トレーラーが2台、停めてある。



チームニュージーランドのスキッパーである
ディーン・バーカーや、
ニュージーランドのボードセーリング界の生きた伝説
バーバラ・ケンドールの写真に混じって、
故ピーター・ブレイクが遺した言葉が大きく書いてある。



写真が小さいけど、読めますか?
いい言葉だな、と思う。

2000年の3月末。
ピーター・ブレイクは、
ラッセル・クーツとブラッド・バタワースとチームニュージーランドとの
ゴタゴタをなんとか解決しようと最大限の努力をしながら、
それと並行して、
南極を経由してアマゾン河を源流近くまでさかのぼる
自分自身の航海の準備を進めていたのだが、
そのピーター・ブレイクに、共通の友人を介して
「この航海は無理だが、その次の航海には、乗せてあげることができると思う」、
と言ってもらった。

2000年1月にチームが予選敗退して以来、
日本のアメリカズカップ挑戦のありように、
ぼくはそのころ非常に深い疑問を持ってしまって、
これまでとはまったく異なる挑戦理念が必要であることを痛感していて、
ピーター・ブレイクからも、何かを学び取りたいと考えていたのだった。

その9ヶ月後の2000年12月、
ピーター・ブレイクがアマゾン河で海賊に殺されてしまうことなく、
ピーター・ブレイクの『次の航海』があったなら、
ぼくの人生はその先どんなふうになっていただろう?

いろんな偶然がたくさん作用して、
それぞれの人間の、今の人生があるんですね。



12年前、ここで、ピーター・ブレイクの追悼式典が行われた。
この芝生は、
ごく普通のニュージーランドの人たちで埋まった。

芝生に座るぼくの横を、人目を忍ぶようにして
サングラスをかけたラッセル・クーツとブラッド・バタワースが
通り抜けたことを、まるで昨日のことのように思い出す。