1月17日(月)のつぶやき

2011年01月18日 | 風の旅人日乗
04:30 from goo
東遊園地公園 希望の灯り #goo_compass-nishimura http://bit.ly/fAO5rs
07:03 from goo
AC45の0号艇、初セーリング@オークランドNZ #goo_compass-nishimura http://bit.ly/hbKWKL
17:24 from web (Re: @tw_umiusagi
@tw_umiusagi ニッポンのAmerica's Cup挑戦に関わった研究者たちを含むチームが、大型本船にも採用研究中ですよ。実用化されたらタメさん、いよいよ出番ですね。http://www.nangokusyuka.co.jp/store_kawasaki/
20:00 from web (Re: @tw_umiusagi
@tw_umiusagi 前のと違ってこの計画のキモは、主たる動力は帆、エンジンは出入港用の補機。つまりウイングセール装備の現代型帆船という部分だそうです。こういうコンテナ船で、ティークリッパーの時代のように、例えばシスコスタート本牧埠頭フィニッシュのレースとかやったら楽しそう。
by KazuNishimura on Twitter

AC45の0号艇、初セーリング@オークランドNZ

2011年01月17日 | 風の旅人日乗
2013年に開催される第34回アメリカスカップの、今年度の予選シリーズに使われるAC45クラスが、昨日オークランドで初のテストセーリングを行なった。
特に、若い世代の日本人セーラーにじっくり見てもらいたいので、敢えて大きな写真のまま紹介します。


[Gilles Martin-Raget撮影写真を、水平線を水平にする目的で編集]

古き良き時代のノスタルジックを好む一部アメリカスカップ・ファンが嘆いたとしても、
次世代のための、未来のセーリング・スポーツの道を開拓しようとしている人たちが
熟慮して導き出した高速マルチハルによるアメリカスカップは、
いよいよ現実のものとして近づいてきた。

時代は、次のステージに向かって動いている。
後ろばかり見ていては、取り残されるぞ。
古い世代のセーラーのひとたちはそれでもいいかもしれないが、
君たちのような、未来ある若い世代のセーラーはそれじゃあダメだ。

日本の若いセーラーのみんな、現実を見つめよう。
人間が、技術の進歩についていかなければならないのは、セーリングも同じだよ。

恐れることはない、実力がありさえすれば、どんなヨットも乗りこなせる。
オイラだって、最初はびびったけど、110フィートの高速トライマランで41ノットオーバーのステアリングだってできた。
みんななら、もっとヘッチャラなはず。

みんなの中の、努力をした選手が、このAC45クラスやAC72に乗って世界のトップ選手たちとセーリング界の頂点にあるカップを争うレースができるよう、オイラたち世代(の一部)が交渉事とかで頑張るからさ、できれば、ついてきてほしいな。

ま、映画の『ライトスタッフ』を観て、どちらがかっこいいと思うかは、君次第なんだけどね。

東遊園地公園 希望の灯り

2011年01月17日 | 風の旅人日乗
16年前の今日は、神戸をあの地震が襲った日。

朝起きてテレビをつけたとたんに、真っ黒な背景にオレンジ色の炎がいたるところで明滅している画面が現れた。
ヘリコプターから撮影している、神戸の辛い早朝の光景だった。

あの地震は、こんなに寒い時期のことだったんだ。

去年の初夏の、ある日の爽やかな早朝。
その日の西宮での仕事前に、三宮のホテルからフラワーロードを通って第4突堤まで散歩した。
学生時代、練習船が神戸に停泊しているときに、神戸で仲良くなった女の子たちなんかとよく行き来した、楽しい思い出が詰まっている道。

散歩からの帰り。
以前からこんな公園あったかな? と思いながら東遊園地公園を歩いているときに、
小さな炎が揺れるモニュメントを偶然目にして、近寄った。

何も考えずに写真を撮り、ホテルの朝食が始まる時間を気にしながら碑の説明書きを見て初めて、
それが震災慰霊碑で、炎は「希望の灯り」と呼ばれるものだと知った。



わずか十数年前の出来事なのに、他人事として忘れかけていた自分を恥じた。
碑に記された文章を読み、被災した人々の苦しみ、無念、辛さ、そして頑張りを思い、
涙が止まらなくなった。

下は、少し正確ではないかもしれないけど、写し取った碑文。

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1995年1月17日、午前5時46分 阪神淡路大震災

震災が奪ったもの

命 仕事 団らん 街並み 思い出


震災が残してくれたもの

やさしさ 思いやり きずな 仲間


この灯りは 奪われたすべての命と

生き残った私たちの思いを 結び繋ぐ
------------

自分がまだ生かされていることに感謝し、
生かされているあいだはキチンと自分の人生を貫き、
そしてその人生で学んだことを、
次世代にバトンタッチしていかなきゃ申し訳ないのだぞと、
本日改めて肝に銘じる。

1月16日(日)のつぶやき

2011年01月17日 | 風の旅人日乗
09:55 from web (Re: @dairoku126
@dairoku126 そういう海を見ながら育ったんで、東京湾は湖にしか思えませんでした、最初は。この強風の中、本日空から相模湾に戻ります。大丈夫かな、ひこーき。
20:03 from web
葉山に、せいかん。大揺れしている翼の下に伊豆大島見て、昔読んだ松本清張木星号事件思い出してびびる。南半球ニュージーランドのオークランドでは、AC45ウイングマスト無事立つ。
21:08 from web
葉山にせいかんし、久し振りに落ち着いてパソコンに向かう。今日のいといさんの言葉に、しばし立ち止まる。最後の一行の前に、どっかと座り込む。そーか。 http://www.1101.com/home.html
by KazuNishimura on Twitter

1月15日(土)のつぶやき

2011年01月16日 | 風の旅人日乗
15:59 from web
北九州玄界灘の波予想5メートル。昔の船乗りを苦しめた玄界灘、いまも健在。
16:47 from web (Re: @west1173
@west1173 清澄通りを豊海埠頭方向に向かって初見橋交差点から2つ目の角に食堂あり。もんじゃにキッパリと背を向けた潔しの定食屋。席に置いてある『食べるの自由』の肴で食前日本酒も良し。北九州で、荒れる玄界灘に怯えちゅう。
by KazuNishimura on Twitter

情報間違えました。AC45の一般公開は2月8日。すまぬ、すまぬ。

2011年01月14日 | 風の旅人日乗
すまぬ、すまぬ。
1月15日から18日までの、一連のAC45バイアダクトイベントは、正式に挑戦しているチームと挑戦の可能性を示唆しているチームだけが招待されている特殊イベントでした。

2月8日が、一般メディアへの公開セレモニーです。
オークランド在住の方、たまたまニュージーランドを旅行中の方、スミマセン、スミマセン。
1月17日、18日に行っても見せてもらえないと思います。
スケジュール調整可能なようなら、2月8日に変更してください。

AC45の0号艇進水式は、 来週の火曜日1月18日

2011年01月13日 | 風の旅人日乗
the 34th. America's Cup Race Managementからの連絡。
AC45の0号艇の進水式は来週火曜日、ニュージーランドのオークランドのバイアダクトハーバーで。




そして今週末の15日、16日、そして進水式前日の17日にも、AC45の組み立ての様子が公開される予定。



オークランド在住の方、たまたまオークランドを旅行中の方は、是非見に行って、レポートを送って下さい。

奇しくもAC45が進水するその日、ワタクシは、
「日本の次世代のセーラーを元気にするために、日本のアメリカスカップ挑戦の道を模索するべきです」、
という提案を、東京近郊で、さるお方にさせていただく予定。

その会合のための資料作りを、時間を見ては鋭意進めているところ。

最近気が付いたこと

2011年01月08日 | 風の旅人日乗
一日の始まりにツイッターの自分のページをスクロールするだけで、自分の興味のある、あるいは必要としているジャンルの最新情報が、
素早く手に入って、しかも楽しい、ということに、最近気が付いた。

まだまだ、ツイッターの世界で自分がどんなふうに振舞っていればいいのか、及び腰のままでいるツイッター初心者で、
例えば、誰か友人とパーソントゥーパーソンのメールで話すべきことなのか、ツイッター上でやりとりしていいことなのか、
他人様たちのやりとりを見ながらも含めて、疑問に思ったり、判断できなかったりすることも多い。

しかし、少なくとも情報の受け取り側としては、毎分毎秒無限にあふれ出てくる様々な情報から、
自分に必要のある情報の見出しだけを抜き取って、そこからそれらの情報の本文にも入っていける、
というツイッターの、すごい利用価値は認めざるを得ないな、と思う。

アメリカスカップのオーガナイザー、ホクレアのクルーたち、海外レースで闘っている日本人若手セーラーたち、
逗子で面白いウインドサーフィンの大会を企てている人たち、子供の教育に問題意識を持っている人たちなどなど、
自分が興味を持っているそんな人たちのツイートだけを、夜明け前の、まだ汚されていない朝の目覚めの読み物にするのは、
くだらない芸能ネタやでたらめな政治家たちやその他殺伐としたニュースの文字や写真を目にせざるを得ない一般ポータルサイトのページを開くよりも、
圧倒的に楽しいと、今のところ思う。

America's Cupとサンフランシスコと江の島と富岡八幡宮の巻

2011年01月06日 | 風の旅人日乗


イラストは、第34回America's Cup開催地に決まったサンフランシスコのアメリカスカップビレッジ構想。
サンフランシスコジャイアンツのAT&Tパークの周囲に広大なアメリカスカップ村ができる。
日本人にとって、ニューポートよりも、フリーマントルよりも、サンディエゴよりも、ニュージーランドよりも、もちろんスペインよりも、
これまでで最も身近な場所でアメリカスカップが開催されることになる。

日本時間の午前中、サンフランシスコ市長とオラクルレーシングのラリー・エリソンが出席したセレモニーが現地で執り行なわれた。

昨日は、江の島亭での新年会の前に、江の島神社にお参りしようと計画したのだけど、
逗子行きのバスが20分くらい来なかったことから始まり、鎌倉では江ノ電での乗り継ぎにも時間を食い、
強く吹き始めた南西風をまともに受けながら前かがみになって橋を渡って参道の入り口に着いたら、
1月5日平日、とは思えないくらいの大変な人出。

下から見上げても人で溢れているメイン2つの社を見て、お参りしていては集合時間に遅刻確実と判断。
西に回り込むわき道に逸れて、奥津宮を目指す。
手を清め口をすすいでから奥津宮の社殿に向かい、天井板から四方八方を睨みつける亀の絵に目で挨拶してから、
社に二礼二拍手一礼。本年の無事を祈願。

奥津宮の亀の絵の写真を撮っていたwestさんこと西岡さんを発見し、一緒に江の島亭へ。
ダイロクさんはすでに到着、すぐにクワハラさんも登場して、宴開始。
寒風に吹かれたので、ビールは飛ばしていきなり菊正宗の熱燗で、新年の乾杯。
うまいー。あったまるー。

窓の下に見える海は大荒れの気配になり、鵠沼海岸には波が押し寄せている。
西のほうを見ると、富士山の五合目辺りから上は雪雲に覆われている。さむいんだろうなあ。
こちらは菊正宗のお陰でホンワカとしてくる。

江の島亭にラストオーダーまで居て、それから江の島大橋袂のクワハラさんの仕事場に場所を移す。
1リットル壷に入った焼酎と、普通に食べたら1週間分はありそうだったすごい大きさの塊りハムが、
いろんな話のキャッチボールの間に、あっと言う間になくなった。
仕事の話もできちゃったし、ホクレア関係の相談事もできちゃったし、いい時間になりました。

今日は、夕方江戸に出て深川の富岡八幡宮にお参りした後、
門前仲町で小笠原父島のM出さんと新年会&仕事の相談の予定だったが、
M出さんからお昼前にか細い声で、風邪で病臥中、宴延期させての電話あり。

なので、昼前から始めた仕事、このまま深夜まで続行予定。

今日は江ノ島

2011年01月05日 | 風の旅人日乗
第34回America's Cup関係者から、今日もメールが着ている。
自分のところで留めておくわけにはいかないので、長老たちに相談の上、ある人物に報告するために、これまでの経緯や、提案資料をまとめる作業を続ける。
その間、飯を食うための自分の仕事ができないが、仕方ない。これはこれで、とても大切なことだと思うから。

午前4時、オリオン座のミンタカが沈む時間になったので、作業を中止し、ホクレアに乗るときに使っているマグカップにコーヒーを入れ、森戸の浜に、仮想航海に出かける。

森戸の浜から西の方向を見てみると、森戸神社の新年灯明の灯りがとても明るく、沈んでいく星々が見えない。
なので、神社裏の浜まで行き、波打ち際に座り込んで、
真南よりも4ハウス西のMANUへ船を進める、という想定の仮想航海を始める。

この時間だと、沈むミンタカで真西を確認することができる。

地平線付近に近づいてきたオリオン座は、驚くほどデッカイ。
天の赤道上にあるミンタカは富士山の南に消え、赤いベテルギウスは江ノ島のちょっと北で見えなくなった。

西端のミンタカを含む3つ星は、昔の日本では住吉三神と呼ばれ、航海の神様とされていたらしい。
天の赤道上にあって、どの緯度を航海していても必ず真東から上がってきて真西に沈む星は、航海者に方位を知らせてくれる大切な星だったのだろう。
日本人のぼくには、オリオンベルトなんて、縁もゆかりもない国の神話に由来した名前はしっくりと来ない。
この星々に住吉三神という厳かな名を付けた、航海者だった祖先のセンスを誇りに思う。

シリウスは、今日はプリズムを通して見ているように、なぜか7色に忙しく色を変えていた。

その上に、プロキオン。
プロキオンのハワイ語名は、プアナ。いい響きだね。ナイノア・トンプソンの、2歳になる娘の名前でもあります。
ナイノアかあ。
仕事用パソコンに『ナイノアからの宿題、一刻も早く』と自分で書いたメモに、この数ヶ月追いかけられている。




[一応夜空の写真なんですが、真っ黒け。うまく撮れるときもあるのにな。なんで?]


仕事に戻らなければ、と思いながら仮想航海を終えることにして、伸びをしながら背中の空をふり仰いだら、
ホクレアがほぼ真東上空で瞬いていた。

準備、先に進めなくていいの?と、空から語りかけてくる。
分かっていますよ。分かっていますけど、優先順位というものがありまして、と自分自身に言い訳をしながら砂浜を歩く。

でも今日は、この件のアドバーザー的サーファー/パドラー/セーラーの皆さんと、新年会を兼ねた集まりがあって、夕方から江ノ島に行く。
その数時間は、ホクレアのことをズッポリと考える数時間にしよう。

仕事を早く終わらせて、待ち合わせの時間より少し早めに江ノ島に行って、江ノ島神社にもお参りしようっと。
初詣の人出も少しは減ったかな。

行動開始

2011年01月04日 | 風の旅人日乗
セーリングの、熱い話を、久々に、お隣のお宅で、ご主人とその友人と。
ウインドサーフィン人気を再び燃え上がらせたいというパッションを胸に奔走されているお2人の話を聞きながら、閉塞感漂う日本のヨット・セーリングの世界に思いを馳せる。
あきらめたら終わりなのだなあ、と改めて思う。

お2人が、もう一人の仲間と三人で計画しているのは、相模湾でこの冬一番面白そうなウインドサーフィンのサーフ&セーリングイベントだ。



ウインドサーフィンの魅力を、よりたくさんの人たちに知ってもらいたい、という三人の活動の、最初の一歩だ。将来は、ワールドカップの日本招致も見据える。
そうして最終目標は、
遠い将来に生まれてくる孫たちに
「おじいちゃんは何をしてきた人なの?」
と聞かれたときに、
「おじいちゃんはなあ、日本のウインドサーフィンをこんなにメジャーなスポーツにした人なんだぞ」
と答えること。
いいなあ。

静岡県の御前崎で開催されていたサムタイム・ワールドカップのレース運営を、第1回の1984年から1989年まで担当した。
その後、強引に入り込んできた広告代理店Dの担当者の、なんでも独り占め的やり方に吐き気を覚え、あの世界の仕事から離れたが(その後その担当者は麻薬で捕まったっけ)、あのときのウインドの選手たちとの付き合いを、今でも懐かしく思い出す。

当時は、ウインドのレース運営は、自分がヨットレースに出るための資金を稼ぐ仕事として割り切っていたが、その仕事や、彼ら選手たちから学ぶことも少なくなかった。
ヨットのプロセーラーがほとんどいなかった時代に、彼らはすでにセーリングすることそのもので飯を食っていたのだった。
男子選手も女子選手も、すごくカッコ良かった。次世代の若いウインドセーラーにとって、彼らは光り輝くスターだった。

あの時代に比べると、現在の日本におけるウインドサーフィン人気は、すごく低迷しているのだという。
ヨットでのセーリングの人気の凋落ぶりもすさまじい。
マリンスポーツ全体の人気のしぼみ方も、半端ではないらしい。

セーリング界の先輩のお年寄りたちは、ただただそれを嘆いていて、行動を起すことをしない。

でも、この、30代の3人は、違うみたい。
未来を信じて、自己資金も時間も使って、実際の行動を起した。

愚痴ってばかりで行動しない人たちと話をするのはもうやめよう、と思う。
申し訳ないけど、時間の無駄だということに、やっと気が付いたのだ。

それよりも、こういう人たちと話しているほうが勉強になるし、楽しいし、勇気も沸いてくるし、未来を見たくなってくる。

というわけで、美味しいお酒を存分に飲んだ楽しい夜をすごしたあとの仕事始め、
さてさて、行動開始といきますか。


2年後のサンフランシスコ

2011年01月03日 | 風の旅人日乗
2年後の、2013年3月にサンフランシスコで開催される第34回America's Cup想像ビデオ

ベイブリッジ奥の、サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地AT&Tパークを中心にした両サイドの広大なエリアが、かつてない規模のアメリカスカップ・ヴィレッジになる。

中国と韓国の御両国とも、参加準備を具体的に進めている御様子。
本当に、日本は出なくていいのかな?

12月31日(金)のつぶやき

2011年01月01日 | 風の旅人日乗
01:56 from web (Re: @miranira
@miranira ありがとございます。テーマのくくり方の問題で課題ひとつありますが。ガス台おめでとうございます。
02:08 from web
外見るに雨降った気配なく、風なく静か。天気図見るに関東沖の低気圧からの寒冷前線まだ東西に寝ている。日本海にある低気圧と合体しつつこれが南北に立ってくると、葉山にもすごいのが吹いてくる。嵐の前の静けさ。
05:37 from web
夜明け前。葉山は北風に西っけが混ざり始めたけど、まだほとんど無風。三浦半島先端では西北西が17ノットまで上がってきたという情報。もうじき葉山にも来るな。
07:00 from web
浜に出て、雲間に時々見える星の名を言い当てる一人練習。冷たい西南西風を頬に受けていると、セーリングで海に出たくてたまらなくなった。来年はもっともっと海に出られるようにと願う。早く肩直さなきゃな。
19:02 from web
官報天気予報を信じ過ぎ、大風恐れ過ぎた大晦日。周囲の悲観的な言葉を気にし過ぎた、ワタクシの2010年を象徴する日だったような気がしています。
2011年が、皆様にとって素晴らしい年になりますよう。
by KazuNishimura on Twitter