風の旅人 西村一広 Sailing Diary

海とセーリングだけの人生で考えたこと、悩んだこと、感動したこと、学んだこと、あれやこれや。

第33回アメリカズカップを考える(その1)

2008年03月25日 | 風の旅人日乗
(ニューヨークヨットクラブで不敵な笑顔を見せる現在のアメリカズカップ保持者アーネスト・ベルタレーリ(左)/thedailysail)

先週のニューヨーク最高裁でのハーマン・カーン裁判長の判決によって、第33回アメリカズカップの挑戦者は、アメリカのゴールデンゲート・ヨットクラブに決定した。防衛側のソシエテノーティーク・ド・ジュネーブとアリンギがこの判決に対して上告をしないことを発表したから、この決定が覆ることはなくなった。
1988年以来の、他の挑戦者がいない、1対1の対決になる次回のアメリカズカップで使われる艇が「水線長90フィート以内、幅90フィート以内の”キールボート”」になることも認められた。
残るは、「どこで」と「いつ」の問題だ。

「どこで」については、今週か来週に予定されている両者の話し合いによることになる。
ソシエテノーティーク・ド・ジュネーブのスイスには海がないからソシエテノーティーク・ド・ジュネーブの地元では開催することはできないはずだ。
スペインのバレンシアかドバイ、というのが海外のジャーナリストの予想だ。ゴールデンゲート・ヨットクラブ=BMWオラクルレーシングが現在建造を進めている90フィート・マルチハル艇がどのようなコンディションに合わせて開発されたのかに、ゴールデンゲート・ヨットクラブの提案は影響を受けることだろう。

「いつ」については、「挑戦者が挑戦状を出してから10ヶ月以降」という贈与証書に定められた規定にのっとれば、ゴールデンゲート・ヨットクラブが挑戦状を出したのが昨年2007年の7月だったから、今年2008年の5月に挑戦を受けていただきたい、とゴールデンゲート・ヨットクラブはソシエテノーティーク・ド・ジュネーブに申し入れることができる。
仮に、「今回の件で最終判決が出たのが2008年の2月だからそれを実施時期の起点としていただきたい」というソシエテノーティーク・ド・ジュネーブの言い分を受け入れたとしても、ゴールデンゲート・ヨットクラブは今年11月の開催を要求することができる。
しかしソシエテノーティーク・ド・ジュネーブは、「そんなに短期間に準備できない」として、2009年7月開催を、主張した。その、「2009年7月」というソシエテノーティーク・ド・ジュネーブの提案には、ゴールデンゲート・ヨットクラブは明確に「ノー」の答えを出した。

ここで、ゴールデンゲート・ヨットクラブ=BMWオラクルレーシングのCEOであるラッセル・クーツが2004年にソシエテノーティーク・ド・ジュネーブ=アリンギとなぜ袂を分かつことになったのか、を思い出してみる。
2003年に初挑戦でアメリカズカップを獲得して、アメリカズカップの“興行権”を手に入れて有頂天になったアリンギのオーナー、アーネスト・ベルタレーリは、第32回アメリカズカップの運営方法(開催地選択の問題も含めて)などでラッセルと意見が衝突し、これ以上ベルタレーリのやり方には着いて行けないと判断したラッセルが、半分放り出されるようにアリンギを離れた。

ぼくが個人的に付き合っている限りで言えることだが、ラッセル・クーツという男はとてもフェアな人間で、また、彼はセーリング競技のシンボルとも言えるアメリカズカップを、その歴史も含めてとても大切に思っている。ラッセルが一刻も早くアメリカズカップをベルタレーリの手から奪い返したい(元々は、ラッセルがスキッパーとしてオーナーのベルタレーリのために勝ち取ったアメリカズカップだ)と考えていてもおかしくない。
そうであれば、今回のチャンス(これも元々はベルタレーリが、自分の傀儡としてスペインの社交クラブを小賢しいやり方で挑戦者代表ヨットクラブに祭り上げ、その不正を暴くべくゴールデンゲート・ヨットクラブが法廷に訴えたことに端を発している)を確実にものにして、アメリカズカップを彼の手から引き離したい、と考えるはずだ。

これからすると、ゴールデンゲート・ヨットクラブは贈与証書で定められた範囲で最も早い実施日を要求する可能性が高い。ただし、ひとつ不確かなこととして、フェアな戦いを好むラッセルが、アリンギにも準備期間を与えるために、主張に温情を加える可能性があるかもしれないという可能性が残ってはいるけれど…。
コメント