昨日、神戸の友人からほろ酔い加減の中で、ぼくの足のことを心配して電話をくれました。彼とはもう40年来の友人なのですが、ことあるごとに今も連絡してくれる律儀な人なのです。
最近彼は、自分の住む地域に知的障がい者の施設ができ、地域ぐるみで応援しようということで、先日資金確保のためのバザーを展開したので、ぼくも自作の水彩画を10点あまり送りました。それを販売するということなので、役に立つのかどうかお任せということで提供したのです。
どうやら半分は売れたとの連絡をくれたのですが、そのお礼として「神戸ワイン」を送ってくれました。昨夜の電話で、「飲んでの感想をきかせて」というので、「お正月に飲むことにしている」と返答すると、「早く飲んでくれ」との催促。
というのは、折角神戸の六甲牧場で製品化されたのに、今あまり市場販売をしていないらしいと嘆いているのです。そんなわけでストックしている人から特別に分けてもらったというのです。飲んでの感想を聞かせてほしとのことでした。
理由はわかりませんが、ぼくは神戸を離れてもう25年も経っていますので、懐かしく思い、近々コルクを開けようと思っています。
彼は今、地域のボランティアとして、今までには出会わなかった人とも出会い、充実した活動をしているのですが、半面、自分自身の多様な楽しみなどを続けていることに、これでいいのだろうかと反芻している様子でした。
ぼくは彼と話していて、人間の生き方には、半分は自分のために、半分は社会と人のために時間を取ることが大事ではないかと思ったのです。何もかも捨ててボランティア活動にのめりこむというのは悪くはないが、いつしか一人よがりになったりして、「ために」に力点がおきすぎるように思うのです。
彼はこんな言葉を教えてくれました。「偽」という漢字は「人偏に為」と書き、人が誰かのためにと力むことは、偽なのだと戒めているようです。漢字はうまくできている、と話してくれました。
彼が電話をかけてきた翌日、ハワイに10日ほど行ってきます、と話していました。それでいいのだと思った次第です。
やさしいタイガー