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時は元禄15年のことから

2012-12-13 21:34:15 | 日記・エッセイ・コラム

 ”時は元禄15年12月14日、大石内蔵助率いる赤穂浪士47士は、宿敵吉良上野介邸を襲い、主君浅野内匠頭の怨念を晴らし、首級をあげるのでありました”という事件もので、忠臣蔵は今なお根強い人気があるようです。

 映画にテレビなどが年末になると上映されていて、大いに視聴者の人気を得ています。なぜ今もこんなに人気があるのでしょうか。ぼくはそんなに分析する力はありませんが、ぼくなりに考えてみると、なるほど頷けるポイントがあるようです。

 事件が起こったのは、1701年元禄14年3月14日のことです。江戸城殿中松之廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭が何かと因縁や嫌がらせをする吉良上野介を切るという事件が発端です。その結果、浅野内匠頭は切腹を命じられるのですが、吉良はお咎めなしということになり、今の兵庫県の西に位置する赤穂の留守を預かる大石内蔵助が、元禄15年12月14日、主君の無念を晴らすために吉良邸に47士とともに押し入り、存念を晴らすということです。

 何でも主演の大石内蔵助役をやりたいために、ギャラは少なくもよいという俳優が出るほどで多分役者冥利に尽きるのかもしれません。

 300年を経た今日、軽々しい候補者の叫び声を聞きながら、この事件から知ることのできる面を考えてみました。

 何より、組織としては見事な戦略があります。大石が長い期間をかけてどう対処するか、突き詰めた作戦でもあったのです。

 集められた47士は、強制ではなく、自らの選択なのでした。こんな命をかけるような選択をするには、指導者の優れた信頼感、リーダーシップが必要です。さらにこうした人材を束ねる大石の統率力、決断力、実行力や凝集力がなければ誰もついていかないはずです。

 多分、大石の人格が優れていたのでしょう。人を見る目や関係ない人への厳しくやさしい心を持っていることも魅力なのではないかと思います。大石は仇討ちを果たした後のことも考え手を打っていました。

 こうして目的を果たすまで、決してぶれない指導者に共感を受けるものです。今でも人気が高いのは、そうした権力を振りかざす人物に、一刀を振りかざすところに、共感を呼ぶのかもしれません。

 今の時代、このような人材が育たないのは、大きなことはいくらでも言えても、困っている人や弱者の小さなことに目もくれない人が政治の世界に出ているからかな、と思います。

 今年もあとわずか、忠臣蔵がまた放映されるのかどうかはしりませんが、選挙も一段落した後に、こんな痛快なドラマを見るのも、よい年末かもしれません。

やさしいタイガー 


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