人はいつも何かで悩む存在だとふと思いました。職場の人間関係、環境、仕事の質、時には経営方針に疑問を持つ、そうした職場における息苦しさはどこにもあるといえば少しおおげさでしょうか。僕もかつてはそうした事に悩んで精神的に頭打ちになったこともしばしばでした。
職場では何と言ってもよい上司に恵まれることが快適にする第一です。厳しいがどこかに人間味のある優しさをもち、明らかに若い社員たちを育てていこうという中堅層の謙虚な人柄によって気分よく働く事が出来るのです。
ところが今の中堅層の中には、そのポジションに値しない人が随分見かけます。社会全体がといってしまえば一言で片付くのですが、やっぱり会社も社会も人によって構成されている以上一人ひとりの人間が自分の分野に責任を持たなければ成り立ちません。その一人が問題のために組織をおかしくしていくのはいつの時代も一緒です。ぼくも経営者の多い集団に入っていますが、首をかしげたくなる人も多々います。
無論、すべての人がスーパーマンのような優れた人ばかりだとこれまたしんどい話しです。僕はコミュニケーションの研究をしているのですが、職場はどうしても上下関係を産みます。それによって生理的嫌悪感を前面に出す上位職もいます。入社早々の人も、かつて張り切って入社した人でも今では錆びた刀のような人物もいます。混在とした人間の中できらりと光る上位職を見つけるのはそう容易な事ではなさそうです。
経験の乏しい社員も我慢するのではなく、悩みが自分の人生の将来に益となるのか考え、ノーという結論を見出したときは、会社に希望がないと思って新しい道に向かうことも選択の一つかもしれませんね。こんな冷え切った職場では人間を創る事が出来ないでしょうから。
やさしいタイガー