喫茶 輪

コーヒーカップの耳

植原繁市のこと

2019-11-04 21:49:22 | 本・雑誌
『一九三〇年代モダニズム詩集』を読み終えたのだが、もう一つちょっと気になることが。
中に「神戸詩人」の同人として「植原繁市」の名前がちょこちょこ出てくる。
この名前にも覚えがあって、昔、加古川の詩人、高橋夏男さんが『花と流星の詩人・植原繁市論』というのを私家版で出されているのだ。これが『一九三〇年代…』には参考文献に上がっていない。編者の季村さんは当たられたのだろうか?
当然当たっておられるだろうな。けれども、取り上げるようなものがなかったということなのだろう。
わたし、高橋さんに献呈受けたはずなので、確認しようと思ったのだが、例によって始末が悪いもので見つからない。
困ったものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山下春彦さんのこと

2019-11-04 08:58:07 | 
『一九三〇年代モダニズム詩集』(季村敏夫編)を読んでいたら、思わぬ名前に出会った。
「山下春彦」。
覚えがある。
昔わたしが所属していた同人誌「風媒花」に一時期加入しておられた津山市の人。
自ら「神戸詩人」の生き残りと言っておられたのだった。
但し、わたしはお会いしたことがない。
静かないい詩を書く人だったという印象だ。
今またバックナンバーを出してきて読んでみたが、やはりいい。
「風媒花」には1992年2月から1995年7月まで所属しておられる。
その1995年に初の詩集『誰もいない』を出しておられる。
わたしも恵送いただいたはずだが、今見つからない。
それから、『1930年代モダニズム詩集』からの情報だが、なんと『漱石全集を買った日』(山本善行・清水裕也)に山下さんのこの本のことが書かれていると。

『漱石全集を…』もわたしは先に読んでいたのだが、このことは読みぬけている。
注意力が足りませんねえ。
その山下さんが「風媒花」に短い随想を一度載せておられます。
《五十数年、中断していた詩が、ここ二、三年来、何となく甦り、近頃は詩を思うことが楽しくなりました。若い頃に較べると、今はずっと楽しんでいるようです。
人さまにどう思われようと、自分の感じたまま、そのままを言葉にする、それでよい。
大正ロマンの残照があれば、そこに自分の青春を置いたのだから、それはそれでよい、とも思うのです。
家業に埋もれていた五十年の間も、美しいものに対する少年のあこがれがまだ生きていて、今、甦ったことを詩神に感謝し、子供達や孫たち、そして一族の者たちに、私の過してきた生を、そして今の自分のあるがままの姿を残しておいてやりたい。ただ、それだけのことです。》

ここには、好々爺の姿しかありませんね。
わたしもこんな心境になりたいものです。
山下さんはこの随想を書かれた5年後の1997年にお亡くなりになっています。
この人も一度お会いしておきたい人だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝の特選詩は

2019-11-04 08:05:31 | 
今朝の神戸新聞「読者文芸」欄の特選詩。
←クリック。

今日はこの作品につきますね。他の作者には申し訳ないが、大窪純子さんのこの「挽歌」が突出していいですねえ。
生活詩は一段低くみられることがママありますが、このような作品を読むと、そんなこと全くないわけで。
うちの家内に読み聞かせてやりました。
すると家内は、「そんな歌、歌っても子どもは寝ない」と言いました。
そういえば家内はちゃんとした子守歌で子どもを寝付かせてはいなかったです。
日本の子守歌もシューベルトも歌わなかったです。
自分で作った歌を歌ってました。
思い出して歌ってもらいました。
「ネンネコチャーン ネンネコチャーン ネンネーコチャンッ♪」
曲も自分で作ってということです。
この方がさっさと寝ると。
孫たちもこの歌で、家内の背中でコロリと寝たものでした。

選者の時里氏の評です。
←クリック。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょいと今津浜まで

2019-11-03 16:56:06 | 健康・病気
このところ運動不足になっています。
で、少し外を歩いてきました。
今津浜まで。
普通に歩いて、往復一時間足らず。
帰宅すると同時に汗が噴き出してきました。
途中で摘んだ胸ポケットの木の葉、なんで濡れてるのかな?と思ったら、わたしの汗でした。


東川川尻から北を見た景色。


こちらは南方面、水門です。

今、今津港では巨大水門を設置する大工事が県によって行われています。
津波に備えてです。たしかに、この今ある水門では、予想される5,1メートルの津波には対応できませんね。

さて、今津灯台です。現役の灯台としては日本最古のものとのこと。

まだここにありました。
やがて移転すると聞いてます。

kohやsatoとよく来た浜辺。

やがてこの小さな浜辺は無くなってしまいます。
何とか残す方法はなかったのでしょうか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう一度『一九三〇年代モダニズム詩集』

2019-11-03 12:53:26 | 
今朝の神戸新聞の「ひょうご選書」に『一九三〇年代モダニズム詩集』(みずのわ出版・季村敏夫編)が取り上げられていました。

←二段階クリック。

この詩集のこと、先日ここでもちょっと触れました。『一九三〇年代モダニズム詩集』

ところでこの記事ですが。
評者は甲南大学名誉教授の中島俊郎さんという先生。
センテンスの長い文章で、わたしは二度読ませていただきました。
それでなんとか理解できたかな?という程度です。
始めの方にあるこの文なんか解りにくいですねえ。

《たんなるモダニズム詩のアンソロジーと考えてしまえば、火傷してしまうほど凝縮された世界が放射され展開している。》

その前の冒頭にある文はこうです。

《本書は素手ではもてない。白い瀟洒な装いの中から発される詩の熱量が尋常ではないからだ。》

とあって、先の文に続きます。
身構えちゃいますよねえ。
うわ~っ、よほど難しい本かと思ってしまう。
ところが、このような紹介もしてあります。

《そうした中にシネ・ポエムという竹中郁の「ラグビイ」もあった。「何を蹴っているのだろう。胴から下ばかりの青年。/〈ああ、僕は自分の首を蹴っている〉」と歌う竹中と、「私はあたしから離れよう/ピアノをぬけだすミユウズのやうに/時刻といつしよに地球の外へ滑り落ちる」(「青い貝殻」)と表現する矢向季子との詩における距離は何と近しいことか。その類縁性にはいささかも違和感がない。》

まあ、それほど難しくはないですねえ。兵庫県で多少詩を書いているものなら、それほど難解ではありません。
そして、結びですが、評者は当然言いたかったことなのでしょう。

《「恥辱を知らない彼らの不遜なことばへの接し方、たえ難い、ことばを刻み込む未完の行為こそ詩である」という編者自身の言葉へと重なっていくからである。》

あ、やっぱり難しかったでしょうか。わたしの弱い頭脳では余計に。
ということで、上の写真を二段階クリックして、ちゃんと全文を読んでみて下さい。そしたらよく解るのかもしれません。
わたしは、もう一度この本を読みなおしてみましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新平さんのエッセイ

2019-11-03 08:19:28 | 本・雑誌
常磐新平さんのエッセイ集『明日の友を数えれば』を読んでいるのだが、なんだろう、この味は。

それほど起伏に富んだ珍しい話が書いてあるわけではない。大きく心を動かせられるわけではない。
身辺に起こる、普通のことを淡々と書いてある、という風に見せかけて、実は、読者の知らぬ間に、読者の琴線に触れている、といった感じかな?
いや、見せかけるといった意識も新平さんにはないであろう。
しかし、大したことが書いてないのに飽きない。
するするするすると読める。というより読んでしまっている。
これぞ、新平さんの文章の技だろうか。
今読んでいるところ。「自動車といったころ」という題のたった一ページほどの話。こんな風に始まる。
《人によってそれぞれ違うだろうが、一生に車を何台買い換えるのか。その一台一台に物語があるはずだ。》
こんな風に書かれると、「さて自分はどうだっただろう?」と思ってしまう。
実際にどうだったんだろう?
最初は中古の「マツダK360」という軽三輪だった。昭和36年のこと。
免許証を取得してから58年をすぎる。まだ無事故。
次も中古の「マツダB360」これは軽四輪。
その次が「スバルサンバー」という軽四輪貨物車で、これが最初の新車だった。
次が初めての普通車で「マツダファミリア」、たしか800CCだったと思う。
これは貨物ではなく、ライトバン。これはうれしかった。四人乗りで乗用車の雰囲気があった。
これで初めて但馬まで二泊三日のドライブに六ちゃんと行った。
しかしこの車はよく故障した。クラッチが弱かったのだ。
それからあとは「トヨタカローラバン」ばかり何台か乗った。多分3台ぐらいは。これは1100㏄だったかな?
後に1500㏄になったのだったか。
そして、米屋を辞めたあとは、「トヨタカムリ」の中古車。
これは初めてサラリーマンをした時に会社から与えられた通勤車で、オンボロだった。
すぐ手放し、やはり中古だったが、状態のいい「トヨタカリーナ」に乗った。
これで3年間、鳴尾浜まで通勤し、その間、阪神大震災があったりした。
あ、その前に、米屋をしていた時、アルバイトとして宅急便の配達をしていたことがあった。
その時、マツダの軽トラックに少しの間乗った。これは中古車。
「トヨタカリーナ」の後は、今乗っている、「トヨタカローラフィルダー」の新車だ。
娘のkiyoが結婚する直前だったから、15年ほど乗っている。
もうこれが最後になるのかな?
と、こうして考えてくると、その一台一台に物語がある。
それを思い出すだけでも、新平さんがおっしゃる通り、本が一冊書けそうだ。

追記
 さっき大したことが書いてないと書いたが、読み進むとこんなことが書いてある。
 伊藤佳一の『悲しき戦記』からの引用だが。
《目達原(佐賀県)基地から出撃の朝、少女は見送りにやってきた。その特攻隊員が乗る機に彼女はとりつくなり、ひと声も発せず、「ただすさまじい勢いで、頬を涙が伝わっていた」。彼女についてきた娘が言う。「この人、物が言えないんです。この人の気持あたしききました。あなたが戦死した兄さんと似ているんです。だから好きなんです。わかってください。たとえ口がきけても、もう言葉じゃ伝えようがないでしょ。(略)あたしたち泣くだけです」》
若い特攻隊員と物言わぬ一少女の淡い恋の話。
そのあとこう続く。
《やがて特攻機は米艦隊の猛攻を浴びる沖縄に向かって一機また一機と飛び立ってゆく。その特攻隊員は眼下を見た。霞んで何も見えなかった。彼もまた泣いていたのだ。》
ちょっと、う~~~ん、と思ってしまいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飛行機雲

2019-11-02 17:06:17 | 日記
今日は快晴で青空いっぱいでした。
空が広く見えるのですが、そこに飛行機雲がいっぱい現れました。



航空自衛隊の訓練でしょうか。



東も西も、北も南も。



幾筋もの飛行機雲が大空に描かれました。





詩人杉山平一氏の好きな直線がいっぱい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柿とツワブキ

2019-11-02 12:16:55 | 日記
夏にご夫婦で同じ病院に入院し、長期療養されていたD本さんが退院してきておられるとお聞きして、ちょっとご機嫌伺いに。
ご主人はデイサービスに行っておられて奥様だけにお会いしました。
天気がいいのでお庭でお話しをしました。
この柿の実を、近くの保育所の子どもが近々採り入れにやってくることになっているとのこと。
低い位置までたくさん生ってますので、それはいいことですね。
街中でそんなことができるのは園児にとっていい体験になることでしょう。

わたしも帰りに柿の実をいただきました。
園児の邪魔をしないように、高い位置のものを取らせていただきました。

花瓶に活けて店に飾りました。


店の前の、日本盛の緑地にツワブキが咲いています。



毎年、ここに咲きます。


鮮やかな黄色です。

秋真っ盛りの土曜日です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

I君との香落ち戦。

2019-11-02 10:53:07 | 将棋
昨日、I君(小4)と指した香落ちの指導将棋の終盤図です。

手前がわたし。王手をかけられていますが、どう応じてもわたしの勝ちです。
この前まで角落ちでしたが、それは卒業として、昨日から香落ちに。ほぼ平手感覚になります。
I君の駒損をしての寄せが決まらず、指し切った形です。
しかしよくさばけた、いい将棋でした。
もう初段は十分にあると思います。
きっと近いうちにわたしより強くなるでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「三宅島でトマトを育てる。」

2019-11-01 21:00:00 | ドリアン助川さん
今月号の「図書」(岩波書店)を読んでいたら、ドリアン助川さんが書いておられる。
「三宅島でトマトを育てる」と題し4ページにわたって。
トマトを育てた自分の体験と詩とをつなぎ合わせた文章。

《(詩は)お金にならずとも、書き連ねた詩こそがその人の生きた証である。》
心に響きます。

最後はこう結ばれる。
《復興のお手伝いという意味では、私の役目は終わったようだ。だから、土地や家は手放して、静かに三宅島を去ろうと思う。イメージした収穫祭はできなかったが、主役は農園の人びとだ。詩である以上、引き際が肝心ではないか。残ったのは、(樹木)希林さんには食べさせてあげられなかったという未練だけだ。この哀しみがまた詩的である。》

この三宅島でのトマトづくりのことは、ドリさんのFBでいつも見ていた。
苦闘しながら成功に導かれたのだ。

ドリさんの文章の全文です。
二段階クリックして、ぜひ読んでみて下さい。
←二段階クリック。

←二段階クリック。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

常磐新平さん

2019-11-01 14:57:10 | 本・雑誌
常磐新平さんの『明日の友を数えれば』(幻戯書房・2013年5月刊)を読んでいる。
意味深なタイトルですが、エッセイ集です。

初版が2012年12月に出ていて、わたしのは2013年の第二刷です。
常磐さんは2013年1月にお亡くなりになってますので、なんとか生前に間に合ったということですね。
そして、お亡くなりになってすぐにこの第二刷が出たというわけ。
この本ですが、やはり喫茶店に関するものが多いです。
というのも、常磐さんは喫茶店がお好き。
うちの店「輪」は、オープン当初より「キーコーヒー」から豆を仕入れております。
その「キーコーヒー」から販促雑誌が昔、出ていました。最近頂いてないので、今もあるのかどうか知りません。
そこに常磐さんがコーヒーに関するエッセイを連載しておられました。
ということで、わたし、拙著『コーヒーカップの耳』をお送りしたのです。
するとちゃんと礼状を下さいました。

消印が、2001年8月2日となってます。
まだお元気なころですね。
一度お会いしたかったが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南部一郎

2019-11-01 11:01:15 | 喫茶・輪
「南部一郎カボチャ」です。


おもしろい形をしてます。
お客様のS水さんから頂きました。
じつは、元々、うちから種がS水さんに行って、育てられたもの。
もう10年以上も前の話です。
豊岡の家内のお姉さんとこから頂いたカボチャだったのです。
ことのほか甘くておいしいんです。
S水さんは山の向こうの畑で作っておられて、その近所の家の人たちにも種を分けて、作る人が増えているとのことです。
西宮の名物になったりして。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Ricky Skaggs With Travis Tritt, Vince Gill, Earl Scruggs, Patty Loveless And Friends

2019-11-01 07:11:56 | ブルーグラス
Ricky Skaggs With Travis Tritt, Vince Gill, Earl Scruggs, Patty Loveless And Friends


すごい演奏です。
思わずスピーカーを大音量にしてしまいます。
こういうのを「手練れ」というのでしょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする