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横着箱

2008年01月16日 | Weblog


 パソコンが古くなって、中に粕がたまってきたせいなのか、あるいはセキュリティ・ソフトのせいなのか、この頃は起動にかなりの時間がかかります。


     

 それなので、起動し終わるまで本を読んでいます。この頃はこの本です。著者の阿部謹也という人は、ドイツ中世史が専門のようですが、素人にも読める易しい文章を書いてくれていますので、とても読みやすいです。彼の本は何冊も読みました。惜しいことに亡くなってしまいました。

 こういう本は、西洋独特のものもあるし、日本と共通するものもあったり、キリスト教がかなり影響している面があったりと、いろいろな事が分かって、なかなか面白い本です。

 この本の中でいろいろある中で、「ああそうなんだ」と思ったことを一つ。キリスト教は人間中心で、人間が救われることが中心になって、山川草木悉皆成仏という意識はない、というのです。山や川や草や木まども救われるとか、動物の救われるという意識は全然ない。そのために、自然に対する畏敬の念を育てなかったために現在の公害の原点になったとまで言っている学者(リン・ホワイト・ジュニア)がいるとか。それだけでは無いだろうと私は思いますが、なるほど東アジアの宗教は自然に対する畏敬の念はありますね。


                    


    

 種をまいたっきりで、移植もせずに箱の中で育った春菊です。もうそろそろ食べられるかなと思います。

 移植しなかった理由は二つ。①寒すぎるから。②横着して。どちらかというと、②の横着の方でしょうか。ハウスの中で育っています。この箱は名付けると、発砲、いや発泡横着箱です。発砲しては危ない。八方なんてのもありますね。美人とか寿司に付きます。


    

 なんともやは頼りのなさそうなたまねぎ。寒風にさらされて、少なくなってしまった誰かさんの頭のような感じです。見るからに寒そうですね。たけさんが追肥をしたとか。私も、近いうちに追肥をしようと思っています。



     鶴 亀

  庭の砂(いさご)は金銀の
  玉を散らして敷妙の
  五百重の錦や 瑠璃(るり)のとぼそ 
  しゃこうの行桁 瑪瑙(めのう)の橋
  池の汀(みぎわ)の鶴亀は
  蓬莱山もよそならず
  君の恵みはありがたや 君の恵みはありがたや

    とぼそ    扉
    しゃこう   しゃこ貝
    汀      水際
    蓬莱山    不老不死の霊山


                  

 会社などでは、端末機を一日じゅう電源を入れっぱなしにしてありますね。これが世界規模で考えたら、そうとうのエネルギー資源の無駄遣いですよ。炭酸ガスも、そうとう増やしてしまっているはず。

 それなので、最低限の起動し終わるところまでの機能をチップに覚えさせておけば、起動は数秒あるいは数十秒で出来るものと思うのですがねー。早く、そういう方法を考えて欲しいと思いますよ。それが可能になれば、会社などでのパソコンの電源オン・オフは頻繁になるのではないかと思います。

 誰か、その道に詳しい人、考えてくれないかな~~。

 追加)
  「鹿島神宮へ」の残りの写真を http://blog.livedoor.jp/potatojaga/ 
  に載せてあります。どうぞご覧下さい。


ある少年の写真

2008年01月15日 | Weblog
 
 昨日は成人の日でした。成人のみなさん、おめでとうございます。

 この頃は、荒れた成人式はなくなったのでしょうか。もしそうなら、とても良いことです。若い笑顔がたくさんテレビ画面に写っていました。若いって良いですね。

 さて、おとといの13日に成人式を行ったところもかなりあるようです。成人の日に成人式を行わなければならないという決まりはないでしょうが、成人の日に成人式を行わないのでは、成人の日を設定する必要もないのではないかと思います。

 べつに、きつい意見ではないのですが、ふとそう思いました。というのは、決まりがないのだからとか、罰則がないのだからいいじゃないか、と言う考えが蔓延しているような気がしてならないのです。それが、いろいろなことに支障を来しているような気がしてならないのです。

 そういう気持ちが、たとえば身障者のための駐車スペースに、平気で車をとめるというような行為の元になっているような気がしてなりません。それ以上の具体的な例を挙げたり、くどくどと御託を列べることは家庭菜園ブログでは言いません。


                     


   


 晴の朝にはいつも見られる光景なのですが、太陽が出るときと沈むときは特別な気がして、ついつい夢中で撮ってしまうものです。

 こういう瞬間は寒さなんか忘れているものですね。撮り終わってから「おお寒い。」なんてつぶやくのです。そして、この太陽が出ているのを確認して、風呂用の水を屋根に上げるのです。


   

 わが家の梨の木です。枝が伸び放題です。さっぱり面倒を見ないので、実もほとんどなりません。生っても、ジャガイモくらいの大きさにしかなりません。とりあえず剪定だけはしました。たぶん、面倒を見きれないで、今年の梨も無しでしょうね。


   

 ハウスの中のレタスです。昨年10月末に植えたものですが、まだ丸まって来ませんね。ハウスが穴だらけで、夜に冷えすぎるせいでしょうか。まあ、寒さで枯れないだけ良しとしましょう。そのうち何とかなるだろう~~~ 

                   

 すごいテレビ番組をみましたよ。BSiという民放でしたが、あるアメリカ人写真家のことをやっていました。名前は ジョー・オダネル Joe O'Donnell さんです。

 1945年に従軍カメラマンとして兵隊で佐世保に上陸し、戦後の写真を撮り続けました。残念なことに、昨年の8月に85歳で他界したそうです。

 81歳のときに、彼が撮った写真の中の人たちに会いに来たのです。そして何人にも会えたのですが、強く会いたかった人には会えませんでした。

       

 この写真の少年にぜひ会いたかったのです。この少年は、原爆投下後に 焼き場 に来ていたのだそうです。直立不動で、背中に弟を背負っています。弟はすでに亡くなっていました。そして、その弟を荼毘にしてもらおうと順番待ちしていたときに撮ったのだそうです。背中の弟は、ぐっすりと眠っている顔でした。

       
               緊張した少年の顔
         きりりと結んだ唇からは血が出ていたとか

(左上の白い雲のような部分は背景の一部のようです。心霊写真ではないでしょう。背景のいくつかの額のぶちは、写真展の写真が反射して写っているものです。)

 声をかけたかったのですが、精一杯頑張っている様子で、声をかけたとたんに崩れてしまうのではないかと思い、とうとうできなかったとか。この少年は今どうしているか、ぜひ会いたかったのだのです。

       

 衝撃的な写真です。番組では、もちろんこの他に沢山の戦後の長崎や福岡の写真が出てきました。瓦礫と化した日本を見て、撮って、戦争、特に原爆投下、に対して強い憎しみの気持ちを抱いたようです。

       
              少年を探しまわるオダネルさん

 それにしても、すごい写真です。野坂昭如の「火垂の墓(ほたるのはか)」と重なるものがあります。ジーンと来る番組でした。  

 いろいろなサイトにオダネルさんのことが出ていますので、検索してご覧下さい。
                


鹿島神宮へ

2008年01月14日 | Weblog


 山仕事はあっても、畑の仕事はほとんどないので、またお巡りさんを思いっきり蹴っ飛ばしてしまいました。

 今年の恵方(えほう)は南南東です。南南東には何がある ? ・・・・あった。鹿島神宮だ。ということで、昨日は鹿島神宮にお参りに行って来ました。

    

 鹿嶋まで行くには、道路は二本あります。一本は国道51号をそのまま行く方法です。もう一本は、北浦という湖沿いに県道を行く方法です。今回は、途中から国道をそれて、北浦沿いに行きました。
      
 北浦は南北に20km以上も長~~~~~い湖です。霞ヶ浦の隣にあります。ここも霞ヶ浦と並んでブラックバスのメッカです。富士山麓の河口湖に持って行ってるくらいですから。なにで? バスで。バスの色は? 黒。ブラックバス。

 かなり巾の広い川のようにも見えます。もっと写真がありますが、多くなりますので、後日ライブドアの方のブログに載せます。


    

    

 途中に剣豪・塚原ト伝(つかはらぼくでん)の墓がありました。塚原ト伝は、戦国時代の剣豪で鹿島新当流の創始者です。鍋のふたで相手の攻撃を受けたというエピソードで有名です。それこそ本当に強かったそうです。


   

   鹿島神宮の鳥居付近ですが、参拝者の車で渋滞。

    かなりの数の参拝者。

 

     拝殿

   
    本殿

 正月なので、ご祈祷受付のための仮設テントなどが並んでいてじゃまになります。やっと撮ることができました。

   

 鹿島神宮の杜です。薄暗かったのですが撮れました。この杜は県指定天然記念物だそうです。

   

 鹿。奈良公園の鹿は奈良時代にここから運ばれたのだそうです。

    御手洗(みたらし)

 
 鹿島神宮は、古くていつごろ創建されたか分からないそうです。平安時代に 「 神 宮 」と言う称号で呼ばれていたのは、伊勢の神宮と鹿島神宮と香取神宮(千葉県香取市: 旧 佐原市)の三社だけだったそうなので、大昔からかなりの神社だったようです。

 藤原氏の祖先の中臣氏はここに居ました。大化改新で活躍した藤原(中臣)鎌足はここの中臣氏の出身だろうと思われます。

                    

 風は冷たかったですが、天気が良かったので気持ちも良かったです。お昼に食べた天ぷら蕎麦はおいしかったですよ。
 


おっかない話

2008年01月13日 | Weblog


 朝は芽の縁が渋いです。寒さもズカンと強いです。頭は相変わらずギシギシ言っていて回転が鈍いです。そんなとき、ピーピーという電子音。あ、石油が無くなった。おそろしい。バリバリと霜の降りたこの寒天の下、石油を入れに物置まで行かなくてはならないとは。ふだんなら、数十歩の距離なのに、今朝は数十キロの距離に思えてしまうのです。

 私のブログも最近は「思い出ブログ」になってしまっているようです。レトロ調ですね。冬ですからね。ヨーロッパでは寒いので、暖炉の前でおばあさんに昔話を聞かせてもらう、なんていう時期なんでしょうね。あちらでも最近は、そういう光景も変わっているのかもしれませんが。

 赤ずきんちゃんなんかの話を聞いて、ドキドキしたりして。考えてみればずいぶん残酷なシーンが出てくるんですけどね。三匹の子豚も残酷だし、お菓子の家のヘンゼルとグレーテルだって子を捨てる親、魔女を焼き殺す子たちと、とても残酷なことをしていますね。



                    

 さて、今日は昨日とうってかわって晴れのようです。昨日は雨模様で寒くて暗くてと、ひどい一日のように思えるでしょうが、良い骨休みの日になりました。ごろ寝、パソコン、読書、お茶、テレビ、、、、の繰り返し。「繰り返す 繰り返す さざなみのように~♪」なんていう歌を思い出しました。さざ波は繰り返しても繰り返さなくても、ドナウ川のさざ波でも何でもいいですが、昨日はとても贅沢な日でした。

    

 「さんぺいでぇす。」という言い方をする人がテレビに出てきます。その言い方を真似して、「キャベツでぇす。」これだけ育ちました。中心部が混み合っているので、巻く準備をしているんでしょうか。お前がこうなって、そしてあんたはここを内側にして、ほんでもって、俺はこっちを内側に、、、。」なんて、それぞれ葉っぱが相談をしているのかも知れません。

    

 こっちは、不織布の下になっているキャベツでぇす。ネットのキャベツより、すこし高く盛り上がっていますので、こっちの方が育ちが良いのかもしれません。少しは暖房効果があるのかも知れませんね。

    

 たくあん。もちろん自家製。塩分控えめ。おいしさ最高。


                 

 日本のおとぎ話だっておっかないのがありますよ。たぬきの舟は泥の舟。なんてのは溺死させちまうんだし、一寸法師なんかは鬼の目を突っついちまうんですからね。かぐや姫の、貴人たちにしる残酷な要求は美しい仮面をかぶった鬼ではないかと思われますです。

 東西、なんか同じ性質のものを持っているみたいですよ。それを良い方の側の人がするとおめでたくて、悪い方の側の人や異物がすると身の毛がよだつという不思議な心的現象。

 とまあ、今日は良い日のようです。今のところは。一日良い日であってほしいですね。


老舗が変わる

2008年01月12日 | Weblog


 私の一家が、この地にひっこしてきた時には私は小学一年生でした。それから六年間、電気の無い生活が続きました。ランプ生活です。電気がなくて一番辛かったのは、NHKが放送する新諸国物語でした。そのシリーズで一番人気があったのが「紅孔雀」という話でした。そのころ、トランジス・タラジオがあれば、寂しい思いをしないですみました。学校では、その話題の時にはいつもミソッカスでした。

 六年生の終わり頃に、やっとこの地域で組合を作り、共同で東京電力に申請をして電気がきました。その時に、ある電気屋さんがラジオを売りにきました。買ったラジオがナショナルのラジオです。売りに来た電気屋さんは、いまの K's デンキ の初代の社長です。昭和30年の頃です。「三丁目の夕日」の頃の少し前です。

 ナショナルのブランドが無くなるのだそうです。松下電器という社名も無くなるのだそうです。そのブランドも社名もパナソニックになるとか。時代がどんどん変わりますね。私にとっても、一つの思い出のものが消えることになります。

                    

 なんか、展開が「天声人語」っぽくなってしまいましたね。別に真似をした訳ではないのですが、読み返してみたらそうおもいました。

     

 家の裏の雑木山の木があまりにも大きくなりすぎて、私には切り倒せないくらいになってしまったので、数年前に大部分を伐採してもらいました。一気に伐採したものですから、その次の夏からは、雑草が暴れ回り特にツタ類が芽をだした若木に覆い被さってしまうようになりました。そうなると若木が枯れてしまいます。

 そういうクズだの藤などのような蔦類を藪枯らしなどと言います。棒が出てきたときには藪から棒です。心強いのは鬼に金棒とか、三船敏郎です。用心棒。私の特技はボーで、ヤンマーはヤンボー、ニンボー、トンボー。お寺には坊さんがいて、擂り粉木鉢には擂り粉木棒が付き物。今のヤングにはどんなものか分からな~い。

 それで、すこしずつは下草刈りをしていたのですが、今年はかなりその仕事を進めています。

     

 草刈りとは名ばかりで、草も多いのですが、篠や雑木などがかなりあります。雑木はウルシとか、ウメモドキとかヌルデ(ヌリデ)、ガマズミ、ツゲ、アオキ、野バラ、タラなどやら、名前のよく分からないものがあります。ひしゃくとか鎌の柄くらいまでの太さのものまでは大体は刈り払い機で刈り取ります。それ以上はノコギリを使います。

 切った木は、写真のようにひとまとめにしておきます。これを小脇に抱えて燃やすところに持っていきます。初めは一輪車とか二輪車を使っていたのですが、小脇に抱えて持っていくのと運べる量の差があまりないことに気が付きました。

 残った木の葉は、やれれば堆肥にしたいと思っていますが、果たしてその時間が取れるかどうか。たぶん無理。でも運びたい。無理。運びたい。さて、どうするか迷ってしまうのです。


     

 写真の真ん中に写っている倒した緑の木ですが、中にはこういう大きな木も生えています。これはヒサカキ(姫榊)と言って、榊の木の代わりにお祭りの時に玉串に使うものです。こういうのが山には沢山生えています。この木は葉の付き方が悪いので伐採しました。良いものでしたら残しておけば、林が単一の木だけでなく複雑構造になるので良いのですが、このヒサカキの場合は根元から別な筋の良さそうなものが生えていますので、伐採しても惜しくはありませんでした。

 いままでにやった仕事の、あと10倍くらいはあると思います。今の冬中には終わらないでしょうね。続きは来年の冬になることでしょう。

                

          

 「紅孔雀」はラジオ放送の後で映画化されました。中村錦之助(萬屋錦之助)が主役を演じました。テレビドラマにもなりましたが、そちらはあまり縁がありませんでした。テーマソングは雰囲気を十分表していますので、どうぞアクセスしてみてください。http://www.youtube.com/watch?v=rN46ZjiJrq0 。

 小学生の頃は、男の子は全員がこういうものに夢中になっていましたっけ。漫画ではいろいろありましが、一番人気は「赤胴鈴之助」でした。

  若者は夢に生き老人は思い出に生きる    ウェッテルン


 追加)連日、補足だの追加だのと恐縮しますが、どうも昔懐かしい
    ものに惹かれるものがあるものですから、今日も追加します。

    http://7andy.yahoo.co.jp/cd/detail?accd=C0076338

    とか、

    http://item.rakuten.co.jp/book/3813163/

    で、昔のテレビ・ラジオのテーマソングを集めたものの
    試聴ができます。オリジナルなものもありますが、そう
    でないものもあります。あの頃を思い出させてくれるも 
    のが多くありますので、アクセスしてみてください。

    試聴できないときには、場面上段のツールバーの「ブロ
    ック数・・・」と言うところをクリックすると「ポップ
    アップを許可」となり、聞くことができます。
    


太陽の活動

2008年01月11日 | Weblog


 昨日の、朝日新聞の夕刊によりますと、太陽が活動期に入るようです。これは私がアマチュア無線をやっていたときに知ったことですが、はっきりとは決まっていないそうですが、ほぼ11年という周期で活発さを繰り返しているのだそうです。

 太陽黒点が大きくなってくることで、活発さが分かるのだそうです。以前は、電波の飛び方が左右される程度で、世の中が乱れたという話は聞かなかったのですが、こんどはちょっと違うように思います。

 せいぜい、テレビの映り具合が悪くなるとか、ラジオが聞き難くなるという程度が一般人の認識することです。が、今度はこれほど沢山の人が多く携帯電話を使っています。携帯電話は電波を利用しています。携帯から中継局に、中継局から中継局にと、電波だらけです。

 新聞では、それどころか、ATMとか人工衛星なども影響をうけると言います。とすると、気象観測なども影響を受けるし、車のナビに利用しているGPS、BSやCS放送なども影響を受けるということですね。心臓のペースメーカーなどは影響を受けないのでしょうか。それほどまでには活発にはならない ん で し ょ う  ね。

                   

 さて実際にはどうなることやら分かりませんが、文化が進むと便利になりますが、反面なにかのバランスが崩れるとものすごく大変なことになってしまうものですね。

 詳しいことはこれくらいにしますが、実は私もこれから先の話は、想像されることの羅列は多少できますが、詳しくはわかりません。


                     

   

 特に、このお正月に活躍した黒豆です。実は、これは枝豆用として作ったものなのですが、忙しかったり、他にも食べるものがたくさんあって食べきれなかったものが残ったのなんですよ。

 それも、結構たくさん残ったのです。それで、冬になってから黒豆を食べているということです。今年も作る決意を新たにしました。おいしいですからね~~。作るのはたいして手間がかからないですので、苦労豆ではないです。

   

 きのうのブロッコリーの話題の続きです。おいしいんだな、これが。というCMがありましたが、まさにその通り。脇芽はでてこないですが、主蕾はまだありますよ。と言っても二つ三つくらいですけど。
 
                     

 山仕事は適当にやらないと大変だということに気づきました。それは、腰へ来るからです。忘れていました。大切なことを。腰がまいったら動けなくなりますからね。刈り払い機を使う作業がほとんどですから、あれは腰に来るんです。ぎっくり腰が「お腰やす」、なんて京都弁で挨拶にきたら、そらたいへん。

                     
                    
        

    

 奥さんが今年行ってきた、シェイクスピアの出身地、ストラッドフォード・アポン・エイボン Stradford-upon-Avon のシェイクスピアの生家。

 ストラッドはストリートです。フォードは浅瀬。アポンはオンと同じで、ほとりという意味。エイボンは川の名前。無理に訳すとエイボン川の浅瀬通り。


    

 こっちは、わたしがかなり前に行ったときのものです。もちろん私が描いたものではありませんよ。ここを訪れたからと言って文豪になれるわけではありませんが、その時代に少しはワープできそうな感じになれます。

                   

 今日も晴のようです。午後は曇るとか。昨日は、洗濯物が煙り臭いと言われました。二カ所で煙をだしていましたからね。


      ギラギラ太陽が 燃えるように
      はげしく火を吹いて恋するこころ
      知っているのに 知らんふり
      いつもつめたいあの瞳
      なぜなぜなの
      ゆらゆら太陽は 涙ににじむ

 太陽黒点の話でからこんな歌を思い出してしまいました。

 補足)

  ギラギラ太陽、、、の歌、題名は「涙の太陽」が、どのような曲
  なのか試聴できるサイトがみつかりましたので紹介します。

   http://listen.jp/store/album_4988006181359.htm

                  安西マリア盤

   http://www.hmv.co.jp/product/detail/139594

                  エミー・ジャクソン盤

 音がでないときには、コントロールキーを押しながらクリック。

   



10日も経ちました

2008年01月10日 | Weblog

 昨日は、午前中ははっきりしない天気で、洗濯物をだしたのですが、雨が降り出して屋内に入れるという状態でした。午後はポカポカ陽気で、外に出るとまぶしくて困るくらいに日射しが強かったです。

 はやいもので、、、、。とよく言われますが、本当に早いもので、年が明けてからもう10日も経ってしまいました。私の年齢にもなると、10日も「経つ」と言うより、10日も「年をとってしまった」とも言えるかも知れません。気は若いが体が言うことを聞かないなどと言っているのを耳にすることがありますが、だんだん自分も、、、、。今は大丈夫ですよ。穴掘りができますからね。

 一日の始まりから活気のないことばかり言うのも良くありませんので、元気のを体内に集めて動き出すことにしましょう。と言ってもまだ暗い。いや気持ちが暗いのではなくて、外が暗いんですよ。これが出来上がるころは、もう完全に明るくなっているでしょうが。

 今日は豆腐屋さんの来る日です。忘れないように、プラスチック桶の中に紙の小箱を置いて中に240円を入れました。これで、いつ来ても私が応対出来ないときでも置いていってくれます。

                     ← 時にはこんなのもネ


      

 コロには芸を教えなかったので、ただただ可愛がってもらおうという仕草だけをしきりにするだけです。

 よく右手を出します。「お手」とよく言っていましたので、そのせいかなと思うこともありますが、言わなくたって出しますから、違います。写真では右手がこっちをむいていますので、分かりにくく三本足のように見えます。


      

 少しでも風よけになればと思って、モロコシの一部は途中切りにして、根元の方は生やしたままにしてあります。ほとんど無意味かも知れませんけどね。気休めです。モロコシだけに、いろいろな風が来たりして、、。諸来し、なんちゃって。

 写真では上の方に藪との境のところに横に道路が走っているのですが、その藪の中はわが家のミーちゃんのバトルの場です。ここで、声も高らかに喧嘩をよくやっていますね。楽しみなんでしょうか。猫の気持ちは分からない。でも、一日に一度くらいはコーフンするという刺激も必要かも。


      

 干し柿がいよいよできましたよ。色も形も悪いですが、食べてみたら甘いこと甘いこと。私が作ったにしては最高級と言っても良いくらいの出来でした。この柿おいしそうなので欲しい。欲し柿(ほっしがき)。

 どうせ駄目になっても。と思って、やや時期が早いとは思いつつ皮を剥いて吊してみたところ、ボタッと落ちることもなく、カビが生えることもなく干すことができました。皮を剥くころより前は、暖かすぎて、木になっていながら柔らかく熟んで甘くなり、よくスズメバチに食べられていましたが、それでも結構残ったので、それを吊したものです。駄目もと柿。

                   

                  
 真っ暗なうちから更新の準備をしていたのですが、間にいろいろな用事が入ったので、もう明るくなりました。霜の朝です。

 今日のコウシンは交信です。昔は、寝食を忘れてアマチュア無線をやったことがありました。

 今なら携帯電話でしょうね。でも、携帯電話なら寝食を忘れて交信をするということは無かったでしょう。相手が、電話番号を知っている人だけに決まりますから。無線は不特定の人が相手という面白さがありました。一方的な所がありますが、ブログも不特定の人が相手です。コメントで本の少しの人との交信がありますけど。

 で、もう一つコウシンがあるのですが、誰かに言われてしまいそうなので言っちゃいます。

 それは、1,2,3 これだ。←テレビの見過ぎ。

  赤いリンゴに 口びるよせて
  だまってみている 青い空
  リンゴは何んにも 言わないけれど
  リンゴの気持ちは よくわかる
  リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ

 それで、赤いリンゴに唇 で 紅唇。 オソマツでした。まだありますよ。恒心、庚申、孝心、、、。今日はこれまで。

  みなさん、きょうも良い日でありますように。

 

ターサイとブロッコリー

2008年01月09日 | Weblog

 昨日の母の命日には妹夫婦が来てくれました。兄弟は二人なので、集まるのはそれくらいです。

 今日は、ちょっとした用事がありますので、朝からブログのマーチになります。朝のマーチは気ぜわしい。日産マーチは小型車で、軍艦マーチはパチンコ屋。三月もマーチで、将棋は待ったで、たき火はマッチだった。そしてブログの マーチは = 行進 → 更新 でっす。
          
                   

 いろいろなことが出来て、それも全部がものになっているような人のことを多才と言います。私などは一才も無いのでうらやましいと思います。もっとも、お金と同じで、無ければ無いなりに心配がないので、気楽なものですけど。

 たくさん奥さんを抱えてしまっている人は多妻です。日本では禁止ですので、秘密にしておくか、あるいはお金と体力に自信のある方は外国に移住してください。何も私のブログでそういうよけいな提案などしなくてもよいのですけど。

    

 そして、これは多才でも多妻でも多彩でもなくて、朝のターサイです。霜で白くなってひしめき合っています。身を寄せ合っていても寒そうです。


    

 緑の中に緑の蕾のブロッコリーです。蕾はどこにあるのでしょうかと、クイズみたいになってしまいましたが、暇な方は目を凝らして見つけてください。昔、誰とかを捜せ、なんていうのが流行ったことがありましたね。ひいらぎでしたっけ? つまりホーリー? 


    

 取って食べちゃいましたが、脇芽がなかなか出てきませんね。寒いですからね。昨日のような三月末とか四月の容器は入れ物ですから、それではなくて、妖気は怪しい雰囲気、じゃなくて陽気でしたが、そのような陽気が続けば脇芽も出やすいのでしょうけどね。私の場合は、すぐに顔は正面で、目は脇目となります。あれは横目でしたっけ? 特に美しい女性などがチラチラ見えたりすると頻繁になります。よそ見だ。どれも同じようなものです。とにかく、気がそれる。

 ブロッコリーの切り口の写真を見ていて、いろいろなことを考えてしまった朝でした。

                    

 気ぜわしくなってきました。まだ外はうす暗いんですけどね。鶏もコケコッコーが始まったし。目のへりが眠くて渋いんですよ。頭はまだ三分の一くらいは眠っているんではないかなと思います。

 今日は晴れるのか、外を見るゆとりがまだありません。皆さんの所も、酔い日、じゃなかった、良い日でした。その、良い日になって欲しいですね。三月末の陽気とまでは行かなくて良いですからね。

                    

    やっとこやっとこ 始まった
    ブログのマーチだ ラッタッタ
    写真も話題も 本決まり
    ダジャレも駄文も ラッタッタ

 因みに、更新の方は英語ではアップデイト( update )です。
   

 

暖かい日

2008年01月08日 | Weblog


 今日は母の命日です。一年になります。朝の9時頃にお墓参りに行ってきました。誰もいませんでした。

 昨日は私も仕事始めでした。もみ殻燻炭を作りながら、竹を切り枝を払って何本も竿を作りました。竹を切りながら、もみ殻を見に行き、また竹に戻りの繰り返しで、もみ・たけ・もみ・たけと行ったり来たりばかりしていました。万歩計の歩数が稼げます。

 太いのや細いのがありますので、長めに切って置いて、あとは適宜に使うたび毎に長さと太さを決めて切りそろえて使います。まだまだ伐採は続きます。

 早く日蔭になるところにアスパラガスがあるものですから、行ってみると場所によってはまるっきり霜に根が持ち上げられて、露出しているところがありました。それで、もみ殻を乗せてから、その上に飛ばされ防止として燻炭を乗せてみました。どれだけ飛ばされ防止になるか、これから気をつけて見ていなければならないかなぁと思っています。


                   


    

 ひとりで出たアブラナですが、さすがに大きくなりすぎているせいか、霜があたり、ぐったりしています。ですが、枯れもしないでなんとか育っています。こういうのがあちこちにありますので、取ってきては鶏の餌にしています。

  アブラナは霜で苦しと嘆けども
       なお生きのびるその力強さよ   傍観


    

 焼き芋は、たき火の中に入れてじっくりと焼いてもらいました。大きいので急がず焦らずです。こういう仕事は私には無理です。燃えるものをドンドン乗せてしまいますからね。芋も燃料になってしまいます。まあ、考えてみると私というものは、実に単純にできているものだなと思いますね。

 ドンドン燃すわけは、トロトロ燃やしてなどいたら、仕事が終わらないからねー。

 それにしても、大きいので三分の一くらい食べれば、もう十分になってしまいます。一つ食べたらご飯の代わりになってしまいますよ。


    

 【訂正】小松菜としてありましたが、アブラナの間違いですので訂正します。このアブラナは自然に出たものではなくて、蒔いた方のアブラナです。みそ汁にいれたり、お浸しにして食べました。


                  

    


                    


  山里は冬ぞ淋しさまさりける人めも草もかれぬと思へば

                
源 宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)

  


仕事します

2008年01月07日 | Weblog

 久しぶりに朝の更新です。今日は寒いです。いつも寒いのですが、なんか今朝は寒く感じます。もちろん霜がおりています。気温は2℃で湿度が12%。気温のことでは驚きませんが、湿度がとても低いのには驚きます。

 今日から、奥さんと息子が出勤で、私は猫と犬と鶏との生活になります。そろそろ火をもやしても良いのでしょうか。お正月には仕事をしちゃいけない、火を燃やしてもいけないとタブーばかりで、靴が九足も並んでしまいます。九靴。窮屈。

                   

 「そんなのカンケーナイ」と、今日は仕事をやっちゃいます。クンタンだって作ってしまいますよ。竹も切って豆の手に使えるように仕立てます。


     

 「すみつかれ」という食べ物です。今年も奥さんの友達からいただきました。幾種類入っているのか正確にはわからないのですが、大根、鮭、ニンジン、大豆、、、。と、そこまでは分かったのですが、それ以上は分かりませんが、味わって欲しいという愛情が隠し味になっているせいか、とてもおいしいです。ご飯のときに食べますが、これだけでもおいしいです。これは、ちょっと若い人には人気が無いようです。しかし、若い息子はおいしいと言って食べていますね。

    

 下仁田ネギだと思うでしょう。ところがどっこい、太い方も普通のネギなんですよ。普通のネギは上にあるくらいの太さ(それでもちょっと太いくらい)なのですが、こんなに太ってしまいました。何でこんなに太ったんでしょうか。分からない。中性脂肪がたくさんあるのかな? 悪玉コレステロールは? 自分のことに関連づけて考えてしまいますね。

 おまけに曲がりネギ風になっています。肥やしをやって土をかけたときに曲がったんでしょう。太さは包丁と較べてみてください。柄のところと比べて見て欲しかったのですが、柄は黒いので分かりにくいです。「 え? 柄があったの?」なんて言われそうです。

    

 それでもって、これはカレーうどんなのですが、この中に上の太いネギが入っているんですよ。うどんはたけさんのところ(亀城庵)のうどんです。こんな風にしても、とろけてフニャフニャにならず腰がありますので、とてもおいしいですね。宣伝になってしまいましたね。ブログの友達ですからね。

                  

 今日は食べ物を三つでした。 それで、なんだか昼間になるほど寒くなるという感じがしますよ。猫は丸くなって寝ています。犬は平気な顔をしています。無神経ですね。鶏など、暑さ寒さと言うような言葉なんか、彼等の辞書にないんでしょうか。

 「しんしんと冷えてくる」という表現がぴったりの日になりそうです。こういう日は無理しない程度に元気をださないとネ。外で仕事を始めると体がポッポッとあったかくなると思います。

 
    

放送されました

2008年01月06日 | Weblog

 私の地域に だいこんむき花 という伝統文化が残っているのですが、以前に NHK が取材にきたことをお知らせしましたが、それが放送されました。

 1月6日の夕方6時10分からでした。これは NHK水戸 というローカル放送極からの放送であって、茨城県内だけに放送されました。その時にテレビ画面の写真をとっておきました。

   

 このような庖丁を使います。


   

 かつらむきした大根を、このように花の形にしていきます。


   

 大根むき花保存会の練習風景。


   

 こういうものも。


   

 取材に来た美人のアナウンサーもチャレンジ。



   

 大根むき花の絵馬のある元の村の神社。


   

 中で説明。写っている絵馬は別のもの。


   

 これが 大根むき花の絵馬。およそ120年前に奉納されたものです。


 とまあ、ほんの数分間の放送でした。

かさま

2008年01月05日 | Weblog


 それで、毎日仕事ができないので、読書か音楽かテレビということになります。読書はすぐに眠りの世界に。音楽も眠りの森の世界に。テレビはつまらない。どこもかしこも、ネジが何本か足りないような芸能人ばっかりバカ騒ぎしていて、資源のむだ使い。

 なので、出かけることになってしまいます。今日は奥さんにサービスしました。何てことを言ってますが、自分もお巡りさんをけっ飛ばしたかったのであります。デカ蹴る。出かける。

                 

 笠間(かさま)というところに行ってきました。ここは、戦時中に坂本 九が疎開していたところです。春日八郎のヒット曲、「別れの一本杉」の作詞家・高野公男の出身地です。また、陶芸でも少し有名です。御影石の産地でもあります。そして、あの忠臣蔵の浅野氏が赤穂に国替えになる前に治めていた所であります。

     

 笠間稲荷神社に参拝しました。この稲荷神社は三大稲荷のうちの一社です。本家は伏見稲荷です。他に豊川稲荷というのが愛知県にありますが、そこはお寺だそうです。庭で祭が始まったので、たくさんいた参拝客が後にしりぞいてしまいました。

                        

     

 ちょうど、釿始祭(手斧(ちょうな)初めの祭)が始まるところでした。この祭は大工さんが仕事を始めるに先立ち行う祭なのだそうです。写真は、二人の大工さんが太い木にノコギリを入れるしぐさです。この他に手斧でけずるしぐさ、墨で線を描くしぐさ、カンナで削るしぐさなどがありました。

     

 祭壇脇には、大工道具が置いてあります。多くの建築関係の会社の人たちが祭に参加していました。

     

 神社の前の仲見世です。ここは浅草ほどではありませんが、けっこう人でにぎわっていました。参道との間に植え込みがあるので、仲見世が見えにくいです。なかなか見えないので、仲仲見世ない仲見世ですね。ややこしい。

                    images

     

 笠間焼きと言って、このあたりは隣の県の益子と並んで有名です。そのシンボルの場所ともいうべき 笠間陶芸の丘 というところに行きました。ここのは、大きな陶器の店があったり、展示室があったり、手びねりの体験ができる所があったり、陶器の美術館があったりします。学校の遠足で、手びねりなどやりに出かけることもあります。

 私も、手びねりをやったことがありましたが、何日かして焼き上がったのが送られてきたのですが、何を作ったのか判明できにくいものが出来てしまい愕然としたことがあります。トウキはトウキでも、愕然倒起(がくぜんとうき)です。ガクッときて、倒れてから起きあがったという誇張表現です。こうして、少しずつ鍛えられ、物に怖じなくなっていくのです。

 私の家の庭にあるのと同じ石灯籠がありました。なぜか説明できませんが、感動。

     

 お正月の倒起じゃなかった、陶器市をやっていました。こういうテントが50くらい並んでいました。なかなか満点はとれません。50テンと。

 いろいろな焼き物があるわあるわ。こういうイベントが四季を通していろいろとあります。今度のはトウキ(冬季)のトウキ市です。ややこしい。


     

 陶芸の丘は公園になっています。ドングリを拾ってきました。つまらないものを拾ってきたなと言われそうですが、これはナラのドングリですが、これを蒔いて苗にして、裏山の木の少なくなったところに植樹するつもりです。

                   

 そのあとは、レストランで昼食。今日はフランス料理もたまには良いね、ということになりました。と言うより、どうやら出かける前から、そういうことになっていたみたいです。私が決めると、蕎麦かハンバーグくらいになってしまいますからね。食べても飽きないハンバーグ。一人で出かけたときは、コンビニのおにぎりを食べながら運転ですね。

 とてもおいしかったですよ。

                   

        別れの一本杉 

     泣けた 泣けた
     こらえきれずに 泣けたっけ
     あのと別れた 哀(かな)しさに
     山のかけすも 鳴いていた
     一本杉の 石の地蔵さんのよ
     村はずれ

     遠い 遠い
     想い出しても 遠い空
     必ず東京へ ついたなら
     便りおくれと 云った娘(ひと)
     リンゴのような 赤い頬っぺたのよ
     あの泪

     呼んで 呼んで
     そっと月夜にゃ 呼んでみた
     嫁にもゆかずに この俺の
     帰りひたすら 待っている
     あのはいくつ とうに二十(はたち)はよ
     過ぎたろに

 


ふつうの日

2008年01月04日 | Weblog


 早いことに、今日は明けてから4日目になります。今日から仕事始めの人もあるでしょうし、あと数日間は休んでいられる人もあります。そろそろ日本が全体的に動き出す時になってきました。

 火を燃やして良いのは何日からなのでしょうか。もちろん神社などで暖を取るための火とか、行事のための火は結構なことだと思いますが、仕事として火を燃やすのはいつからなのか、山仕事やら畑仕事はいつから行って良いのか、昔はいろいろと決まりがあったようです。もう私には分からなくなってしまいました。

                   

 中には反発したくなるようなものもあります。掃除は運を掃き出してしまうのでいけないとか、買い物はお金が貯まらないからだめだとか言う所もあるようです。それなら、息も吐くな吸うだけにしろと言いたくなり、肺が破裂してしまいますね。悪運は掃き出したいですね。正月に買い物をしたってしなくたって、どうせ貯まらないんですから、あれは嘘です。そんなこと言ったら、トイレだってだめですよ。運が落ちます。

 正月はゆっくりと休ませる為に、いろいろとやっては駄目なこと、つまりタブーを作って置いたと解釈すれば簡単に済ませられますが、果たしてそれが本当の目的であったかどうか分かりません。

 動きたくて、体がムズムズしているのですが、少なくとも一週間くらいは何もしないようにしていようと思っていますが、果たして守られるかどうか。正月っていうのは、どうも動きを縛られるので窮屈ですね。何しちゃだめ、かにしちゃだめで、駄目でしょう月となってしまうのです。

         

 私に取ってはとても小さい靴を履かされたような気分です。気持ちが窮靴。なので、正月は嫌いな時期の一つと言うことになります。やる気をそがれるので、消ガッツです。ガッツ石松の現役時代は、リングの上はOK撲場です。正月はダジャレも駄目だとか、そんなことない。

                     

 4日目には、冒頭から愚痴になってしまいました。グチにもいろいろありますからね。陰気な陰口、女優は沢口靖子、女性はグッチに踊らされ、人が出たり入ったりは出入り口、長州は山口、切りがないほどあるみたいです。

 そんな訳で、畑仕事はしていません。もっとも、するような仕事はありませんが。振り返って裏山や、山だけに山ほどやるべき仕事があるのですが、できないでいます。竹切りもあれっきりでやっていません。

     

 烏骨鶏は、本格的に寒さが来たので、さっぱり卵を産まなくなりました。やれ寒いから、暑いからと言っては産まなくなるのです。せっかく産み始めたと思ったら、すぐに抱き始めるし、、、、。卵に関しては、非常に効率の悪い鶏ですね。おまけに、驚きやすいのです。5~10分おきに驚いて大合唱をし始める時があります。彼等の趣味ですね。

     

 奥さんが昨年の暮れに畑から取ってきて、軒下に並べています。白菜ですから、長持します。ここなら、足の裏にぐちゃぐちゃの霜どけ土をくっつけて来ることがなく台所に運べます。もちろん、残りはまだまだ畑にはちまき姿で、いくつも生えています。

    もういくつ寝ると普通の日
    普通の日には山に入り
    どんどん仕事を始めます
    早くすぎてくれお正月

 


那珂湊散策

2008年01月03日 | Weblog


 昨日は、じっとしていたのですが、「そぞろ神のものに憑」いたほどではないにしろ、体内から突き上げてくるようなエネルギーを感じて、静かにしていられなくなって外出してみました。


    

 水戸の隣町、ひたちなか市の一部、元の 那珂湊市 に行ってきました。ここには漁港があって、魚市場は遠くから魚を買いにたくさんのお客さんが来て、とても活気があります。

    

 那珂川の河口にある那珂湊(なかみなと)。橋の向こうは大洗町(おおあらいまち)です。

    

 高台の公園からは筑波山が見えました。その向こうは群馬県の山々までは平野です。筑波山の左は地平線です。ここからは水平線と地平線を見ることができます。


    

 公園の近くに、江戸は小石川の水戸藩邸から移された門がありました。山上門と言うそうです。小石川邸のただ一つの現存する建造物だそうです。


    

 その門の上の丘には反射炉という一種の溶鉱炉のような物がありました。江戸時代に大砲などを鋳造したのだそうですが、これはその模型だそうです。

 この反射炉を作るために、先日紹介しました
馬頭町小砂(こいさご)と言うところから良質の土を那珂川の水運を利用してここまで運んだのだそうです。

 町を少し散歩してみましたが、おちついたたたずまいです。古い家並みが多くあり、土地の古さを感じさせるものがありました。ちょっとした気晴らしになりました。丘に登ったり降りたり散策をしたり出来ましたので、少しばかり運動にもなりました。



ゆっくりしています

2008年01月02日 | Weblog



   
    


 お正月ですので、野良仕事は休みです。どこへも出かけません。出かけたとしても、ごろごろとして弛んだ体を伸ばす為に田舎の風景を眺めるために、近くを歩き回る程度です。

 今日は、充電しているなという感じがしています。そろそろ電気も溜まってあふれそうなので、体が動き始めてきたようです。何か言い訳を作って、軽トラにでも乗ってその辺の様子でも見に行きたいな。

 朝は、家の外の蛇口は二カ所ありますが、どちらも凍って水の一滴もでません。お正月は、寒く凍る朝が清々しくて良いです。

  冬は、つとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。
  霜のいと白きも。また、さらでもいと寒きに、火など急ぎ
  熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし。 
                        枕草子

 
 
フル充電です。枕を蹴って外にでることにします。
                        蹴枕童子