時代が変わり生活も少しずつ変わっていきます

2016年07月31日 | Weblog


先日、家から数十メートルくらい離れた南東の方向にお茶の木を利用した垣根がありました。隣接する畑に木の葉が飛んでいくのを少しでも防ぐためです。東側にもあります。上から見るとL字型をしている垣根です。

栗の木の木の葉と言うのは、以前は栗の木を数十本植えて栗の実を出荷していた時期があったからです。

それで、今はもうほとんど栗の木は無くしたので、垣根の必要がなくなりました。その上に、暑い盛りの時に長いながい垣根の剪定は大変です。葉っぱのところだけ切り取るのではなく、硬い枝も含めて切り縮めなければならないからです。大体、物置にあるコンセントから延長戦を70~80mくらい引っ張っていくのだけでも一仕事です。

 

この、お茶の木の垣根を根元付近から先日刈り取りました。これは先日も掲載した画像です。

 

ところが根元付近はこの程度、株から出た細い幹がぞっくり残っています。お茶は硬いので、切れ味の良い大バサミでも切り取るのは大変です。

それにしぶといですので、すぐに新芽が出ます。そしたら除草剤を散布すれば良いのですが、二枚のうち上の画像にも見えますが、隣の畑にはたくさんのネギが植えてあります。
ネギに許可をされていない農薬が検出されたら出荷できませんので、もしものことがあると大変な迷惑をかけることになりますから、除草剤は散布できません。これをどうするかが、これからの課題です。

 

時代が変わり、生活も変わりますので、それに環境を少しずつ変えていかなければなりませんから、いろいろ大変です。
常に大小の悩みはあります。しかし、その悩みを乗り越えることが出来たときには最大の喜び、達成感を味わうことができますので、一種の悩みではありますが、悩みとも言えない面もあります。まあ、前向きに考えることにしています。

 

このリモコン。エアコンのリモコンなのですが、数年前に一度失くしました。とうとう出てこないので、これは新たに買ったものです。しかし、たぶん今年ピアノをこの部屋に入れたときに、部屋の模様替えを少ししたのですが、その時からなのか、また見つからなくなってしまいました。

こりゃ大変。また買い替えかいな。リモコンなどの部品は、あとで買うと大変割高なのです。ところが、目の前、パソコンのディスプレイの下にあったではないですか。形が大きくなったので、照明のリモコンかと思って、あっちこっちを探していました。ガックリ。でも、あって良かったです。

          

友達から借りた本。バブルがはじけた頃の、主に一人暮らしの貸家・間借りの部屋の風景を取り集めたものです。
懐かしいレコードやカセット、ステレオなどが写っていたり、その頃の生活用品や雰囲気が見られて思い出し、なかなか面白かったです。


蝉の声

2016年07月30日 | Weblog


蝉が鳴かないと思っていたら、ひと安心。今はニイニイゼミがジーっと鳴いています。この声はずっと秋になっても冬まで耳の奥の方まで残っているような感じがすることがあります。耳鳴りではないですが。

町内の人と何人かで話をしていたところ、一年中耳の中にはミンミンゼミが住んでいてミーンミンミンと鳴く声が聞こえていると言う人が数人いることが分かりました。いつも季節は夏なんですね。コタツに当たりながらミンミンゼミとは・・・・・。 これは耳鳴りですね。

 

音とか臭いは、もう既に消えているはずなのに、耳の奥、鼻の奥の方にいつまでも残っている感じがする時があります。視覚で言うと残像ですね。こういうのを残音とか残臭とか言う言葉は無いのでしょうか。
辞書には無いようですが、そういう言葉があってもよさそうな気がしますが、「私はそういうことは絶対にありません。あなたはおかしいのではないですか?」 と、一般性はなく特殊なのでしょうかね。

 

いつまでも経験したことが残っている。これを残経とは言わず記憶と言うのかと思いますが、記憶に残ると言います。
言葉あそびをしているつもりではないのですが、「言葉ではとても言い尽くせない」と言うことを時々聞きますが、確かに言葉では言い表すことができないことはたくさんあります。
例えば音楽や絵などは言葉では言いつくせないですね。どんなに語っても表現できないものはたくさんあります。しかしその反面、「あなたの言っていることはよく分かります。まるで絵を見ているかのように思えます」なんて言うシーンもあります。が、それでも語り手と聞き手が同じ画像を思い描いているでしょうか。

 

今日はちょっと理屈っぽいですね。さて、毎日暑いです。朝のうち、朝食前に少し大きくなりすぎた草にチャレンジして、ずいぶんむしり取りました。近いうちに続きをやり、やっつけてしまおうと思っています。
時間はかかるし疲れるし、暑い思いもしますが終わった後の達成感はなかなか良いものです。それが無くては、こういう仕事はできませんね。

 

今日は、久しぶりにどこかに行って見ようかなと思って見ましたが、土曜日で夏休み中ときたら、どこだって込んでいるでしょうし、暑いし・・・・。と、それを考えたら家でゆっくりしているほうが良いかなと思ってしまいました。

 

あまり家にばかりいると、引きこもり同様になってしまうので、やや多めに出かけて刺激を受けることも大切かなと思うようにはしていますが、この暑さでは涼しいところと言うと、山の上とかイオンのようなところですかね~。山にはすぐに行けないし、イオンはごった返しているでしょうし・・・・・。映画館は、こんなに晴れてきれいな日なのに、何も好んで暗いところに行かなくたって・・・・・。  

  

かなり古い映画の音楽ですが、昔から好きです。


  


時代は変わる

2016年07月29日 | Weblog


暑いです。天気は最高に良いです。そして、お日様がジリジリ。猫は床の上でゴロンゴロン。

今朝は 5時ごろ から草むしりを始めました。もちろん朝食前です。

 
                                         バナナの木 

体のことが大切ですから、先ずは水分を少し補給しました。今日は牛乳をコップに半分くらい飲んでから外にでました。あまり早い時間帯からエンジンの音を出すのも近所迷惑ですから、最初は鎌を使って花壇のあたりの草むしりをしました。草むしりは音が出ないくらいですからね。

 

道路に自動車が多く走り始めたので、いよいよ刈り払い機のエンジンをかけ、隣との境の生垣の麓の、隣との境あたりの草を長い距離にわたって刈りました。

それを片付け始める頃は、もうお日様が高くのぼり、ジリジリと暑くなってきたので、刈り取ったままにして草の片付けは途中までで、あとは止めにしました。

これから、ブログを仕上げる頃は夕方の風が吹き始めるかも知れませんので、そうしたら続きをやろうと思っています。

 

コンクリートの円筒(ヒューム管)のあるところは、井戸のあったところです。今は埋めてあります。井戸のあったところは出来るなら踏まない方が良いと言うので、この円筒を置いて台代わりにしています。

このコンクリートの円筒。これは井戸の中が土の壁では崩れる可能性があるので、これをずっと底まで埋めてあります。中で積み重なっているわけです。
私の地方ではこれを  「 井戸コガ 」 と言っていますが、その言葉は全国区ではないようです。

それで調べて見ました。少々時間がかかりましたが、コンクリート製品を作って販売しているサイトがありました。それを見て行ったら 「 井戸側 ( いどがわ )」 と書いてありました。側壁の意味があるのかなと思います。

ネットの辞書によりますと
  ---------------------------------------------------------------------
 井戸側(ゐどがは)  

  土砂の崩れ落ちるのを防ぐために、井戸の周囲に設けた囲い。井筒 (いづつ) 。

                                出典:デジタル大辞泉

   ----------------------------------------------------------------------
とあります。どうやらこの語が全国区のようです。

 

一部の地方でしか通じないというのではなく、どこでも通じるいわゆる標準語と思われる名前は何だろうと長年思っていましたが、これで分かったので気持がすっきりしました。

こういう物は見かけなくなりましたので、また井戸も今は細いパイプが入るくらいの穴しか掘らないものもあるくらいなので、やがては消えて行くか、とても珍しいものになる運命をたどって行くのではないかと思います。

ですので、この 井戸側 という言葉も、ますます使われなくなり、まして井戸コガ あるいは省略して コガ  などという語はもっと早く消滅するかも知れません。

 

昔の農機具や家具、その他の道具類などもどんどん使われなくなって行くのでしょうね。

ほかにも、家を例にとって考えて見ると、構成している数多くの部分、たとえば長押(なげし)などは、これからの家には無くなっていくかもしれませんから、素人の人はほとんど知る人がいなくなり、一部の大工さんくらいしか知らなくなってしまうかも知れません。大工さんすら数が減っています。

近ごろ住宅を作っている大工さんは、工場で木材は刻まれてきますので、単なる組み立て屋さんにすぎない存在になりつつあるようです。そう言うことになると、昔の建築に使われていた部分の名称なども知らない大工さんが多くなるかも知れません。

カンナがかけられない、ノミを上手に使えないなどなど、文化が進むと退化する面も出てきます。
作るのは出来ても、修理がちょっと心配という時代がやってくるかもしれません。








丸くなる

2016年07月28日 | Weblog


二日間、こんな夏ならイイナと思っていたら、今日はまるでそのしっぺ返しを食らったような日になりました。

暑いあつい  。 風は午後も遅くなったら出て来たのですが、こんな風くらいでは、という程度の風でした。
夏です。

 

草はいくら刈っても伸びてきます。いくらむしっても出てきます。すぐに種をもちます。特に雨が降るとその後が・・・・・。
夏です。

 

絡まるものが無くて、自分がバネのように自動的に絡まったつもりになったのでしょうか。
これはたしかカボチャだったような気がしますが。

 

栗の木の枝にいました。しかし、栗の葉は冬になったら落ちます。そしてら、このカタツムリは行くところがありません。
たぶん、先日剪定したマサキという常緑樹の垣根の枝に付いてきたのではないかと思います。それなので、この葉っぱごと持って行って元の垣根にもどしてやりました。そこならば、仲間に会えるでしょうし、子孫も残すことができますからね。

このほかにもいるかどうか探したのですが、いませんでした。

 

台があれば、そこにものを置きたがるのが自然です。屈まなくても置けますからね。便利です。

これは、何年か前に紹介した、フォークリフトで物を運ぶためのパレットです。パレットをたくさんもらってきてあったので、それに脚をつけてテーブルにしたものです。
もちろん室内で使うような出来ではありまえんので、外で使っています。野ざらしにすると、あたりまえですが寿命は短いです。

脚の高さは、 cm までは分かりませんが、ほとんどが決まっているのだそうです。それなので、篠の棒などを使って他のテーブルの脚の高さを測ってきて、それに準じて決めています。

 
               咲き出しました。種がこぼれてあちこちに苗が出ています。

 

ダンボールの箱を台所に置いたところ、気に入ったのかこれにしょっちゅう入っています。それなので、ちょっと邪魔なのですが捨てられなくなってしまいました。
この中に入って、本当に幸せそうな様子をしていますからね。ちょっと狭いところが好きなんですね。

昨日は、しばらく回覧を入れる袋の中に入っていて、一時間以上もその中で眠っていました。

  

今日は、ちょっと小さいのですが、これに入ろうとしています。入っても寝られないので、びりびりと破ってやったら、何とか丸くなることができました。
が、尻尾ははみ出ています。面白いですね。こういう仕草も癒しになります。


はっきりしない天気

2016年07月27日 | Weblog


昨日は、話題が一つだけになりました。

この頃カメラの具合が少しおかしいです。レンズの一箇所に汚れができたので、修理にだしましたところ、強い力が加わったようで、レンズが損傷を受けているというのです。
そういうことをした覚えはないのですが、とにかくレンズを交換してもらいました。

 
                                        夜 景

それ以後、写すことには支障がないのですが、検査をしている間になのか、それとも私がパソコンに繋いで操作をしている間になのか分かりませんが、どうやら新しいタイプの型のソフトがカメラの方に入ってしまったらしいのです。

働きから推測して、どうやらウイルスではなく、このカメラの後継のタイプのソフトが混入したような気がします。不自由ではないのですが、日付ごとに画像がまとめられる方式がなくなってしまって、写した順に発生する画像の番号による順に並べられるようになったようです。

その代わり、パソコンからカメラの日付などの書き換えができなかったり、要らない画像の削除が以前はできなかったのが、今度からできるようになりました。   

 
        午前中は外にも出られず、じっと家の裏のほうの景色を眺めていました。

午前中は、パラパラと降ったりやんだりとしていたのですが、午後は晴れはしませんが、空は明るくなり水滴が空から落ちてくることはなくなりました。

 

今は、回覧の入った袋に入って寝ています。今日は過ごし易いのか、床の上で伸びてはいません。
ダンボールの箱に入ってしまったり、甕の中に入ったり、すこし狭いところが好きなのでしょうか。

 

蝉の声が聞こえなかったのですが、近ごろでは聞こえてきます。ただし、昔のようにうるさくて仕方がないというほどではなく、遠くの方から聞こえてきます。
環境が変わったのでしょうね。

蝉の抜け殻を発見。我家の敷地でも孵化していたんですね。以前はずいぶん見ましたが、このごろは見つけて嬉しいと思うほど少なくなりました。

 

水戸にはこういうクリニックがあります。何だか文字違いで発音が同じ。変な感じです。
この紋所が・・・・・なんて、無いですよね。紋が門なんですね。

 
                           リュウキュウアサガオ

今年は花の数が少ないです。まだ咲き始めのころだからでしょうか。



女ひとり70歳の茶事行脚

2016年07月26日 | Weblog


静かな日です。一日中曇天です。ほんの時々、パラパラと雨粒が落ちてきて間もなくやみます。風はありません。じわじわと暑いです。
とまあ、そういう日です。

 

と言うタイトルの番組(録画)を見ました。ひと仕事が終わり汗を拭きながら部屋に戻り、じっくりと録っておいた番組を見ました。
先日も見たのですが、一度見て削除してしまうのは惜しいので、また急がずにみました。

一人で茶道具を持ち、あちこち旅をしてその地方の人を誘い茶会をする半澤鶴子さんの話です。

 

日本海は寺泊で、地元の人を集め、今は使われなくなっているお寺の茶室を借りてお茶会を催します。
もちろん、必ずいつも料理も自分でその土地の食材を使い客にもてなすと言う本格的な茶事です。
それなので、持ち歩く道具の多いこと。

 

琵琶湖の畔で琵琶湖特産のビワマスの料理をし、漁師さんをもてなしている風景です。

 

80歳代の人を招いての茶事。一回の茶事に4時間もかけるのだそうです。これは、これからご飯を炊き始めるところです。

 
 

そして、雪の中で女学生を招いて・・・・・。真ん中の女学生は3.11の地震で避難をしてきているのだそうです。

このほかにも、たくさんの良いシーンがありました。しかしすごいエネルギッシュな人です。自分で道具類を全部車に積み込み、運転してでかけるわけです。
長い急な階段をのぼり道具を運ぶシーンがありましたが、映し出されなかったですが、実際は何度もなんども行き来するのだと思いました。

しかし、お寺での茶室で行なうなら自然に思うでしょうが、突然漁港でこういう女性が座っていたら驚くでしょうね。雪の中に座っていたら、一体あの人は何なんだと・・・・・・・。

テレビの画面を写しました。画面のガラスに窓の風景が反射してしまったり、角度が左右にずれると台形に写ってしまったり、けっこう苦労しました。







また雨が欲しい

2016年07月25日 | Weblog



やっぱり仕事をしていると、直射日光を浴びながらの時には気になります。以前、熱中症なんて知らないころは平気で我慢できたのですけどね。
いまでも我慢はできますが、いったんなってしまうと何日も不愉快な思いをしなければならないし、不愉快だけで済まないことになったら一大事ですからね。

 
              午前中しか咲いていませんので油断していると撮れません

草刈り機の刃が切れなくなってきたのか、刈り残しの部分が多くなってきました。

もっとも倒れて地面に近いところにぺたっとしていたり、細く長い茎で刃が回転して行っても撫でる程度で過ぎてしまうような草も多くなってきたせいもありますが。
そういうところを補助的に刈り払い機で仕上げをしています。もちろん、木の根元近く付近も大きな機械では無理です。

 

そろそろ雨が欲しくなってきました。渇きが早いですからね。でも、もう8月になります。8月は、普通は夕立程度で、あまりまとまった雨は降りません。
首都圏に水を送る関東西北部のダムの水はまだまだ足りないでしょうね。

「 つゆだな~ 」 と思わせるような雨はあまり無かったです。 「 今日は雨か 」 と言う感じの雨の日ばかりでした。

  

マイクロトマトは、これを食べると言うより、ちょっとした料理の飾りにという感じですね。刺身だったらツマのような役割かなと思っています。
食べて見ると甘いですが、たっぷり芳醇な味を楽しむというには何せ小さすぎます。たくさんの粒を一度にほおばらないとね~。

 

ブログを更新するときには、このごろは懐かしい曲を聞きながらの時が多いです。一抱え買い物紙袋に入れて持ってきて、順番に聞いています。
CDは腐ってなくなるなんてことが無いので、また摩擦によって減ったり音質がわるくなったりしないし、小さいので音は何時までも良いし、保管しておくのもレコードよりはスペースを取らず、軽いのが特長ですね。
あ~、この曲を聴いていた頃は、あゝだったなとか、こうだったな~などと、若かったころのことを思い出したりします。

 
                            





 


夏祭り

2016年07月25日 | Weblog

 

きのうは、忙しくてブログの更新ができませんでした。いそがしいと言っても、いつものように草を相手とか、庭木や垣根が相手ではなく、御神輿が出る夏祭りがあったからです。

昭和とか平成の大合併で出来上がった市町村という単位ではなく、昭和の戦前あたりより前で言う、いわゆる昔の行政単位の 「 村 」 のお祭は、私のところでは冬に多く、夏はこの御神輿の出るお祭と、二百十日を前にしての 嵐を避ける ための 「 嵐除け 」 と言う祭しかありません。

 

神輿はたいへん重いのに担ぐ人があまりいません。しかもほとんどが年配以上の人です。腰つきでなんとなく分かると思います。
これは神社の境内で担ぎ回っているのですが、これから今年の当番にあたる自分の町内に移動するのには、人が足りず、しかも年寄りばかりなので、とてもそこまでは担いで行けず、鳥居から出た所で軽トラに御神輿に乗ってもらい、町内の公民館まで移動しました。

近ごろは人が足りないばかりではなく、昔の人がやったように、米俵を担ぐような仕事など農業での力仕事はみんな機械に任せてやっているので  -  そうなることが多くを生産できるし体への負担が少なくなるので、当然のことではありますが - 力も持続力も極端に減退しています。

時代は完全にぐるりと回転をして変わってしまいました。それでも何とか、御神輿の出るお祭は続いています。しかし、これもどうなって行くのか先のことは分からないです。

 
                     今年も我家に山車がやってきました

夏のお祭が少ないのは、元の農村の地域の祭と言うのは基本的に農業を中心とした生活から行なわれていたので、夏は忙しいからです。
反面、晩年から早春にかけての、いわゆる冬の時期のお祭が多いです。農閑期だからです。

夏祭りは、作物の病虫害避けのためとか、食中毒とか今で言う熱中症や、夏ばてなどを神様の力で吹き飛ばしてもらうためだ、という話を聞いた事があります。

  
                        山車の上では子どものこんな踊りが・・・・・

秋から春にかけては、収穫に対する感謝や今年も豊かな恵みと幸せな生活をお願いの意味のあるお祭となるのだそうです。
何せ、今でもそうですが、やれ雨が少ないと水が足りない、生活が大変になるというように、自然の恵みによっていますからね。

 

山車の中では笛・太鼓です。影になっていて分かりにくいですが、大きな太鼓も小太鼓も小学生です。みんな元気で可愛いですね~。
そして、今年はアメリカから来て教えている小学校の英語の先生も参加しました。ちょっぴり国際的 。 

この小学生たちは今は少なくなり、町内だけではメンバーを満たすことが出来ないそうです。私の町内ではとっくに子ども会がなくなってしまいました。さびしいですね。
世の中、いろいろ変わっていきますが、子どもが少なくなるのは寂しいことです。将来が心配です。

やっぱり、その全国的な子どもの減少を防ぐには一般人の努力ももちろんですが、若い人が安定した、しかもゆとりのある職に就けるような政策しかないと思います。がんばって欲しいと思います。

暑い一日の、熱い行事でした。

 


2016年07月23日 | Weblog


録画は、数分間ちょこっと見てそれっきりになってしまっているものが幾つか。本もそうです。読んだところまで私はしおりを使わず、付箋を貼っておくことにしています。
その方がしおりの硬さで今読んでいるページが支えにくかったりするのを避けることができたり、付箋ですと何行目まで読んであったかがわかりますから。
付箋は何度も貼り変えていると糊が弱くなってしまいますので、そのときには新しいものにします。

 
                                           こんな風にしています

しかし、これがまあ付箋の貼ったままの本の多いこと。あまり間に時間がありすぎると、何を読んでいたのか思い出せずに、結局は初めから読み直しなんてことになります。
まあ、大げさに言うようになりますが、私はそういう人生をいろいろな場面で送っていると思うようになってきました。

 

冬のモードから夏に変えても暑さには関係ないですね。でもまあ、目から涼むということもありますから・・・。
障子と言い、柱と言い、これも猫の格好の爪とぎになっちゃっています。何でも爪の立てられるものは好きなようです。家が少しずつ傷ついて減っていきます。  大げさな言い方ですけどね。

 
                                   夜  景

見栄えを良くするために切り取った大枝・小枝・細枝が山積みされていたり、取った草が積みっぱなしになっていたり、せっかく刈り取った草が一雨の後に低いながらも立ち上がってしまっていたり、小さな草が無数に畝間に生え出してきたりと、そう言うのを見るにつけガクッと来ます。暑さも倍に感じますわい。

やってもやっても仕事が終わりません。しかし、それにしても自然の生命力には驚かされます。

 

こういう嬉しいこともありますからね。自然とはうまく付き合って行くことでしょうか。我々も自然の一部のはずですから。

 






 


百合の季節

2016年07月22日 | Weblog


風が涼しいので助かります。動かずに風にあたっていると、寒く感じるほどです。今日は少し強めです。
書類などを重ねたまま窓を開けると、部屋中書類が吹っ飛んで、せっかく分類して重ねて置いたのがごちゃ混ぜになってしまいますから、後始末が大変です。

その失敗を二度ほどしました~。トホホホホ。

 

山百合の季節になりました。林の中より庭の方があったかいのか、先に咲いています。咲いては種ができ、それがこぼれてまた何本も増えていくということで、しまいには百合屋敷になってしまうかも。

  

こんなところにも・・・・・。こういうのは始末してしまっても良いと思うのですが、せっかく伸びてきたものですから、咲かせてやろうと思いました。

せっかく咲いているのに話題にするのも何ですが、この球根は食べられます。ねっとりした感じでほんの少し苦味があったようななかったような・・・・・。

  

ミニトマトは強いですね。どんどん伸びて広がって、どんどん実が熟しています。冷蔵庫にいつも入っているので、扉を開けてはつまみ食いしています。
自動販売機で買ってきた、いえ自動販売機でなくても良いのですが、缶ジュースを、いえ缶じゃなくても良いのですが、まあそういうのを飲むよりも、ずっと健康的かな? 
近ごろのミニトマトは甘みがありますからね。

  

ミーちゃんはモグラ塚の前でフリーズしています。果たして顔を出してくれるでしょうか。猫は根気ですね。その点では猫に完敗です。
ところで、こういうときには猫は何を考えているんでしょうね。

こちらは、飽きっぽいので売っていますからね。すぐに気が散れます。テレビをつけたとたんに用事を思い出し、その場所に行く間に別な事を考え、その考えたために今私は何の用事があって何処に向かっているのか忘れてしまうのです。ただ、歩くことは忘れないようです。

また別なときには、調べ物をするのにパソコンの電源を入れたまではいいのですが、パソコンが立ち上がっているうちに何を調べようとしたのがすっかり忘れる事10度や20度をはるかに越しています。

 

空を見上げればカラスがうらやましい。 翼が欲しいですね。
もっとも、人が飛べたらそれこそ空が混雑して、空中に交通信号を取り付けなければなりません。
ぶつかったら、地べたに落っこちますからね。命の問題となります。なんて、そんなこと心配していたらロマンチックじゃないですね。

ですから、私だけ飛べたら良いななんて・・・・・・

  

このごろ、画像を少し多くしています。撮りためたのが溜まっちゃってたまっちゃって。
まあ、たいした画像は撮れませんが、身の回りのもの、あるいは生活の様子などを撮るのが好きです。
わざわざ撮りに行くのは、あまり好みません。そこを歩いていたら撮りたい者が合った、というようなのが良いですね。

 

以前、カメラの雑誌を見ていたら 「 カメラをやる人は事故に遭うことが多い 」 と書いてありました。時々思い出します。人がアッというような、あるいはこう言うのを是非撮りたいと狙っていると、ついつい無理をして危険なところに行ってしまったり、車が近づいてくるのに気づかなかったり、高い所から落ちたり、水に落ちたり・・・・・。戦闘の場で撃たれる報道カメラマンが、ときどきいますね。

確かに、危険を冒してまで撮りたい場面はあるでしょうね。ほんの一瞬を逃すと二度とチャンスがめぐって来ないと思うと、ついつい・・・ですね。

 


いろいろな話題で

2016年07月21日 | Weblog


今日は、風がやや涼しいですので、過ごし易いです。少し雨がちらついてきました。
ネギの苗、といってもかなり大きくなったものですが、を隣でくれると言うので、朝の内にもう少し深くしようと溝を掘り足しました。
けっこう良い運動になります。出かける前なので、時間制限ありだったので、ちょっと大変でした。

 

イチジクは夏に入った頃に一部が実って、それから暫くしてから残ったつぼみがまた実るという二段階に分かれて実ります。
かなりカミキリムシに木を食い荒らされているので、今年は枯れるかもしれません。

     

少し夜景を撮って見ようと思ってチャレンジして見ました。なるべくシャッターぶれしないように我慢して動かないようにして撮りました。
目で見たものとは違って撮れる面白さがあります。ものすごく寂しくとれますね。何か子どもの頃に読んだ、西洋の暗い夜道を馬を走らせている場面を描いたような小説を彷彿とさせるような風景です。 

     
               
これなどはどうでしょうか。ちょうど雲が手前に来るほど広がって撮れました。街暮らしではないので、街頭などの光は極めて少ないです。
私が子どものころは、もっともっと暗かったです。その代わり星がきれいに見えました。今もきれいですが、瞬時に昔に帰って見比べられるとしたら、かなり夜空は鮮明だったのではないかと思います。


 

古くなってしまったスピーカーを解体しているところです。大きなゲンノウやナタで力任せに壊しています。
一枚板を使っているのではなく、木を粉砕したものを糊で固めて板状にしたものを使っているようです。

箱の中で音が跳ね返るのを防ぐためにガラス繊維を使っているようです。吸い込まないようにマスクをしてゴミ袋に入れました。
木屑もゴミ袋に、重いので小分けして、幾つかのゴミ袋に分けました。他の軽いゴミと一緒にして出そうと思っています。

 

強い磁石は取り外し、それは何かに利用しようと思っています。この円錐形の鉄の部分は資源ごみに出そうと思っています。

 

夕ぐれ時、カラスがねぐらに帰るところです。毎日まいにち水戸の中心地に近い偕楽園の近くの森から飛んできて、そこに帰っていきます。
人間だけではなく、カラスも通勤をしています。団地の造成地などに群がっていることが多いです。

 

昔は見られなかったタイプのカタツムリです。よく畑にいます。キャベツとかレタスの下葉のくさりかけたような所が好きなようです。
木の枝にはいなくて、土中がねぐらのようです。これは、どこかの国から来た帰化生物なのではないかと思います。
今の所は害はないようですが、大量に発生した場合はどうなるのかまだ分かりません。

 

日本のカタツムリは、このような形をしています。よく比較するとかなりの違いがありますね。
それに従来のカタツムリは、このように木の枝や葉っぱにいます。土中にいるのは見たことがないです。

    

一つの話題だけで仕上げることは避けています。話がくどくならないようにするつもりでいます。
話題がめまぐるしく変わり、深みがないという欠点がありますが、何かを強く主張したりする目的でやっているのおではありませんし・・・・。

ずっとこのような形式で続けています。



過ごし易い日

2016年07月20日 | Weblog


暑いですが、風は生ぬるくはありませんので、その分だけ過ごし易いです。こういう日なら疲れなくて良いですね。
大体、猫を見ていれば分かります。ドターっと床にすぐに寝る日はやっぱり過ごしにくい蒸し暑い日ですね。今日は猫は昼寝が終わると動き回っています。

かと言って、やっぱり夏です。ちょっと動けばすごく汗が出ます。

     
                 
                                なかよし

隣の猫がしょっちゅう遊びにきています。ミーちゃんはよくちょっかいを出しますが、決して怒りません。

つかず離れずのようです。ちょこっと寄っては離れてそれぞれ遊んでいるようです。隣の猫はジーーーーーーーっと動かずに何か考えているような仕草をしていることが多いようです。
岩の上で瞑想していたり、かと思うと畑の畝のあいだで動かなかったり、草の中で凝固していたりします。

 

なにやら、いろいろ採れているようです。取り残しがあったりして、バットのような大きなキュウリが出来てしまったり、ヘチマみたいにバカでかいズッキーニがドタンと畑にのさばっていたり・・・・・。

夏です。

 

そろそろ甘みが増してきたころでしょうか。昼間は暑く、夕方採ろうと思うと蚊に刺されたり・・・・・。

 

夏になると海から遠ざかってしまいます。どこのスペースも駐車場となってしまい、みな有料化します。そして、お客さんおきゃくさんオキャクサン。
夏の海はまさに観光地になってしまい、地元の人間が近づきにくいところになってしまいます。

市内の湖は梅の花が咲く時期意外はいつも同じですね。

 
                                       旧市内




                             


名月や

2016年07月19日 | Weblog



疲れがたまったのか、今日は昼休みの時にテレビを見ていたら眠ってしまいました。かなり熟睡してしまいました。
休息は必要です。体が要求していたのだと思います。目が覚めてから、体が軽くなったような気がします。

 

葉っぱがウドンコ病にかかっているみたいですが、ネギの畝の間にカボチャが侵入してきて、実がなっているみたいです。
カボチャの蔓はのびますからね。まあ、ネギに特別な被害でも及ぼさないなら・・・・・。このネギは去年のものです。

 

かなりの数です。これはもう、ジュースが良いかなと思っています。大玉の方も豊作のようで、トマトが好きな私は嬉しくてしかたがありません。

ミニトマトは強いですね。さほど気をつかわなくても、よく生ってくれます。

 

軒のところに円い穴が。何か虫だと思うのですが、木を食い破って巣を作る蜂がいますが、その一種なのかなと思っています。
高い梯子が必要なので、ここまで届かないわけではありませんが、ちょっと面倒です。粘土のような物で穴を詰めるか。それとも、殺虫剤を吹き込んでからが良いか。

何かと、ちょっとした雑用は生じるものですね。

 

昨日ですから、旧暦で6月15日。十五夜です。今は、なかなか月を眺めるということが無くなってきました。
テレビの無かった子供の頃は、部屋に差し込む月明かりを楽しんだ記憶があります。

ラジオで聞いた落語の 「名月や 畳の上の 松の影」 と言う句は今でも覚えています。
月は秋の季語だそうです。今は夏ですから、その句は当てはまらないかと思いますが、そうやって限定をしてしまうと自由性が無くなってつまらなくなるなと思います。
そのような決まりに厳しい俳句にはいまいち突っ込めない気持ちは今も私を支配しています。

 
                                トラノオ

それから、一部でしょうが、やたら難しい言葉や、ほとんど使われない語を駆使して楽しむ面もあるようです。
それはそれとして、好きな人の楽しむことで私の関与するところではありませんが、不変性に背を向ける傾向は好みません。

以前は、俳句のルールには従わず、かと言って川柳にもならない句もどきものを作って 廃句 と称し、このブログに載せていたことがありましたが、しだいに忙しさからですが、やらなくなってしまいました。





剪定、せんてい、またセンテイ

2016年07月18日 | Weblog


午後5時40分の頃で気温30℃、湿度90%ですから蒸し暑いはずです。その暑い中、3時ごろから一人暮らしの老人を数人訪問してきました。
みなさん元気でした。それよりも、ずっと一人で無言でいるせいか、おしゃべりがしたいのでしょうね。世間話が長くて時間がかかってしまいました。
それも仕事のうちですね。

 

二階のベランダくらいの高さの、庭にある松です。芯が枯れてしまい、伐採してしまおうかどうしようか迷っていたのですが、芯の下にある枝が上に向かって数本延びてきました。
さて、このうちの一本を芯にできないものかどうか考慮中です。待つですから、くねくねと曲がっているのも乙なものです。
その曲がり具合をうまく作るにはどの枝を残すかにかかっています。

 

これが3年前のこの松の状態です。これじゃ、切ってしまおうかなと思ってしまいますよ。もっとも、その下の方の枝ぶりも決して良いとは言えないのですが。

左右対称に枝が出ているというのは、格好が悪いですね。
それから、松の特徴としては、車のハブ(輻:や)のように出るのが特徴です。それを小さいうちに上手く剪定するのがコツです。
 
    

                       

 

 
    松の枝をこのように切ってサトイモなどをグルグル桶の中で回転させ皮を取り洗いました。

この様に枝が出るので、それを利用して、桶に里芋を入れ水をいれて、ゴリゴリと軸を回し枝で里芋を転がすと皮がうまく剥けますから、昔はそうやって里芋の皮を取りました。

さて、この形の悪い松ですが、それでも邪険にせずに、大きくなった松は買わなければならないし、形が少々悪くてもそれなりに存在感はありますからね。おまけに我家で育った松ですから・・・・・。 
 

             

集中的にやっていますので、剪定の話が続きます。私の畑の前の畑との境にあったお茶の木の垣根を潰そうとしています。
刈り払い機やノコギリや大きなハサミで一本いっぽんの幹を切りました。いちばん効率が良かったのは刈り払い機でした。たいへん暑い中、妹の旦那に手伝ってもらったので多いに助かりました。
ただし、何せ硬い木、しかも枝が複雑に出ている木を切るのですから、引っかかってきたりツタのある草がからんだりと大変でした。 

  

この様に複数の幹がぞっくり揃ってでていますから、一本いっぽん切っていくには時間がかかります。従って刈り払い機で、仕上がりは雑なのですが、とにかく伐採してしまうことを重視しました。 

               

さて、大量に出たこの枝を何処に持って行って、どのように処理したら良いでしょうか。ここに置いておくと、今度は丈の高い草が出てきますから、乱雑なきたない風景になってしまいます。

 

仕事をしたあとも悩みは続きます。昔のようにどんどん燃やすことが出来れば良いのですが。
こういうときには、薪で沸かすお風呂があるとよいのですけどね。石油と薪と両方を燃料に出来る風呂釜などは無いですからね。あったとしても、また使えるのに今あるものを壊して新しい風呂釜を作り直すなんてことはできないし・・・・・・・・

だんだん、何をするにもやりにくい世の中になってきました。




 


チルホールを使って

2016年07月17日 | Weblog


草が成長するように、速度は違いますが木もどんどん生長します。早く成長してもらいたいときもありますが、できれば遅くおそく、あるいは成長がストップして欲しいこともあります。

庭木の場合は、後者つまりストップして欲しいと思うことが多いです。成長が止まれば剪定と言う大仕事が無くなります。木の場合は背丈が高いので、剪定がやっかいなことも多いです。高さだけではなく、太さも関わって来るし、木の硬さも多いに関係してきます。

 

庭木を高いのやら低いのやらを剪定しています。かなり疲れます。これはツツジですが、気がつけばツツジの数が多すぎるので本数を少なくしようと思っています。
いちいち掘り起こすのは大変な労力を要しますから、このように根本近くで幹を切り、葉っぱがでてきたら切りながら枯らすつもりでいます。

 

アジサイは立て込んできたので移植しました。一口に移植と言っても大きくなったものはとても掘り起こすのが大変です。
途中まで掘ったのですが、時間も力も要りますから、考え込んでしまいました。

 

それで、これを引っ張って抜けるだろうかと考えるようになり、それを実行してみることにしました。
引っ張る道具はあります。木を倒すときに使う チルホール と言うテコの原理を応用した道具です。

 
 

このような道具ですが、これをロープとロープの間に入れ、引っ張ってみました。そしたら、さすが金属の道具です、見事に引っ張りきってアジサイの塊が土からはなれてむしり取ることができました。

それで植え替えは手で引っ張っていき穴を掘って植え、仕事は完了です。やっぱり道具があれば仕事ができると言うことです。本当はユンボでザクッと根を掘り運んで植えればほんの1~2分で仕事ができるのですが、そういう高価な機械は持っていませんから、あるものでやるしかありません。

 

まだまだ剪定しなければならないものがたくさんあります。あせらずに少しずつやり遂げて行くしかありません。