ある少年の写真

2008年01月15日 | Weblog
 
 昨日は成人の日でした。成人のみなさん、おめでとうございます。

 この頃は、荒れた成人式はなくなったのでしょうか。もしそうなら、とても良いことです。若い笑顔がたくさんテレビ画面に写っていました。若いって良いですね。

 さて、おとといの13日に成人式を行ったところもかなりあるようです。成人の日に成人式を行わなければならないという決まりはないでしょうが、成人の日に成人式を行わないのでは、成人の日を設定する必要もないのではないかと思います。

 べつに、きつい意見ではないのですが、ふとそう思いました。というのは、決まりがないのだからとか、罰則がないのだからいいじゃないか、と言う考えが蔓延しているような気がしてならないのです。それが、いろいろなことに支障を来しているような気がしてならないのです。

 そういう気持ちが、たとえば身障者のための駐車スペースに、平気で車をとめるというような行為の元になっているような気がしてなりません。それ以上の具体的な例を挙げたり、くどくどと御託を列べることは家庭菜園ブログでは言いません。


                     


   


 晴の朝にはいつも見られる光景なのですが、太陽が出るときと沈むときは特別な気がして、ついつい夢中で撮ってしまうものです。

 こういう瞬間は寒さなんか忘れているものですね。撮り終わってから「おお寒い。」なんてつぶやくのです。そして、この太陽が出ているのを確認して、風呂用の水を屋根に上げるのです。


   

 わが家の梨の木です。枝が伸び放題です。さっぱり面倒を見ないので、実もほとんどなりません。生っても、ジャガイモくらいの大きさにしかなりません。とりあえず剪定だけはしました。たぶん、面倒を見きれないで、今年の梨も無しでしょうね。


   

 ハウスの中のレタスです。昨年10月末に植えたものですが、まだ丸まって来ませんね。ハウスが穴だらけで、夜に冷えすぎるせいでしょうか。まあ、寒さで枯れないだけ良しとしましょう。そのうち何とかなるだろう~~~ 

                   

 すごいテレビ番組をみましたよ。BSiという民放でしたが、あるアメリカ人写真家のことをやっていました。名前は ジョー・オダネル Joe O'Donnell さんです。

 1945年に従軍カメラマンとして兵隊で佐世保に上陸し、戦後の写真を撮り続けました。残念なことに、昨年の8月に85歳で他界したそうです。

 81歳のときに、彼が撮った写真の中の人たちに会いに来たのです。そして何人にも会えたのですが、強く会いたかった人には会えませんでした。

       

 この写真の少年にぜひ会いたかったのです。この少年は、原爆投下後に 焼き場 に来ていたのだそうです。直立不動で、背中に弟を背負っています。弟はすでに亡くなっていました。そして、その弟を荼毘にしてもらおうと順番待ちしていたときに撮ったのだそうです。背中の弟は、ぐっすりと眠っている顔でした。

       
               緊張した少年の顔
         きりりと結んだ唇からは血が出ていたとか

(左上の白い雲のような部分は背景の一部のようです。心霊写真ではないでしょう。背景のいくつかの額のぶちは、写真展の写真が反射して写っているものです。)

 声をかけたかったのですが、精一杯頑張っている様子で、声をかけたとたんに崩れてしまうのではないかと思い、とうとうできなかったとか。この少年は今どうしているか、ぜひ会いたかったのだのです。

       

 衝撃的な写真です。番組では、もちろんこの他に沢山の戦後の長崎や福岡の写真が出てきました。瓦礫と化した日本を見て、撮って、戦争、特に原爆投下、に対して強い憎しみの気持ちを抱いたようです。

       
              少年を探しまわるオダネルさん

 それにしても、すごい写真です。野坂昭如の「火垂の墓(ほたるのはか)」と重なるものがあります。ジーンと来る番組でした。  

 いろいろなサイトにオダネルさんのことが出ていますので、検索してご覧下さい。