顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

かき揚げそば (道の駅ばとう)

2019年08月16日 | 食べログ

不運な火災を乗り越えて2015年に新装オープンした「道の駅ばとう」は、新鮮な野菜や手作り漬物、地元那珂川町ゆかりの商品などを揃えた物販コーナー、アイスクリーム工房とレストランを備えた国道293号沿いの休憩スポットです。

いつも注文するのは、かき揚げそば750円、20センチ以上ある特大かき揚げは、地元野菜7、8種類を使用しているとか、カラッと揚がったサクサク感が魅力ですが、なにぶん大きすぎるので別盛りで頼むのがおすすめです。
地元粉を使っているという蕎麦は冷と温が選べ、コシのある細めの麺は蕎麦専門店に引けを取らない美味しさです。
なお、馬頭と呼ばれる当地はもと水戸藩領で、今も残る水戸藩御用の小砂(こいさご)焼きの器を使用しています。
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真夏でも、朝は涼しい…

2019年08月13日 | 季節の花

たまたま目が覚めてしまった朝、久しぶりに歩いてみるともうすでに秋の気配が感じられました。

オオマツヨイグサ(大待宵草)は名前の通り、夕方開花して翌朝には萎むのですが、今朝は何とか待っていてくれました。

カラスウリ(烏瓜)は、早朝でも妖艶な花を閉じてしまいましたので、同じ場所で撮った在庫写真を並べてみました。

ツユクサ(露草)は朝咲いた花が昼には萎むので、朝露を連想してつけられた名前とか…、花の形から蛍草とも言われ、いま葉室麟原作の「蛍草 菜々の剣」がNHKBS時代劇で放映中です。

ナツズイセン(夏水仙)はヒガンバナ(彼岸花)の仲間、花が枯れた後に葉が伸びるヒガンバナに対し、ナツズイセンは春に出た葉が枯れた後に花が咲くという変わり者です。

クズ(葛)の花、どこでも蔓延ってしまう嫌われモンですが、新芽と葉は天ぷらにすると美味です。ネットでは葛の花由来のイソフラボンが、内臓脂肪を減らす効果があるといま大きく謳われていますが…。

賑やかな色の実は、ウワミゾサクラ(上溝桜)です。枝や葉はサクラに似ていますが、小さな花が穂状に咲き、その若い花穂や未熟の実を塩漬けにしたものを越後地方ではアンニンゴ(杏仁子)と呼び、酒の肴などにするそうです。さすがの楽天、amazonでも扱っていませんでした。

高速道下のフェンスに絡まったミツバアケビ(三つ葉通草)、毎年熟れる頃にはどなたかの腹に収まっているようです。

シバクリ(芝栗)もこんなに大きくなりました。もうすでに虫食い状態になっています。

さて、可愛そうな名前のついた植物3種…。

ヘクソカズラ(屁糞蔓)は、メルカプタンというスカンクの屁と同じ揮発性物質を持ち臭いですが、よく見ると長く曲がった雌しべが顔を出している可愛い花です。

クサギ(臭木)は、葉でも揉まないかぎり匂わず、それどころか花は甘い香りがするので、命名には同情してしまいます。

ゴンズイは、毒を持つゴンズイ(権瑞)という海水魚と同様何の役にもたたないというのが命名の由来(牧野富太郎説)とされますが、異説もいろいろあるようです。

二ひらの花びら立てて蛍草   松本たかし
露草も人の心も朝素直   後藤比奈夫
抱一の観たるがごとく葛の花   富安風生
渋の湯の裏ざまかくす葛の花   水原秋櫻子
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豊後国2孝女の実話が残る青蓮寺

2019年08月10日 | 歴史散歩

皇跡山極楽院青蓮寺の縁起は、案内板によると…天武天皇がまだ親王のころの天智9年(670)、この地東連地町に2年ほど留まり帰還後その殿上に仏像や聖徳太子の像を安置した。その後500余年を経て、周観上人が皇跡山極楽院瑞巌寺と称し、天台の法流を伝えた。

鎌倉幕府の御家人畠山重忠の第二子重秀は、重貞が殺された元久2年(1205)に出家して、恵空と称した。父の墓を尋ねて常陸国に来たとき、当山の太子堂に泊まって太子の夢を見、お告げに感じて親鸞の弟子となり、法号を性証と改めた。再び訪れたときは、境内が荒れ果てていたので、建保6年(1218)に境内を整え、堂宇を建てて浄土真宗の寺とした。その後、ここに住み青蓮の夢を見たことから、青蓮寺と改めたと伝えられている、と書かれています。

鎌倉時代の作と伝わる本尊の木造阿弥陀如来立像は、像高53㎝、光背102㎝、昭和46年(1971)に茨城県指定重要文化財に指定されています。

江戸時代中期に再建されたという寄棟、瓦葺、平入の本堂の蟇股に彫り込まれた16菊紋が天武天皇の旧跡を示しています。木鼻の獅子と象も歴史を感じさせます。

このお寺を一躍有名にしたのは、江戸時代後期に、親鸞ゆかりの地の巡礼の途上で病に倒れ青蓮寺で手厚い看護を受けていた父、初衛門を迎えに、豊後国臼杵(現大分県臼杵市)からこの地まで300里(1200Km)約2ヶ月の旅をした都由(つゆ)、土岐(とき)の姉妹の話が伝わったからです。

この話は地元臼杵市では伝えられていましたが、2004年に臼杵市の郷土史研究家が青蓮寺に照会したことをきっかけに、翌2005年に青蓮寺で臼杵藩江戸屋敷から青蓮寺宛への手紙や姉妹からの礼状等の17通の書簡が発見され、実話であることが判明しました。

その後、これらの書簡は「豊後国二孝女関係資料」として、常陸太田市の文化財に指定され、2007年には茨城県の県立高校の道徳副読本にも掲載され、2010年には青蓮寺の境内に記念碑が建立されました。
またこれをきっかけに、常陸太田市、臼杵市は2015年姉妹都市を提携しました。

青蓮寺住職証吟夫妻が初衛門のために結ばせた庵跡です。村の人々の手助けや郷医猿田玄碩の手厚い看護があったといわれています。

文化8年(1811)8月11日臼杵を出発した19歳、22歳の姉妹は、かえって危険だからと路銀を持たず、髪を切りあえて汚くみすぼらしい姿で、物もらいをしながら旅を続けたといいます。途中で臼杵藩の家臣に会って江戸屋敷で厚遇を受けたりの幸運にも恵まれ、10月9日青蓮寺に到着後も、地元の役人なども支援に動き、孝心に対する褒美金が水戸藩庁より下されました。

臼杵市に残る資料には、時の水戸藩主徳川治紀の書状や、二孝女の行動を褒めたたえた短冊帖などがあり、これは武士や農民、商人、僧侶など95人が詠んだ俳句や和歌で、お土産として持たせたものとされています。
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吉田正音楽記念館

2019年08月04日 | 日記

日立市に生まれ戦後歌謡界の巨星となった吉田正の音楽文化への功績を伝えるために平成16年に市内を見下ろすかみね公園の最高地点に建設されました。

大正10年(1921)1月20日、日立市で生まれた吉田正は、日立工業専修学校卒業後民間会社に勤務しましたが、昭和17年(1942)満州国に展開していた陸軍水戸歩兵第二連隊に入隊となりました。昭和19年(1944)急性盲腸炎のため部隊のペリリュー島転戦に参加できず満州に残リました。(この年の11月、約1万の部隊は約5万の米軍相手にペリリュー島で玉砕してしまいました)
その後シベリアに抑留され、従軍中に作曲した歌が読み人知らずのまま抑留地に広まり歌われていました。

※肖像写真は吉田正音楽記念館のホームページから借用いたしました。
(ここからはWikipediaの記述です)昭和23年8月、NHKラジオの素人のど自慢でシベリア復員兵の中村耕造が、よみ人しらず「俘虜の歌える」と題して歌った。しかし、よみ人しらずで歌ったため伴奏のアコーディオンがついていけなかったこともあり、その回は鐘ひとつ(不合格)で終わったという。しかし、その後(翌週とのこと)、再びこの曲を歌う者が現れた。その際は、アコーディオンがその曲を知っていた(前回よみ人しらずで歌ったため)こともあり鐘三つで合格したのだが、「この曲は一体何の曲?」と話題となり、NHKがラジオにて作曲家をさがし始めることとなった。
しかし、募集直後から「私が作曲した」と偽ったものが何人も応募し、作曲家探しは混乱を極めてしまった。
一方、同月2月に舞鶴港へ復員し、静養の後、入隊前の会社に復帰した吉田正がその話をたまたま聞き、NHKへ名乗り出たことにより、正式な作曲家が確定。翌月佐伯孝夫が補作詞したこの曲が「異国の丘」として大ヒットし、吉田正が大作曲家としての足がかりとなった。(以上Wikipedia より)

今日も暮れゆく 異国の丘に 友よ辛かろ 切なかろ
我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ 帰る日も来る 春も来る


2階から4階にかけての吹き抜けには、690枚のレコードジャケットが飾られ、78回転のSPレコード時代からCDまで時代を彩った吉田メロディーの歩みを表現しています。

吉田正の居間の空間、吉田門下生のレッスンに使ったピアノや作曲に使った机などで、居間の雰囲気を再現しています。

思わずメロディーが浮かぶヒット曲の数々、歌謡曲は流行った頃を思い出させてくれるというすごい効能を持っています。
赤と黒のブルース(1955年/鶴田浩二)
有楽町で逢いましょう(1957年/フランク永井)
誰よりも君を愛す(1959年/松尾和子&和田弘とマヒナスターズ)
潮来笠(1960年/橋幸夫)
平成10年6月10日死去、77歳。没後、国民栄誉賞を受賞しました。

所在地/日立市宮田町5丁目2−25    (入場無料)
年中無休・午前10時〜午後6時(5階展望カフェは午後9時まで)
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暑中お見舞 2019

2019年08月01日 | 季節の花
暑中お見舞申し上げます。
この地方の梅雨明けは7月29日、去年より30日遅く(去年は例外でしたが)平年よりは8日遅かったとか、その分暑い夏が短ければいいのですが…?
視覚だけでもせめて涼しげに、と庭の花を探してみました。

こぼれ種子で毎年でてくる朝顔、名前は不明ですが和風の感じが暑中見舞いにぴったりの図柄になりました。

涼し気な色のセイヨウニンジンボク(西洋人参木)、木本なのにシソ科の植物で、葉がチョウセンニンジンに似ていて、ヨーロッパ原産であることから名が付きました。鉢植えを庭に下ろしたら心配なくらい大きくなっています。

一転して暑い夏を象徴するようなポーチュラカ、ハナスベリヒユともいいます。夏の炎天下で花をいっぱい咲かせている元気をもらいたいものです。

同じ赤でも涼し気な色のベゴニアの鉢植え、種類が多くて名前はわかりませんが、やはりこの暑い季節に花をどんどん咲かせています。

植物同様、どうぞ水分を十分摂って、お元気で乗り超られますよう…。
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