降っているのかいないのか?と聞かれると、「少し降っている」と言う答えが一番でしょうか。降っていない時もあるのですが。
涼しいので、外出は長袖シャツを着ていきました。今日は堂々と長袖が着ていけます。近くのホームセンターに行って、犬猫の餌と小物を買ってきました。
それにムヒ。無視できないですよ。虫に刺される夏ですからね。
テーブルの上に居たいのは結構ですが、だんだんパソコンに迫ってこられると、しまいには使えなくなってしまうのです。
家内の友達が二人来たときです。ミーちゃんはお客さんが大好きなのですが、一人の女性のお尻のあたりに座りました。
もう一人の友達が 「そのうち座布団取られるよ」 と言いました。
気がついて大笑い。
おしゃべりをしている間に本当に座布団を取られて、自分は畳の上に座っていました。
庭師さんが二人来て二日間剪定をしていってくれました。こんなに、スケスケに枝葉を切って行ってくれたので、風がよく通り、涼しくなりました。
これより前は、それぞれの木はぼってりと厚着をしていた感じで比べれば、以前は見るからに暑そうだったんだな思います。
涼しいのは大いに結構なのですけどね。いろいろな事が狂いますね。先ずは、野菜に影響が出てくるでしょうか。
たぶん、人間の体内のリズムなども気づかないところで狂ってくるかも知れません。体のことは本当に素人には分かりませんからね。
堆肥の中からカボチャの苗が
花が咲いて
大小さまざま
いくつかの
カボチャがなりました
果たして、どんな味になることやら。
世の中ますます恐ろしくなってきましたね。ミサイルなんてのが日本の上空を通過して飛ぶ時代になりました。
それはさておき、ブログも一日分の量があまり多くなるのは考え物ですので、話題をひとつ、次の日に送ろうかなと思っていたところ、次に日にはすっかり忘れてしまい、二日遅れの今日になってしまった話題があります。
載せないと、自分で あれ?今年は無かったの? なんてことになりかねませんが、別にニュースでもないので、即効性ということでもありませんから、・・・・。と、くどいほどの前置きをしておいて・・・。
盆踊りがあったのですが、今言いましたように量が増えすぎるのも退屈を誘うでしょうから、載せないでしまいました。
一年おきに近くのグラウンドで、町内にある 石川ばやし と言う名の団体が盆踊りを行っています。あの夏祭りのときに、山車を繰り出してくる団体です。
http://blog.goo.ne.jp/classic555/e/6ffe87df06e3a6f76861df3017730789
なかなかの盛況でした。ただし、今は多少は見られましたが揃って浴衣姿で踊る人は少なくなりました。
時代の流れのせいでしょうか。賑やかな街の中では盛んにやっているところもありますが、田舎では以前は盛んだったのですが、テレビが登場してから下火になり、いったん無くなってからはまだ盛り返す勢いはまだ見られないのが寂しいところです。
今日は庭師さんに来てもらっています。今までは自分で剪定をしていたのですが、木の勢いにまけて、なかなか思い切って摘める勇気がなく、どうしても少しずつ高くなってきてしまっていて、もう私のハシゴでは届かない所もあるし、危険ですから頼みました。
さすがにプロです。どんどん切り詰め、枝の間を透かして風が通るようにし、見合ったように低く剪定してくれています。間を抜ける風も涼しく感じます。これでは、やっぱりプロにお願いしないとだめですね。
この松は、まだ始めたばかりで背丈が高すぎますが、剪定後はこれよりずっと背丈が低くなりました。最上部も小さくなりまた。
しかし、根本付近には庭石やツツジやドウダンツツジが植えてあり、ハシゴを置くところにも工夫が要ります。
ですが、私よりもずっと高いハシゴを使っていますので、楽にそういうものを跨いでしまい、またハシゴの設置も届くように工夫が出来るのでしょうか、苦労もしないで設置できるようでした。
枝豆なのですが、だいぶコガネムシが葉を食い荒らしているようです。大豆は別に葉を食べられても、かまわないし、むしろ食べてくれた方が良いくらいです。
葉が茂ってしまうと、実が付きませんからね。ですので、肥料が多すぎると葉が茂り、さっぱり豆の収穫は望めない状態になってしまいます。
私は、大豆の時には特に何も肥料は与えないで、前の作物の残りの肥料で育てるくらいにしています。
友達からもらった唐辛子ですが、世界で一二を争うくらいピリ辛なのだそうです。名前は分かりません。
これを取ってきて炒めて、恐るおそる食べたのですが、さっぱり辛くないですね。ただおいしかったです。
推測ですが、赤くならないと辛くならないのでしょうか。私は激辛はダメなのですが、これなら行けるかなと思っておいしく食べています。
なんとなく、暑そうで涼しそうな日です。プロの絵の世界のことですが、下手なようで上手い。こういうのを「へたうま」と言うのだそうです。
こういう絵なのだそうです。わざわざなのでしょうか。それともこれが個性なのでしょうか。下手に描いていますね。
話は戻って、そういう絵の表現を借りると、今日の気温は何というのでしょうか。「あつすず」でしょうか、それとも「すずあつ」でしょうか。
そんなことを書いているうちに、いま、左手の肘ちかくの腕がやや汗ばんでいたのでしょうか、手を動かしたところ鉛筆が腕にくっついてきて、重さに耐えかねてへばりつききれなかったのでしょうか、床に落ちました。紙などしょっちゅうです。これなんか夏がもたらす嫌いな現象です。
キャベツの苗です。20本くらい植えたでしょうか。まだ蝶が飛んでいますからね。ネットで囲わないと、あとで葉っぱがネット状になります。
何時でしたか、もっと前に植えた苗は球ができそうになっているところです。こうなってくると楽しみです。
いよいよ、掃除機が駄目になってしまいました。小型なものですから、部屋から部屋へと掃除する時ではなく、ちょっと部屋が汚れてきたかなと思われるようなときに使っていました。
まず、吸い込むあたりが壊れ、代わりの筒を差し込んでゴミを吸い取っていましたが、今度はもっと上の方が壊れたと見えてゴミ袋の蓋が閉まらなくなってしまいました。もう、仕方がありませんね。
旧式なので部品ももう取り扱っていないかも知れません。確か10年くらい経つと部品を用意しておく必要が無くなるのだとか。
天気は安定状態です。暑さはまあまあですが、いったん仕事をするとやっぱり夏ですね。大汗をかきます。
今日は旧村にあたる町内の鎮守様でお祭がありました。嵐除け祭というお祭で、210日に近い日を選んで行なうお祭です。
この頃は、社会事情の変化により平日は役員さんが集まるのが大変なので、日曜日に行なうことになっています。
祭は神社の中だけで行い、賑やかな人出のある性質のものではありませんので、関係者しか来ませんでした。
午前中に終わったので、午後は画家をしている友達の絵の個展があり、招待状をもらったので太平洋岸は県の一番北にある町まで行ってきました。
上の画像は招待状に載っていた絵ですが、アクリル画なのだそうです。一見、油絵のようにも見えます。他にもかなりの数の作品が展示されていました。すばらしい絵ばかりでした。
ポピーだそうです。女性らしく明るいやさしさに満ちた絵が多かったです。ほかに、何点もの版画がありました。見に来る人も多く盛況でした。良かったよかった。
お昼は時々立ち寄る、海に面したホテルのレストランによりました。
https://tabelog.com/ibaraki/A0805/A080501/8000575/
上の画像は2015年に、このブログに掲載したものです
この岩の島は二つあったのですが、片方は崩れて海中に没し、いまは一つだけになってしまっています。ですが、昔のとおり 「 二つ島 」 と今も呼ばれています。
充実した日でした。
昨日と同じように、穏やかではありましたが暑い日でした。
早朝、朝食前に仕事をしました。
先日、トウモロコシを処分したのですが、その根っこの部分が残っていましたので、マルチのビニールを取り除きつつ、根を鎌で切りながら抜き取りました。けっこう力が要りました。
仕事は次から次へとあるもので、気がつけば柿の枝が実の重さに耐えかねてか保育園に貸してあるサツマイモ畑の方に垂れ下がってしまっています。柿は豊作のようです。
のこぎりを持ってきて、柿の実は惜しかったのですが枝を切りました。それも一本切ると次の枝も切った方が良いかということになり、またもう一本と・・・。
切った枝は片付けなければなりません。それも含めて結構な仕事量になりました。それに、朝とは言え、かなり汗をかきました。やっぱり夏ですね。
8時ころ、「 ひよっ子 」 を見ながら朝ごはんをたべました。食べながらですと、もぐもぐ食べる音が邪魔するからでしょうか、よく聞こえません。テレビの音量も高くなります。
このドラマを見ていると、自分が同じ年頃のことを思います。彼女らの時代と年齢を考えると、ほぼ同じくらいの年ですからね。
昨晩の夕焼け。コロをつれて散歩していましたが、夕焼けは背中の方向だったので、気づかないで歩いていました。
振り返ってびっくりしました。雲の具合のせいでしょうか、何かが燃え上がる時の煙のように見えました。
やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭蕉
生き物は、いつも一生懸命に生きていますね。先ほど追い払った蚊でさえ一生懸命に生きているに違いありません。
見ていると、生き物は皆、正直だなと思います。蝉は本当に、わずかな命を燃やて懸命に鳴いています。死を知らないからでしょうか。芭蕉はさすが良く言ったものです。
芭蕉は 軽み と言うことを重要なことと思ったそうです。日常の生活を営んでいて、何気ないことを句に詠み、それが読む人の心の中に深みと重みを残すという方法のようです。
確かに、蝉が一生懸命に鳴いている様子のことを詠っているわけですが、何かを考えさせられます。
涼しい日々の続いた後の、暑い蒸す日の連続はこたえますね。子どものころを思い出します。
子どものころは、家の人は毎日忙しくてかまってくれないし、たとえ忙しくなくても今のようには気軽には遠くに連れて行ってくれませんからね。経済的な理由(国全体が貧しかったです)と、移動手段はせいぜい自転車ですからね。
炎天下の自転車は想像しただけでもぐったりします。
毎日まいにち、縁側のような床の上に転がったりして 「 あついよ~。あついよ~」 と言っていた記憶があります。
今のようにテレビなどなくて、そんなもの想像もできないくらいですからね。ましてやゲーム機など・・・・・。退屈が友達でした。
今日は眼科に行ってきました。左右の白内障の手術のあとの半年ごとの検診です。大きな病院です。かなり混んでいました。不具合な人は多いんですね。
最初に瞳孔を開く目薬をさされましたが、室内にいる分には普通なのですが、外に出たとたんにお日様が落っこちてきたのかなと思うくらいにまぶしくなるのです。
検診が終わっても、数時間は病院内にいるように指示されていますが、そんな長い時間を院内のどこで過ごしたらよいのでしょうか。看護婦さんの部屋へでも行って楽しく談話でも出来るなら楽しいでしょうけど。
大きな病院ですから、看護婦さんは多いですよ。 「 温泉さん、コーヒーいかがですか? 」 なんちゃって 。 あ、そんなことありっこないですね 。
でも、大丈夫なのです。すぐに車を運転して帰ってきてしまいました。
色の濃いサングラスをかけると大丈夫なんですよ。本当に何の支障もなく運転できるのです。自分でこの方法を見つけました。
しかし、それでも新聞のあの小さな文字は普通でも今はメガネをかけなければならないのですから、それはちょっと無理です。
ところで、結果は異常なしです。ただ、涙腺のうち余分な涙を排水する管がつまり気味なのだそうなので涙目になりやすいです。鼻に通じていて、わずかな量なのでしょうが、余分な涙はそちらに排水されるのだそうです。
8月も残すところあと少しになってきました。が、9月に入ってからも暑い日は続き、お彼岸の頃までは覚悟しなければなりませんね。
近年は、暑さは彼岸過ぎても続くことがありますからね。その分だけ秋が短くなるんですよね。あ~~~。考えただけでも疲れます。
暑いですね。水戸は36℃になるという予報をテレビでやっていました。現在午後4時前でこの部屋では33℃くらいで、湿度は80%弱のようです。どちらの数値も簡単な計器なので、正確かどうかは分かりませんが、信じるしかないですね。
猫のミーちゃんは、廊下にドタンとひっくり返ったまま寝ています。毛皮を脱がせてやりたいです。
広い住宅地だったところに、このような物が立っていました。この一帯はすべてこのようなさら地になっていました。
ちょっと画像が小さくてわかりづらいですが、建物が写っていますので、被災前の町の写真であるようです。
一枚いちまいの貼られた紙には、このような言葉が書いてありました。一部を拡大してみました。
22日と23日の二日間、民生委員の研修旅行で、石巻市と南三陸町に研修旅行に行ってきました。
どちらもあの3月11日の大地震で大津波の被災地です。石巻市では低いところ、しかも河川の近くがかなり被害を受けたようです。
「ようです」と言いましたが、実は当時はなんどもそのことはテレビ番組で見ました。しかし、被災地があちこち数多いので、遠方の私などは、どこがどれくらいの被害に遇ったかなどは、当時でさえ、もう区別がつかなくなっていました。
見学した石巻はかなりの広さの住宅地がさら地になっていました。うえの画像はさら地の上に立てられた励ましのパネルと、被害地の模型です。
二日目。これらは南三陸町の画像の一部ですが、町の大部分が被害を受けたそうです。聞き間違いがないとしたら15mの高さの津波だたそうです。
堤防は5mだったとか。予報では6m。こちらの方が犠牲者が多かったのではないかと思います。
逃げろと言われても、家族が心配だと安否確認に駆け回ってしまい、結局は犠牲になった人も少なくないそうです。
上の画像は、土砂で嵩(かさ)上げをしているところですが、これでもまだ6m足りないのだそうです。それでも国では「ここまで」と指定しているのだそうです。
上の画像二枚は、あの「逃げてください。逃げてください。」とマイクで市民に呼びかけていた女性が犠牲になったちくあたりです。
その後は、塩釜市からチャーター船で松島湾を横断して松島までいきました。
瑞巌寺です。工事をあちこちでやっていました。震災の被害の修理なのでしょうか。整地もしているようで境内はガラリと変わってしまったところもあります。
道路は、水戸からほとんどが高速で、まず常磐道。東仙台道、南三陸道と、どこからがそうなのかは標識はあったのでしょうが、いつのまにか変わって境目はわかりませんでした。
福島県はいわき市をすぎると、あちこちにこのような風景が見られます。これは放射能を沢山含んでいる土砂等を集めて管理しているところです。
このまま何年も置いたら、まず被服が風化して中身が露出するでしょうね。その後はどうするのでしょうか。
なお、被災地では観光旅行でもかまわないので気を使わず、とにかく見に来てください、現状を知ってください、考えてくださいと言っているそうです。
語り部の話では、人間と言うのは本当にこの教訓を学んだであろうかと考えると、まだまだ大いに疑問を感じると言っていました。何に疑問かは、嵩上げが不十分でも国の基準は不十分のままだとか、人の気持ちの揺らぎなど、テレビなどを見ているとヒントになりますね。
暑いです。夏です。と言っても気温は28℃です。
体温に迫るというほど暑くはないのですが、ちょっと動くと大汗をかくのは湿度のせいでしょう。90%を超えているようです。
風呂場に長い時間いるような感じになるのでしょうか。
ペチュニアはまあ、あっちこっちに勝手に出てきれいだこと。雑草のように出ますね。ですが、香りもよいしきれいなので好きな花です。
私はこの花が好きで、沢山さいているとイイナと思います。けっこう長持ちする花ですね。
花が咲き乱れるというのも良いですね。ただし、この中に背丈のある雑草が入ってしまうと、そのむしりづらいこと。
体が入る分くらいのスペースがないと、せっかくの花を倒しながら草取りをするようになってしまいます。
渋柿なのですが、実が生りすぎということもありますが、木がこちらに元々傾いているので、なんともしようがありません。傾いている側に太い根がないのかも知れないと言われたことがあります。
一度起こしてつっかい棒をしたのですが、それが沈んでしまって・・・。向こう側に引っ張るにも、人力では無理ですし、トラクターで引っ張るにも、やっぱり花が咲いているところがあるし、ちょっと無理です。また引っ張りきれないかもしれません。
向こう側に太い木でもあればロープをつけて滑車で引っ張れるのですけどね。いまのところは手の下しようがなく、思案中です。
植物が繁茂している様子を見ることは、涼しい時にはとてもすがすがしくてよいのですが、今日のようなムシムシする日にはちょっと蒸す手助けをしているような感じがしないこともないです。
むしろ、同じ暑い日でも、乾いて白くなった土の露出した畑でも見ている方が少しは気が楽かなとも思います。
少し草むしりとか終わった花を片付けるなど仕事をしたのですが、かなり大汗をかきました。
月下美人なのですが、ちょうどお盆のころに5つほど開花しました。
今夜は絶対見るぞと思っていたのですが、いろいろと用事があって見るのを忘れてしまいました。残念。
時期がちょっとずれてくれれば見るゆとりがあったのに。
今度、この蕾が咲くときにはぜひ見ようと思います。
今日は、カラッとは晴れませんが、暑くて夏らしい日です。蝉も賑やかに鳴いています。やっと「俺たちの夏」が戻ってきた、と言う気持ちかも知れません。
今日は、暑さと小雨の中を何日か二人で頑張って野良仕事をしたので、気晴らしに出かけました。
と言っても、出かける話がまとまったのは、お昼も近づいて来そうな時刻でした。
それで、市内のレストランでは何かいつも行くところになってしまうことになりそうなので、時間がかからない隣町の路地裏にあるレストランにしました。
途中、高速を使えばなお短時間で行けます。
案内されたテーブルの脇の壁にはこのように、和菓子を作るときの木型が展示してありました。
これは比較的大きな菓子を作るときのものですね。
大きな窓の外には、このような陶器のオブジェが男女一対。面白いなと思いました。
行った所は陶器の町です。陶器と言うと、ほとんどが器です。私は多少天邪鬼のところがありますので、当たり前の器ではつまらなく、オブジェに興味があります。
こういうオブジェは絵画とはまた違って面白いです。陶器のオブジェというと、シーサとかフクロウとか猫や犬とか、なんとなく決まったものが多いですが、こういう独特のものはとても好きです。
せっかくなので、陶芸の丘というところにも行きました。右の建物は展示販売を行なっているところです。
この画像では写っていませんが、左手には陶芸博物館がありますが、どうせ器ばかりだろうと思って、以前にも見ていますので寄りませんでした。
芸術の町ですし古い町で、「忠臣蔵」で有名な、あの江戸城は松の廊下で事件を起こした浅野家が赤穂に移封されるまえに、この地を治めていたというところです。
午後4時前後のころから、遠くの空でゴロゴロという音が聞こえ始めました。
今は4時20分頃ですが、少し近づいてきたようです。空は暗くなり雲も黒っぽくなってきました。パラパラと大粒の雨も降り始めたようです。
いったん停電になり、作りかけの文章が失われてしまうかと思ったのですが、この goo の編集画面は復元してくれるので、書きかけた部分までは大丈夫でした。それに継ぎ足して書いています。
また松ぼっくりが大きくなってきました。私たちは 「 マツカサ ( 松傘、松笠 ) 」 と言ってきました。「 松ぼっくり 」 と言う言葉はテレビか本かで知った言葉です。「松ぼっくり」のぼっくりと言うのは 「いぬのふぐり」 の 「ふぐり」 と語原が同じだそうです。
近年、また山の松が大量に枯れているとか。困りましたね。
マツカサが出来るのですから、種がこぼれて一本や二本は芽が出ているかなと近くをさがしたところ、見つけました。
右脇にヒノキかサワラの苗が育っています。ヒノキは硬くて香りがとても良いです。また、火がつくと燃え易いので、昔は火の木と言ったとか。
サワラは大変似ていますが、木が柔らかく建築にも一部使われるようですが、私が聞いたのでは桶とかお櫃(ご飯を入れる桶)とか提灯の底板に使われるのだとか。私は葉っぱの匂いで違いを区別しています。
古くなると、たいていは芯の部分が腐ってなくなり空洞になります。
近くに別な芽も。これは杉ですね。どこからか種が飛ばされてきてここで発芽したようです。
そのほか、これはカヤ(萱)の苗のようです。ほかにモミジの苗がよく見られます。
植物は動かないので、ここで発芽したら此処で育つほかありません。ですが、ここで大きく育たれては家がすぐ近くにあるので困ります。
かと言って移植するのも、もういまある以上にはこのような木は要らないし。
今日は、昨日の午後からと併せて、だいたい5反 (1,500坪 ) 弱 くらいの面積の草刈をしました。
面積があるので、ガソリンもかなり消費しました。
雨が多かったので、草は伸びにのびてオヒシバ・メヒシバなどは茎も太く、エンジンが止まりそうになりました。
たぶん、草の量も多いので、水車のように縦に回転する刃と覆いの部分の間に刈った草が溜まってしまい、下に落ちないので回転を妨げたからではないかと思います。
急いで仕事をしようとすると、仕事が粗くなり、刈り残しがあったり、短く刈らずに長くなってしまったり、刈らないで通り過ぎてしまい、帯状に残ったりして、雑な仕事になってしまいます。
たかが草刈り、されど草刈り、ですかね。
今朝は、気温が上がったのでしょうか、暑苦しくて目が覚めてしまいました。
しばらく寝床で寝返りなどうっていたのですが、しまいには暑くてあつくて辛いので起きてしまいました。
仕方が無いので、録画などを見ていたらそこで眠ってしまいましたが、それほどは睡眠不足は取り戻せなかったです。
サルスベリの花が真っ赤で、とてもきれいです。このサルスベリは古くて、この家を建てたころからあります。
ですので、65年以上くらいになるでしょうか。
落ちた花で地面が真っ赤になっています。私は子どものころから、毎年まいとし見てきたことになります。
今日は、夏風邪も治ったようだし、雨も降らないようなので久しぶりに草刈をしました。ただの草原ではなく立ち木が随所にあるので刈りづらいです。
今年も稔ってきましたが、ある人がブログでハクビシンに食べられたという記事を載せていました。
私も昨年は何ものかに食べられてしまったのですが、おそらくカラスかハクビシンです。カラスはネットがあると近づかないですので、おそらくハクビシンかもしれません。
今年は、熟するころにはもっと対策を考えなければなりません。
ネットのニュースなのですが、わずかな睡眠不足が積み重なり、さまざまな病気のリスクが高まるのだとか。
不足分を 「 睡眠負債 」 と言うのだそうです。睡眠不足に慣れてしまうと、辛くはなくなるらしいのですが、体にその分が負担となるのでしょうか。
そのネットの話では、子どもの睡眠負債が深刻なのだそうです。寝る時間が惜しいと思うときがありますからね。十分気をつけなければ生りません。
今朝のように何かの調子で起きてしまったなどということは、年にそうは多くはないと思いますので、それくらいなら大丈夫かなとは思っているのですが・・・・・。
毎日天気の話からです。久しぶりに晴れました。仕事をすれば暑く、何もしなければやや涼しいという加減です。
裏の田んぼでは稲刈りをしていました。と言ってもこれは飼料用の米です。稲全体が必要なのだそうで、稔っていて種もひつようなのだとか。
刈りながらこのような円筒ができて、それをドサッと置いてすぐに次を刈り始めます。
すると、別な機械がきて右側に見られるように、大きな幅のある布で巻きはじめました。
あっと言う間にこのように全部を巻いてしまいました。これでしばらく保存しておくのだそうです。すると自然に発酵してきて栄養が増すのだとか。
普通の米を作るよりいろいろなメリットがあるのだそうですが、作る量は制限があるとかで、こればっかり作るわけには行かないのだそうです。
画面中央にあるアサガオはリュウキュウアサガオなのですが、今回はそれを撮ったのではなく、その手前に緑の中にある緑の実ですので目立ちませんが、柿の実を撮ったつもりです。
この柿は渋柿ですが、このところずっと毎年実をつけるのですが、熟すまで残る実は一つも無くなります。木は年をとり、蟻が幹に巣をくったりして、だいぶ弱ってきました。上の方も枯れて来ています。
気の毒なのですが、何もしようがありません。
印刷はなるべくしないようにしています。インク代がとても高いです。これはあるプリンターのインク6色一式なのですが、これで5.000円以上するとは。
それで多量には印刷できないんですよね。インク切れになりますからね。
機械を安く売ってインクで儲けるという商法のようです。何とか委員会では、そういうやり方を改めさせるつもりはないのでしょうかね。消費者は、ただ泣き寝入りですね。
それを打ち破るプリンターメーカーが登場すると良いのですが。
印刷機革命が起こるといいですね。普通の紙にインクなしで印刷できる画期的なものが出来たとか。あり得ない?
今日は、初めは小雨が降っていましたが、お昼過ぎには晴れるかな?とも思わせるくらい空が明るくなりましたが、午後も3時ごろになると、また雲ってきました。
風はずっと涼しいままです。午前中はシャツを2枚着るくらいの程度まで気温がさがりました。
今日でお盆は一区切りです。盆棚を片付けてお墓に御霊を送りに行き、墓にともした提灯を片付け、お線香をあげてきました。
芝生は雑草を取るのがたいへんですが、刈払い機でサッと刈ってしまうと、なんとか目立たなくなりますので、時々その作業を行なってごまかしています。
そうでなくても、あちこち取らなくてはならないのに、いちいち芝の根っこのところを探して草抜きをするなんてことは、もうやっていられませんからね。
ちょこっと置いておいた箱が気に入ったようで、だいぶ長い時間はこの中で寝てすごしています。
夜もこの中に入って寝ています。朝は出窓のところに寝ていたり、風呂の蓋の上にいたりするので、場所を変えているらしいです。
餌も減っていますから、ちょくちょく起きては食べ、場所を変えて寝ているのかなと思います。
このところ、お盆の時期ですから、外の仕事は何もしないでいますが、とても楽です。しかし、その分だけあとでしっぺ返しが必ず来ますね。覚悟しています。
序破急という言葉があります。時々順序が狂い、急急急となってしまうことがありますけど、何事もいつも平らな状態でいられるはずは無いのです。と、自分に言い聞かせることにしています。
めずらしいチェリストが四人で演奏するコンサートをテレビでみました。なかなか良いものですね。チェロの音h大人の音ですね。それも熟年以後の音ですね。
演奏はもう上手な人ばかりですが、四人のチェリストのための音楽つまり楽譜などは最初からないと思いますから、特にアレンジがすばらしかったのだと思います。
しかし一時間たいくつをしないで見聞きすることができました。こういうアンサンブルは初めてです。
何もしない日だから、落ち着いて見ることができたということでしょうね。
今朝はグアムに滞在している友達から電話がありました。元気でやっているようで何よりです。
私が好きで見ている、火野正平の 「 こころ旅 とおちゃこ 」 がテレビで見られるのだそうです。外国に住む友達と番組を共有できるなんて、いい時代になりましたね。
朝は15分ですが、夕方の7時何分からでしたっけ?、それは30分やるので、それを録画してみています。特に観光地に行くわけではなくて、ずっと田舎道を行く自転車の旅ですが、なぜか面白いのです。
とまあ、涼しい静かな落ち着いた日を送っています。今日は蝉の声はあまり聞こえません。彼らにとっては気温が低すぎるのかも知れません。
今日は小雨が降り気温は23℃くらいの涼しい日です。湿っぽさは毎日のことなのですが、締め切っている時間の長い部屋はなんとなくカビくさい感じがします。
風を入れたり、空気が流れにくい部屋の角などは扇風機の風をタイマーにセットして時間が来れば電源が切れるようにして送ったりしています。
日記の内容が多くなりすぎるので載せ切れませんでしたが、二日ほど前に茨城県立歴史館に行って名刀を見てきました。
刀の種類や時代によって違ってきた微妙な形の変遷、例えば腰につけるときに刃の部分を下にしていた時代と、その逆に江戸時代のように刃を上を向けて差していた時代の違いや、長さ、太さ、反り具合、刃紋のいろいろ、拵(こしらえ)、その他さまざまな説明を読みながら見てきました。
来ている人は男女ともにけっこう多かったです。今は刀女子と言って、女性で刀剣の興味がある人が多いのだそうです。
一通り見終わって、余韻を楽しみながら一休み。池に反射したお日様の光がゆれて面白い模様を天井に描いていました。
動く模様です。正面に見える民家なら離れにあたる建物は、水戸徳川家の展示が行なわれている棟です。
展示は常に同じ物ではなく、季節により変えられますので、ここに来るたびごとに違うものが見られます。なお、ほかにこの近くに徳川博物館という場所もあります。
静かで居心地が良いのか、一人で番をしていてくれます。なかなかおとなしい猫で、ご飯をくれなんてほとんど鳴いたことは無いですね。
黙って私の顔を見つめている時には、そろそろ腹が減ってきたのかなと察して与えるようにしています。
月遅れお盆の今日は14日、と言ってもカレンダーで8月14日だからそう言っているわけですが。
正式には何と言うのでしょうかね。お盆二日目とでも言うのでしょうか。
そのように、昔からの行事等で、きちんと伝わっていないことが、それこそ星の数ほどとも言えるくらいあるのでしょうね。
そういうことで、もう明治期に失われ、大正・昭和と失われ続けて来ていることが数多くあります。すべてこのことは訳があってそのような行事が出来てきたのでしょうからね。
霧雨が降ってきました
中には伝わらないで良かったというものも多々あると思います。
全部行なっていたらもう、息もつけないくらい複雑雑多で仕事はできない間違えて怒られ悪く言われ、後悔やら反省やら反発やら反逆やらの渦は、鳴門の渦など比べようも無いほどな勢いになっていることと思います。
ブログの更新を始めると、どこからかやってきてキーボードのあるところを占領してしまい、こんな状態になることがよくあります
もちろん、古くからの習慣が消失し惜しむ声も聞かれます。しかし、だからと言って絶対に復活させるかと言うと、実際に行なうことの大変さを考えると、やっぱり・・・・・、と思ってしまうことが多いのではないでしょうか。
だから消失してしまったのでしょうね。
行事や風習ではなく、風景でもこういう場面は棚田のような機械の入りにくいところ以外はほとんどありませんね。
それでも何らかの形で、たとえば記録をしておくとか、実際に使用した道具類を併せて残しておくとかしておくことは大事なことではないかと思います。
ネットで調べると、地方によりまちまちなことがありますが、 「なるほど、そういうことに由来しているのか」 などと思わせられることがありますからね。
いま、ここで聞こえる範囲には一匹だけニイニイゼミが鳴いています。ニイニイゼミと言えば、今日の朝日新聞の一面の一番下のところに毎日出ている 天声人語 には芭蕉の俳句のことが書いてありました。
閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉(せみ)の声
と言う句にある蝉の種類は?と言う疑問は昔からあるようですが、いろいろな蝉の声のことを書いていますが、やはり染み入るように鳴く音色を思うと、やっぱりニイニイゼミなのではないだろうかと言っています。
私も長くそう思っていました。素人の想像ですから主張はできませんでした。
ニイニイゼミの声は決してギャラギャラとアブラゼミのようなにぎやかな声ではありません。
大声ではなく、むしろ静かなくらいですが、悪く言うとしつこく耳のなかに入り込んでくるような音色です。硬い岩の結晶の中に食い込むしつこさがあるような気がしていました。
皆さんはどう感じてきましたでしょうか。