踏青_徒然日記

徒然なるままに日暮しキーボードに向かいてよしなしごとを...

高尾の梅祭を散策した

2019年03月12日 | 俳句

女子高の野点実習梅まつり

今年も高尾の梅祭に出かけてみた。

駒木野から川沿いにいくつかの梅林を辿るいつもの道順。

最近は外国人の姿も見かけるようになった。

皆が一様に上を見て歩く中、私は足許ばかりを見て歩くことが多い。

それは、この辺りは野草の宝庫とでも言いたい場所で、

今年はまだ早い感じだったが、それでも「アズマイチゲ」が可憐な花を開いていた。

梅林では、地域の人達がテントを張って、焼きそばや飲み物などを商っている。

そんな中で、地元の女子高の生徒たちが抹茶をふるまっているのを見かけた。

可憐な草花のあとは、こんな風景がまた一段と心にしみる。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金縷梅が咲きました。

2019年02月26日 | 俳句

金縷梅のほぐれ誘ひぬ峰の風

時ならぬポカポカ陽気に誘われて、近所の公園や雑木林を散策。

蠟梅も終わり、ウグイスカグラや金縷梅が咲き始めている。

金縷梅の名前の由来は、紐状の黄色い四弁花を稲穂に見立てて、樹木全体に溢れるばかりに咲いた姿が豊年満作を思わせるからとか、早春の山地で、他に先駆けて「まず咲く」ことから、それが訛って「まんさく」と転じた。という説がありますが、面白みがあるためか「まず咲く」の方が好まれているようです。

秋田にお住いの師によると、

花弁がぺらぺら薄くて捩れているためか「しいな花」と呼ばれていたが、「しいな」では、不作を連想して縁起が悪いので「満作」と呼び変えた。と言うのが本当のようです。

「梨」を「有りの実」と呼ぶなど、この手の呼び変えは、昔からよく行われています。

ともあれ、まだ冷たい山地で春を告げる嬉しい花であることは確かです。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅林を散策

2019年02月14日 | 俳句

梅が枝の短冊美しき女文字

久し振りに府中の「郷土の森」へ梅を見に出かけた。白加賀や月影などは未だ蕾も硬いようだったが、

早咲きの品種はもう見ごろという感じで風は冷たかったが、まずまずの観梅行となった。

少し濃いめのピンク色の一本を見付け近寄ってみると名札に「鶯宿」とあった。

鶯宿と言えば、

平安中期の村上天皇の時代、天皇が住まう清涼殿の庭の梅が枯れてしまった。

「どこかにこれに代わる木はないか」と尋ねられるとある者が、西京の、

さるお屋敷の庭に良い梅の木がございます、と答えた。さっそく勅使が遣わされ、

その梅の木は御殿の庭に移し植えられたが、枝ぶりも見事な紅梅で、

ほころび始めた花の色の深さはたとえようもない。天皇がそれをご覧になると、

その一枝に短冊が結ばれており、

「勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答えむ」

と筆跡もうるわしく書かれていた。天皇は、この歌の意味をくみとり、直ちに梅の木を返させたという。

歌の主は三十六歌仙の一人である紀貫之の娘、紀の内侍で、彼女は父に似て才媛の誉れが高かった。

この物語は「鶯宿梅」として今に伝えられる。

郷土の森の梅祭は3月10日までとか、今月末ぐらいが見ごろのようです。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅の季節になりました。

2017年02月28日 | 俳句

不許葷酒入山門や梅の寺

私の「六根清浄・高尾山」20句中の巻頭句です。

韮やニンニクなど匂いの強いもの、それとお酒は境内に持ち込んではいけない。

といった意味で、昔は寺の門脇に立っていたそうですが、今はほとんど見かけません。

日野市の百草園境内に半分に欠けてしまったものが残っています。

やはり、桜と違って梅は引き締めた気持ちで鑑賞したいものです。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒牡丹

2014年01月04日 | 俳句

藁苞をあふれたる紅寒牡丹

わらづとを あふれたるべに かんぼたん

鎌倉八幡宮にて


 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする