植えた!

2007年10月31日 | Weblog

 秋に三日の晴なし と言われるのだそうです。天気予報士の話です。女ごころ心と秋の空 とはよく言われますけどね。このごろは聞かないですね。男ごころもどうやら怪しいからでしょうか。女性の前で言うと、しっぺ返しに返って来そうな気がするし、肝心の男の方でもどうやら自信がないのか。

 私など自信ないですね。考えてみたら、あらゆるところに自信などない。なので、この地域は大きな地震が起こらないのかもしれません。じしんが違うじゃないか  と怒られそうですが、地震は無いにこしたことがありません。しかし、そうは言っても、いつなんどきに起こるかわかりませんからね。

 話は戻って脱線復帰。一昨日は晴れたり曇ったりしていたのですが、洗濯物が乾かなくてこまりました。昨日も同じような天気だったのですが、午前中で乾きました。二日間ほしたものもあるということです。午後は全天曇ったので、干したのは午前中だけでした。

 今日はどうなることやら、今のところは空に雲がけっこうありますが、青空(太陽が出ていなくて、光が足りないので青くはまだなっていませんが)のようです。でも、どうなることやら。


   

 植えました。全部を植えるのに、半一日半、つまり延べ二日かかりました。まずはレタスです。隣のおばちゃんの指示通りハウスの中に植えました。ハウスの土は乾いていて、水をまいても、水が玉になり浸透しません。ところが耕すと、暑くなるのを防止するのに、風をいれるために屋根の裾のほうを開けて置くのですが、そちらの方は雨水が入って、かなりの水分を含んでいたので、その土とうまく混ざり合い、植えるのには支障がありませんでした。

   

 こっちはキャベツ。葉っぱが大きくて水分の蒸発が旺盛な方なので、少ししおれたものもありましたが、すぐに回復しました。雨上がりなので、大地の水分が多かったのが良かったようです。ラッキー。

 まだ茎は細く、葉っぱばかりが大きいので、チョー頭でっかちの赤ん坊の首がすわらずに、あっちにゴテッとなり、こっちにグラリとなるようなのに似た状態です。


   

 タマネギなんですが、これは数が多く苗が細いので、細い神経を少し使いました。それに、一つのマスから5本も出ているものもあって、それを根を切らないように、そっとほぐすのに神経をつかいました。脳の活性化にたまねぎは(たまには)そういうことをした方が良いかも? いつも、 の~~~んびり のほほん として暮らしていますからね。


      
          野穂本之図


 畑のこの部分は、石灰やらヨウリンやらを降って耕して置いたところなので、その効き目はしっかり保有している土だと思います。

 しかし、種まき苗植えとは言っても、時間がかかりますね。耕し、畝をつくり、肥料を幾種類も入れ、それからの作業ですからね。道具も要るし、肥料もあちこちにありますから、一輪車やら二輪台車やらを使って運ばなければなりません。堆肥・燻炭などは使用量が多いので、何度か往復して運びますからね。万歩計をつけるのを忘れた。


   


   

 

キャベツの付録

2007年10月30日 | Weblog


 この頃、よく耳にすること、目にすること、つまり文字で見ることは、「団塊の世代」という言葉です。

 この世代が騒がれるのは、これから十年くらいにわたって大量に職場から野に現役の人たちが放出されるので、それからのこの人たちの生き方、それによってもたらされる経済効果、などの問題が大きいので騒がれているのだろうと思っています。もちろん、そのほかの要素もあるとは思いますが。

 なんでも、オーディオなども復活の兆しがあるとか。先日、K’s電気に行ったら、中に本屋さんとか  V の店などもあるのですが、昔のレコードの大きさのジャケットに入った CD を売っていました。もちろん、往年レコードでかなり売れた名盤の CD です。ジャケットの復活です。

 昔、生活で精一杯だったときの夢を、いま果たせるだろうかというところでしょうね。ただ、あの頃とは違って、今は生活様式や考え方が違っているので、同じように復活するか、復活しても長続きするかどうかという問題があるでしょうけどね。


   

 私など、オーディオは好きなんですが、いまさら大枚をはたいて買いそろえるかというと、そういう情熱はありませんね。こわれたら、その部分だけは買い換えますけど。それも、中級品以下のものです。

 本屋さんに並ぶ雑誌にも、団塊の世代向きのものがいくつも並んでいます。男の生き方とか、田舎に暮らそうなどのようなものです。本だけでなく、過疎地などは自治体をあげて退職した人を呼んで住んでもらいたいと、あれやこれややっているようです。

 変に都市化しつつある私たちのところより、そういう所の方が、強い人とひととのつながりを持った生活ができるのではないでしょうか。私の近所に家が建っても、そこの人たちは、共同体に入ろうともせず、変に人を無視して挨拶をするでもなく、まるで別な世界の人たち、あるいは敵でもあるかなという感じが強いです。文句は言うようです。文句で共同社会に参加ですね。

   

 セロニアス・モンクなんてジャズ・ピアニストがいましたっけ。彼は名の通り文句が多かったのかな? それで、こういう人たちは セロニアス・モンキーズ と思っています。おっと、こっちがセロニアス・モンキーになってしまった。

 さてさて、私は残念なことに団塊の世代からは、はじかれてしまっている私です。が、一緒になって行動しても文句を言われないし、かえって為になるくらい近いですから、一緒に考えています。

   

 先日の台風で、穴にこれだけ水がたまりました。かなり降ったようです。中で蛙が何匹も水に浸かりっぱなしでいます。

 少し古い話題ですが、台風の最中(さなか)に隣のおばちゃんが回覧を回しに来たのですが、誰かの声がするなと思ってハッと目がさめたんです。雨が降っていて外に出られないので、新聞を見ていて眠っちゃったんですね。眠るのは特技ですから。猫みたいですね。


   


 ワンテンポ遅れて、外に出たら帰るところだったんですが、そういうわけで眠っていましたと報告。すると、和は母、いや変換違い、ワハハハと笑って、そのあと、「キャベツの苗いらない?」というのです。もらいにいったところ、上の写真のようにタマネギやらレタスも付録に付けてくれました。付録の方がはるかに多い。

 これは、5x5=25 が一セットですから、タマネギやキャツは100ということになります。それで、そのタマネギは一マスに3~5本の苗がありますので、すごい数になります。ドヒャー、植えるのがたいへん。

 これで、わが家では野菜を作りすぎるということを、皆さんご理解いただけると思います。こういう風にして、セットで苗をもらってしまうということもあるからです。場合によっては肥料の付録がつくこともあります。もっとも、作りすぎはそれだけではありませんけど。


    


    


    


 この頃は、学校 → 理科 → 実験室 → 試験管 → ビーカー → シャーレ → シャレ ダジャレ は少ないです。寿司 → ネタ → 種 、そうそう種切れなんだろう   、なんて言われそうですが、種はあっても芽が出ないとか、、、。

 適当な言葉がないので、まじめという言葉を使って言うと、まじめにやろうかと思っているのですが、果たしてそうなるかどうかは本人も分かりません。根が不真面目ですから。根が不真面目 → ねがふまじめ → ねがふ・まじめ → 願うまじめ。

 おあとがよろしいようで。  

 


くんたん

2007年10月29日 | Weblog


 台風の雨のあとは快晴でした。気温も時期としては高かったのか、あたたかい一日でした。今日は曇りなんでしょうか。ぼわっとした朝です。

 静かなしずかな里の秋 という童謡がありますが、そのままの姿ですね。時々軽トラなどがトコトコと細い道を通ることがあります。あちこちで煙が立ち上り、田畑の片づけでもしているんでしょうね。わが家でも燻炭の煙が、、、、。一日に一度だけ燻炭作りをやっています。これまでに大きなもみ殻袋に10くらいは作ったでしょうか。まだまだ作業は続きます。

 昨夜の「風林火山」の最後に、元・塩山市の恵林寺(えりんじ)の紹介がありました。なんか、近ごろスーパーで売られている肉厚のキノコ見たいな名前の寺ですね。  

                       

 そこは、よく暑いなつなどに誰かが言う「心頭を滅却すれば火も自ら涼し」という言葉が言われたところだとか。信長に攻められて燃え上がる炎の中で、快川紹喜(かいかわしょうき)という禅僧が発した言葉だそうです。出所はそこだったんですね。これには前に部分がついて「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼」 つまり 「安禅(あんぜん)必ずしも山水を須(もち)いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」という辞世の句だとか。

 朝の燻炭、いや訓譚でした。燻炭で思いついたんですよ。こりゃちょっと、くんたん違いでした。



   

 あれが夏になると白い衣を干すという天の香具山で、こっちが畝傍山。そしてそっちが耳成山。じゃなかった、たまたま大和三山のようになった燻炭の山です。


   

 どの山がどれだか分かりませんが、山辺の道の大神神社(おおみわじんじゃ)あたりから撮った大和の写真です。また行きたいなぁ。燻炭の山では真っ黒なだけでだめですわい。

   

 アスパラガスの根本あたりまで這っていって、そこで夏が終わってしまったカボチャです

   

 もう朽ち果ててしまったカボチャで、種だけが残っています。

   秋深し捨てられカボチャの種あわれ

 という感じですねー。鳥にも食べられずに残っています。あの燃えた夏が終わって、その名残をみるのもあわれです。

 今日は大和三山からカボチャの種に話が飛びました。もののあはれを感じる秋です。

 みなさん、今日も平和な一日であってほしいですね。どうぞ良い日を。


 


 


種はわけて蒔くべし

2007年10月28日 | Weblog


  のミーちゃんは、外に出たいときは出て、どこかで昼寝でもしています。食べたいときにはニャーニャー言いながら帰ってきて、食べてそこで寝るか、また外に出ていきます。まったく気楽な生活をしてるもので、うらやましい。

  のコロは繋がれるので、はじめは変な声を出して世迷い言を言っていましたが、むだ吠えを無くすのに、かわいそうですが叱ったら、わきまえてくれて静かになり、これもまた毎日ドタンと足を投げ出し横になって寝ています。

 考えてみたら、私もそれに近い生活をしているんじゃないのと、思えてきましたよ。特に雨の日はそうですね。台風が来た二日間は、毛布まで出して昼寝していましたからね。寝ていたいふう。

 でも、カッパを来て外に出て作業をするという場面もありましたので、そこのところを拡大して考え、「作業をしたぞー  」っという気持ちにさせて、、、。、 少しは言い訳になるかなと思っています。

 台風は雨台風でした。風は無かったです。風邪も治ったことだし、、、。関係ないか。でもうれしい。


   

 わが家のほうれん草はこれくらいになりました。食べたいのですが、ひたすら我慢の毎日です。← ちょっと大げさに聞こえるかも知れませんが、ほんとに食べたいんです。

 このあと、まだ芽はでていませんが、次のも蒔きましたからね。段差的に蒔いて次々食べられるようにしようとする魂胆です。

 野良仕事を始めた頃は、奥さんがいないときなどにやったいるすと、袋全部の種を蒔いてしまって、一気にたくさん出来たりして食べきれず、失敗したこともありました  が、この頃は少し賢くなって、一袋を二度くらいにわけて蒔くことにしています。ものにも寄りますけどね。

   

 葉っぱしか撮れませんでした。失敗。とにかく、大根は順調に育っているということを言いたいんです。よく見ると、へんてこな根になってしまっているのもあるようですが、がっかりするので、全体を見るようにしています。久米の仙人はまだ落っこちてこないようです。

 役所で、
  「あなたのお年はいくつですか。」
  「葉っぱです。」
  「え ??」 

 
  
 

    山には山の 愁いあり
    海には海の 悲しみや
    まして心の 花園に
    咲きしあざみの 花ならば

    高嶺の百合の それよりも
    秘めたる夢を ひとすじに
    くれない燃ゆる その姿
    あざみに深き わが思い

    愛しき花よ 汝(な)はあざみ
    心の花よ 汝はあざみ
    さだめの道は 涯(は)てなくも
    かおれよせめて わが胸に

  


 8x8=64(歳)


 



  


受難の椿玄斎先生

2007年10月27日 | Weblog


 今から台風が来るんだそうです。来て欲しくないです。でも来たいというのだからしかたがない。お茶でも沸かして待っているなんてことは出来ないので、そっとかすめて行って欲しいです。アブラナを蒔いたので、雨はありがたいですが、もう要らない。

 今日は、地域の歩く会があるのだそうです。ちょっと休憩地まで出かけて、地域のことを話してくれと頼まれているのですが、これでは歩く会は中止でしょうね。その場合も地域の市の事務所兼公民館まで来て話をしてくれと頼まれているので、行くほかありません。場合によっては、いつもの癖でダジャレが出てしまうかも知れないなぁ。「今日は雨で残念ですね。ぜひ歩きたいふう。」なんちゃって。


    

 今年の夏に植えたアスパラガスです。体はこつぶでも、しっかりと茂っているでしょう。とにかく、ここまでは成功です。問題は2年目ですね。2年目は正念場で、そこで駄目になってしまうものがけっこうあるとか。

 そんな先のことは知りませんから、とにかく今はカワイイカワイイと言ってやっていれば、その気になって育ってくれると思います。

    

 虫というのは、数限りなくいるもので、おまけに移動するものですから、わが家でだけしっかり防御しても、農薬でも使わない限りは後からあとからやってきて、被害を受けますね。

 初めてチンゲンサイなどというものを蒔いてみたのですが、こんな小さな葉っぱにも穴があいているんですよ。よくまあ見つけて食べに来るもんだ。隣に、要らない自然発芽のアブラナがいくらでもあるというのに。「アブラナ要らない。チンゲン欲しい。」なんて言っているのかも。

 なんか、江戸時代の医者の名前みたいですね。「椿玄斎先生、ぜひ娘のハシカを治して欲しいだ。」「ム、安心しなさい。これはハシカでなく、毛虫に渡られただけじゃ。」「それにしても先生、お顔に穴が空いていますが。」「ハッハッハ、これはのぉ、ヨトウムシというのに、食われてしまったんじゃよ。わしとしたことがウカツであった。」なんてね。

 でも、大きくなってもどうやって食べるのか、まだ分からないんです。そのうちに調べようと思っています。


   


   

 ということで、昨夜は突然カミナリが鳴ったりして賑やかな場面もありました。しずかな田舎でも久しぶりに大音響が轟きわたりましたよ。3~4発で終わってしまいましたけど。


 


運天玉葱

2007年10月26日 | Weblog

 昨夜は十五夜の月がきれいだったのですが、今朝は一転して曇り空です。この曇り方は真冬のあの重い鉛色の曽良に似ています。違いは寒くないこと。

 照っては喜び、照りすぎては文句を言い、曇っても雨でも文句を言い、久しぶりの雨にホッとする。人間の毎日ですね。でも、いちばんは毎日が平和であることです。世界のあちこちでは吹き出物が爆発しているようですが、早く治す特効薬が見つかると良いとつくづく思います。

 さてと、その曇天の下、今朝もつっかけを履いて畑を一巡してきましたが、まず突っかかったのがタマネギです。蒔くのが遅かったかなという心配もありますが、なかなか芽がでないんですよ。蒔いてから日にちが経っていないせいもあるかも知れません。まだ10日くらいでしょうか。

  

 なんか、形からすると蒔いた畝の枠内にあるし、これはひょっとしてタマネギのような気がするのですが、どうでしょうか。この他にあと一本煮たようなのが出ているんですよ。

 まあ、出なけりゃしかたないですけどね。運を天に任せて、なんて大げさですが、成り行きでしかたありません。いま流行の四字熟語風に略して 運天玉葱 です。


    

 こっちは、一期早い、つまり今年の夏になる前ころに取ったタマネギの残りです。その時にはあまりにも小さかったので、畑の端のほうで邪魔にもならなかったので、そのままにしておきました。生き残ったので 好運玉葱 です。銘柄は ラッキーオニオン

 去年のは駄目だよという話を聞いたことがあるような気がするのですが、まあそのままにしておいて試してみます。できたら儲けものですから。


    

 昨日は、四角豆のお化けでしたが、実はもう一つお化けがいるんですよ。これです。これは、終わりになった野菜の茎だのツルだの葉っぱだのを積み上げたものです。ゴーヤやキュウリのツルもしっかりと中に入っています。

 これをほったらかしておくと、草って堆肥になるわけです。ほったらかしておきたい堆肥なので、言ってみればわが家の天下に誇るブランド肥料、「放ったらかしたい肥」とでもいえるでしょうか。ここに、あの四角豆のお化けが這ってきて、どさっと乗っかってくれるとありがたいのですけどね。

 今に見てろよ、四角豆。おまえもここにおっ被せてやるからな。

   なお、この「おっ」というのは、勢いをつける
   ための接頭辞です。ぶん殴るの「ぶん」と同じ
   効果をねらうためのものです。

  
      ??


     

  ほととぎす鳴きつる方を眺むれば
         ただ有り明けの月ぞ残れる

                   後徳大寺左大臣     


放ったらか四角豆

2007年10月25日 | Weblog

 

    

 今朝の5時半のころに撮ったものです。この2~3分後にはもっと明るくなっていました。変化の速度がはやい。

 朝が遅く、夕がはやくなりました。おかげでゆっくりできる。

 むかし、いったん昼になると、いつまでもいつまでも明るくて、いったん暗くなるといつまでもいつまでも暗かったそうです。

 それで、人々は神様におねがいして、適当な長さで明るさと暗さを区切ってもらったとか。

 ところが、今度は急に明るくなっり、急に暗くなったりするようになったんだそうです。それで、人々は困ってしまった。急に明るくなったのでは目がつぶれそうになってめまいがするし、急に暗くなったのでは、一本橋など渡っている途中の人などは、急に目が見えなくなり、落っこちてしまう。

 それで、また神様におねがいして、だんだん明るくなるように、そしてだんだん暗くなるようにしてもらったんだそうです。昔の人の努力のおかげですねー。

 「日本むかしばなし」で、しばらく前にこの話を見たことがありました。



  

 100円の店に行ったらこんなのを売っていました。中味は、文字が小さめなのと、暦の部分が上下二段組になっているとことが違うだけで、あとは書店で売っている普通の暦と変わりはないようです。

 あまり見ないけど一冊あるといいな、というお方にお勧めの一品です。


  

 「もののけ姫」にでてきたお化けです。右から左に移動中です。白い棒は棒ではなくて牙です。

 台風に骨組みをグニャッとやられて、起こしたのですが、重くて起こしきれない上に、竹の骨組みなおで、縛り直してもツルッとすべってしまうので、そのままにしてしまいました。

 もう食べもしないでほったらかしです。このお化けの体内では巨大四角豆がいっぱい生っています。来年はどうしようかな。手を立てるのも疲れるし、、、。最後の手段は地這いという手もあるしね。疲れるから来年になってから考えよう。

  

 朝晩が寒くなってきました。猫は家にいることが多くなってきました。暑い頃ははじかれたように外にでたがっていましたが、その勢いは無いみたいです。でも、先日はスズメを捕ってきて遊んでいましたね。

 ナスも、寒くなってきたので、もうそろそろ終わりかなとおもっているのですが、まだ生っています。

    烏鳴いて茄子生り残る秋の暮れ images


   

 先日も出しましたが、フジバカマという花なんだそうです。富士山が袴をつけているようには見えないのですが、名前はどういう理由でついたのでしょうか。

    

  鶏の頭にちっとも似ていない鶏頭。

 むかしばなしについて考えました。

 この頃、どっか端っこの方からベリッと剥がすと中味が見えるような葉書が時々来ますが、あんなふうにするようには出来なかったんでしょうかね。

 どっか、端っこがあって、そこを昼夜を司る神様とか、あるいは誰か偉い人が少しずつめくっていくと朝がきて、少しずつ閉めていくと夜になっていくなんていう手もあったのではないかと思いますが、、、、。

 葉書ははがしてしまうと元に戻らないですけ、朝晩は葉書とはちがいますから、、、。


あわてた十三夜

2007年10月24日 | Weblog


 近くで火事が起こっているのに、「さて、これがどう燃え広がっていくか、見ものだなぁ。」なんて見ている人はよほど変わった人です。

 国会のニュースを見ていると、与野党の攻防が面白いなんて、どうも自分ではついついそういう気持ちに近い状態で見ているんじゃないかと思えてなりません。本当は近所の火事どころか、わが家の火事であるのにね。

   あまり見たくない顔なので小さく

 天声人語は、冒頭はオっと思わせる面白いことや、なるほどねと思わせることが多いのですが、1/3も過ぎる頃には大抵は世の中を批評する内容に変わっていきます。なるほど、そういういきさつがあったのか、なんて知らなかったことや、そういう風に判断すべきか、なんてさすがにいろいろと教えてくれるものがあります。天声人語はラテン語で、 Vox Populi, Vox Dei と言うのだそうですが、直訳すると 「人の声、天の声」 で、まさに日本語がぴったりします。 

 「天の声」なんてのは、この頃は良くない言葉になってしまいました。がっかりです。天が地に落ちて血まみれになってしまっています。

                  

 さてと、今日も晴なんです。このブログはそんな世相を批評する場ではなくて、やれ野菜にトウが立っただの、豆が実を結ばなかっただの、トウモロコシをカラスに食われただのを発表する場でありました。

 カラスと言えば、あの8月の事件以来、ぐっと大人しくなってわが家の畑には近づかないでいるようです。ネットにひっかかり、お陀仏となった死骸は、ほとんどが雨風にたたかれて下に落っこちてしまいましたが、細く軽くなって、まだ竿からぶら下がっています。(写真省略)

   

 さて、昨日は旧暦の9月13日。十三夜です。一昨日も、昨日の朝も承知していたはずなのに、夕暮れ迫ってからニュースを見ていてハッと気が付いたという のろま でした。

 それから、大あわて(奥さんが外出中でしたので)で、暗い中をススキを取りに行き、団子を丸めました。昨日はキビ団子でした。うまくまん丸にならない。お月さんも十三日はまんまるではないじゃないか。まあいいでしょうということにしました。でも、気が付いてよかったです。十五夜だけではちょっとネ。と、遅くなってしまったのにカラ意地を張る。

 で、なるべく行事はした方がよいかなと思って、洗濯じゃなかった適当に選択して行うようにしています。あとで、息子と団子を食べたのですが、あの、 みたらし にしたんですよ。カタクリ粉がどこにあるのか探しに探しまくりましたが、やっと見つけて作りました。仕事から帰ってきた息子の評価によると味は上々。残りを全部食べてくれました。私もまんざらじゃない  ですね。ヒッヒッヒ。 自分に喝采。 

 本当は、芋とか栗とかをお供えすればよかったんですが、間に合わない。芋なんか畑に行って取ってきて煮ていたら、それこそ深夜の月見になってします。お月さんは傾いてしまうではありませんか。それで、お酒を、、。こっちの方が喜んでくれたかもしれませんね。


   

 さすがに、今頃向きのキュウリ。いい形をしています。こんなの初めてですね。今頃できて、こんないい形になるなんて、私の技術でなくて、そういう種類なんですね。そんな技術は持っていませんから。

   

 一方、こちらは畑の無視されてしまった気の毒なキュウリです。残っているものは友達が来て、「持ってケー」と言ったら、全部取っていってしまい、これはその残りです。がんばってくれたのですけどね。そのうちに鶏にでもやってしまおうと思っています。


   


   


 後記) 

   みたらし の、あのタレを作り終わったら、なんと
   きな粉が出てきたんですよ。本当はきな粉にしたか
   ったのに~~。  楽だからネ。
   もう、この苦労はなんだったんだぁ~~~っ。
   アヘー   ですわい。

   天は我を磨かんと欲すれば、我に苦労を与える也。
                    (自作の言葉)
   ということにしました。
      


カマス

2007年10月23日 | Weblog


 多少、雲がありますが穏やかな朝です。さっき、塀のそとに小学生の黄色い帽子がいくつか見えましたが、もう出かけたようです。今日は燃えるゴミを出す日です。さっき門の外に出してきました。

 畑がだんだん寂しくなってきます。昨日はモロコシを片づけました。背丈がトウモロコシと同じくらいで、脇の細い道路沿いに作ってあったのですが、それが無くなったので、道路がよく見えるようになりました。

 殻は2~3日干してから、燃やしてしまおうと思っています。収穫は穂のままで一輪車一台ほどありました。実にするとどれくらいになるのか。あまり要りませんから、必要量だけ確保して、あとは鶏の餌にしようと思っています。鶏がモロコシたべるから、トリモロコシですね。

   

 ずるい考えを出しました。小さな穂は、いくつかにちょん切って、生えていたところに置いてきました。来春にひとりで芽が出るのを期待しているというわけです。実は、昨日収穫したのは、そのこぼれ種が勝手に出てきたものだったのです。そういううまいやり方を見つけて癖になるのを、私たちは「味をひっこんだ」と言います。

   

 ついでに黒豆も収穫しました。枝豆として食べた残りです。大豆類は一気には収穫できません。まだ青いままのがあるんですよ。それは畑に残してあります。

 モロコシも、黒豆も段ボールの箱に入れました。これをこれからムシロがないので、ゴザに広げて何日も乾かします。段ボール箱はこんな風にして一時保管するのに便利です。昔なら南京袋とか、ムシロを半分に折り返して縫って袋にしたカマスとか、目の詰まった篭とか、場合によっては桶のようなものに入れたんでしょうね。

 カマスというと、今はほとんどが魚のカマスを思いつきますが、そのカマスはこのムシロの袋であるカマスが語源だそうです。口がカマスのように大きいからだそうな。

     

 それで、本来のカマスですが、漢字で叺と書くそうです。次回はいつ書くか分からないくらい書かない文字なので、絶対に自信を持って覚えていられないと断言できます。

 ムシロ(筵)で作る前には蒲(がま)でつくった筵を使ったのだそうで、それで蒲簀と書いたそうです。簀は割った竹で編んだムシロだそうですから、ガマで作ったムシロということで、言うなればガマムシロ。そうは言わないでガマスとなり、今のカマスという言葉に変わってきたんでしょうね。変わった発音の道具なので、調べてしまいましたよ。

          

 朝から頭がこんがらかってしまいました。頭のタイソー。100円ショップはダイソー。このごろ200円とか、もっと高いものを売っています。

 なぜでしょう。私の推測。

  壱 100円の品では客が満足しなくなっ
    てきた。
  貮 200円以上のものを置いたら選択肢
    が多くなり、もっと売れるかしらとい
    う気持ちから。
  参 賞品を作っている国の賃金やその他の
    生産コストが上がり、100円でもの
    を仕入れるのが難しくなってきた。
  四 生産コストだけでなく、中間のルート
    や、運送費など、店員の賃金の確保な
    ど、もろもろの経費がかかるようにな
    ってきた。
  五 その他。私の想像出来ないことが原因。

 とまあ、そんなことを考えてみました。どうなんでしょうか。っとまた、頭を、、、、。

   

 渋柿がこんなに出来ちゃってもう。むいて干し柿にしようと思ったのですが、気温が高くてだめです。これでは黴びてしまいますからね。このまま熟させて食べるほかありません。食うぞーっ。


    


    


 


勘助、迷惑を蒙る

2007年10月22日 | Weblog


 NHKの大河ドラマ「風林火山」では、昨日は主人公の山本勘助が嫁をとらず、ある家から娘をもらい養女としたという場面でした。

 この山本勘助という武将は、架空の人物であると明治時代の歴史家により決めつけられ、歴史からは姿を消したのだそうです。しかし、1969年に武田家の家臣であった市川家の子孫の家から古文書が発見され、それに山本菅助という名が記されていたことから、実在の人物であったことが証明されたとか。

     

 学者によって決めつけられ、半世紀以上も歴史から抹殺されてしまっていたという、 むごさ ということがあり得るんですね。そういうことは、ほかにも実にたくさんあるような気がしてならないのですが。

 数十年は勘助さんも「閑透(かんすけ)」さんだったんですね。たいへんでした。

               

 昨日は良い日でした。久しぶりに畑にでて耕しましたよ。パッチワーク状になってきている畑はトラクターを入れるのがだんだん難しくなってきました。エンジンと運転席が、ロータリーという刃が回転する部分の上に乗っているなら、隅々まで耕しやすいのですけどね。何せロータリーの4~5倍くらいは機械本体ですからね。

 タイヤのあとを如何に残さずに耕し終えるかが課題です。道を通る人も、そこを見ていますから。頭を使うので良いかも知れませんね。少ししか使いませんけど、、、。

   

 左下のほうには、先日ニンニクやらタマネギなどを、左の方にはすでに育ちかげんのほうれん草などがあります。で、また右の方にはホームタマネギだとラッキョウなどが。どうも臭いものが多いような。禅寺ではないので、「不許葷酒入山門」どころか「大許葷酒入山門 葷酒山門に入るを大いに許す」です。

 向こうの四角豆の麓あたりに、ほうれん草の後口を蒔きました。大半はまだ何も蒔く予定はありません。四角豆はもうほったらかしです。

 右の方は白菜と大根の一部です。これが出来たらたいへんです。食べきれないでしょうね。

   

 家の裏の方は、草の丈が高くなっているところがあったり、陰で蚊などがいますから、あまり行きたくありません。でも、雨が何度かあったので、ひょっとしたらと思って行ってみたら、出ていました。一部はお化けシイタケになっていました。お化けは煮物に、小ぶりのは焼いて。おいしいんだなぁ、これが。

 これは、一昨年の冬に裏山の大伐採をやったときに出た原木に菌を植え付けたものです。あの、凍てつく寒さに立ち向かい、顔におがくずをかぶり、手をバリバリに荒らし、持ち損なった原木を足の甲にゴチンと落っことし、ギャーっと飛び上がったりして作ったホダ木に、キノコが生えている見つけた時には最高に楽しいです。

 今までのとは種類がちがうのか、他のホダ木からは全然でていませんでした。食べる方にとっては、一斉に出ない方がいいです。一方で出て、しばらく経ってから別な方が出る。そしてまたしばらくしてから、また別なのが出る。という、要するにモグラたたきのような出方が理想的です。

  

 朝が早いとき、夜が遅いときは、少し暖房が欲しくなります。怠けてストーブに石油を入れていないものですから、ちょっと辛いなぁ。石油入れようかな。手が石油臭くなるから嫌だなぁ。

  

 と、思い始めるのがぐうたらの始まりなんです。そう思ったら、敢然とそれに立ち向かう気持ちを起こさないとね。それで、さっそく二つ三つ石油をいれましたよ。朝のうちに。いったいいくつストーブがあるのでしょうか。


苦労山坂

2007年10月21日 | Weblog

 昨日は、とある店に行ったのですが、そこのご主人に「風邪はいかがですか?」と聞かれました。「え? 何故知ってるの?」と一瞬思いましたが、「あっ、そうか。ブログだ。」

 奥さんもニコニコ笑っていました。お二人で私のブログを見ていてくれたんですね。ありがとうございます。へたくそな文でも、でたらめな川柳・狂歌でも、木久蔵なみのダジャレでも、つきあっていただいて嬉しく思いました。

 風邪は自分の居場所が残りました。つまり席が残った。咳が残った。あと一歩のところで寄り切りです。実は、先ほどいったん寝たのですが、咳に起こされてしまいました。しつこい風邪です。これくらいのしつこさがあれば、きっと大物になれたかも知れないのに。博士か大臣か。だめだ、どちらもキョーミがない。どうやら、私はあっさりと生きるように出来ているみたいです。そのせいかお茶漬けなんかが好きだからね。

 でも、たまにはこってりと脂ののったトロとかステーキなど、腹一杯食べたくなることがあります。どちらもお金がかかるので、その要求を簡単に満たす方法を知っています。それはハンバーグです。これがおいしいんだなー。大好きですね。どうも私ゃ安く出来てるみたいな、、、、。これ、私だけにしか通用しない方法ですね。半分で満足なんですからね。半パック(ハンバーグ)なんちゃって。

 次に行って見よ~~。

             


   

 こまつなです。勢いがましてきました。油炒めにしてもらいました。もちろん、おいしかったです。

   

 左がレタスで右がキャベツです。なんとか丸まりました。キャベツは穴があります。虫にやられた跡です。レタスはなんとかトウがたたなかったものもありました。トウが立ったものは、トウトウ駄目だったので、トウに捨ててしまいました。

            

 遊びで面白かったのは、パチンコと麻雀でした。どちらも、ほかにいろいろとやることがあったので、マスターしないで終わってしまいました。

 どうして面白かったのか考えたのですが、結論がでないので、すぐにマスター出来ないほど複雑だからだろうと言うことにしました。そんな物は他にもいろいろとあるだろうと言われりゃそれまでですが。

 天気が思わしくなかったり、暑さ寒さも思うようにならず、やれ虫だの病気だの肥料を間違えたとか、複雑で難しいから野菜作りも面白いのかもしれませんね。苦労も楽しくしなくっちゃ。と自分に言い聞かせることにします。

 種を蒔きました。30日経ちました。りっぱに出来て食べたらおいしかったです。と、何を作ってもこうでは飽きちゃいますね。

 昔むかし、あるところにとてもハンバーグな、ではなかった、とてもハンサムな王子様  がいました。そしてその隣の国に、とても美くしい王女さま  がいました。二人は結婚をして、とても幸せな生活を送りました。めでたしめでたし。だけでは物語になりませんね。

 そこに意地悪な魔法使いが出てきたり、これまた別な国に、出来損ないの嫉妬深い歩くのがやっとの太った王女様がいたりして、魔法使いの媚薬により、王子様がその太っちょの王女に恋してしまい、二人で毎日まいにちハンバーグばかり食べていました。とまあそういうことになんてならないとねー。

 
            


   


   

            
     どちらも名前はわかりません。


キュウリは遠い

2007年10月20日 | Weblog


 近ごろは、手帳々々と騒がなくなりました。竹村健一などは傲慢そうな顔をさらしながら「私なんかこれだけでやってますよ。」なんてCMでやっていました。「平気で嘘をつく人」なんて本がありましたっけ。

 あの頃は、システム手帳なんて言って、手帳と言うのにはちょっと無理な感じのやたら大きな手帳が売れていました。流行というのは、不思議なものでたいていの人は面倒くさくてもある程度使ったのではないでしょうか。あれをマスターした人は偉い。


    

 私は手帳をよく使っていました。ただし、システム手帳などは大きくてポケットに入らないし、どうせ使いこなせないのを知っていますから一度も買ったことがありません。それより、夏になるとパタッと使わなくなりました。理由はポケットの数が減るからです。濁る方は無縁ですね。手錠なんてね。

 今も使いますが、畑仕事が多いので使いこなしていません。ほとんど机の上に埃をかぶって眠っています。猫のように、毎日ねてばかりいます。名前をつけてみるなら 猫手帳 です。そのようにしたのは誰なんだ。ハイ。私です。

              

 頭の中に手帳があるから良いんです。ときどきページが乱れますが。


   

 こっちも乱れています。豆の手のない、つるありいんげんです。発芽状態が悪くて、数本しか出ませんでした。それもかなり遅くなって出たんです。それなものですから、とうとうほったらかしにされて、畑の中で数本がぽつねんと置かれたままで、勝手につるが這い出しています。ですが、これが今頃生るんですよ。

 おまけに真夏ではないので、つるも長く延びないんです。このごろは、つるのあるものの地這い栽培という、ずるい方法を見つけてしまったようか感じがします。これで良いのでしょうか。つるつると食べるはうどんおいしいな。つるつると光るはおやじの、、、、。


   

 とまあ自分をごまかして、同じつるのあるものでも、こちらはハウスのキュウリ。お盆の頃に、親類の人からもらいました。ハウスに入れてあるのは、霜が降りる頃まで食べられるので、ハウスが良いと言われたからです。

   

 トマトを取っ払ったあとに、こんなふうに作っています。うどんこ病にかかっていますが、大丈夫のようです。ハウスの中なのでトマトと違って水やりが必要です。遠いですね。36kmありますからね。

   

 確かに、元気で花が次々と咲いています。でも、夏とちがって何気なく寂しく咲いているような気がしてなりません。何事もなくキュウリになってくれるのかなぁ、と思ってしまいます。


    


    

 9里は36km。フルマラソンの距離に迫りますね。

  わかよたれそつねならむ もよろしくお願いします。





未来予報機

2007年10月19日 | Weblog


 今日は、天気がくずれるのだそうです。昨日はあんなに良い日だったのに。世の中どうなるのか明日をも知れぬのは天気と同じですね。もっとも、天気はこの頃は分かるようになってきましたが、世の中の変化は何か予報測定器みたいなものができないんでしょうか。

 できたら大変ですね。祝杯をあげる人、オロオロしてしまう人、それこそ騒然。世の中混乱してしまうかも知れません。生きているのが面白くなくなってしまうかも知れませんね。その先の想像はこうなるんじゃないかとか、ああなるのかななど、みなさん、それぞれにお任せします。

 なんか、朝から暗いですよ。雲が下がってきたみたいです。これでは、せっかく干した洗濯物を片づけるのも間もないことでしょう。

  

 こまつなです。私は嫌いではありませんけど、ほうれん草の方がはるかに好きなのですが、それがどうしてかうまく説明ができません。こまつ(た)な です。こっちの方が、何かが甘さのようなものが足りないとでも言えばよいのでしょうか。あっさりしすぎているような気がします。


  

 涼しさを通り越して寒くなってきたのでクシャミがでます。はくさいです。こっちも青虫とヨトウムシの害があるのですが、キャベツほどではありません。作ったのは、はるかにこっちの方が多いです。

   

 秋の菊にほふ限りはかざしてん
      花よりさきと知らぬ我が身を  紀 貫之


   

 芭蕉が訪れたのは日光の裏見の滝。

   暫時は 滝にこもるや 夏の初 
  (しばらくは たきにこもるや げのはじめ)

 私が見た花は 裏見の茄子。

   暫時は 紫とめよ 秋の風

 やっぱり俳聖の句と並べて置くのはそうとうな勇気が要ります。素人だからできるんでしょうか。まさに、うってんばんてん(雲泥万里)ですね。


 


虫の好かない話

2007年10月18日 | Weblog

 病院の中で病気が感染してしまうのを院内感染と言うのだそうです。わが家の場合は、今回は家庭内で風邪をうつし合いしているわけですから、いわば庭内感染ですね。聞いたことがありません。造語です。

 大事をとって、それを理由にずっと怠けています。そのかわり、暖房器具類などはしっかり整えました。石油ストーブなど、出してみたら在るわ在るわ。汗がでてしまいましたよ。出したあとの物置はかなりのスペースが出来ました。古い物は処分します。

 数えてみたら、長持ちするものもあり、7~8年使っているものもあります。今年の夏、どこかのメーカーで7年使っていた扇風機から発火したというのがありましたが、台所で使っているのはメーカーは違いますが、7年くらい使っている扇風機でした。捨てるというのももったいないのですけどね。家を焼いたら大変ですから、もう捨てます。

 捨てるというのが出来ない性分です。 捨てる  もったいない  すてられない。 といういことになっちゃうんです。戦後育ちの悲しいさだめ。

              

 畑はいちおうは見て回っています。手を出したいところがありますが、せいぜいヨトウムシなどに死刑執行を行うくらいなことしかしていません。俺が法律だと言ったのが、むかしアメリカにいたとか。畑じゃ俺が法律だ。


  

 キャベツです。今年のキャベツは穴が多いです。見回り回数が少ないんですね。これはまだ良い方です。気のせいかモンシロチョウの円舞が今年は多かったような、、、、。

 モンシロチョウきれいだな~~   なんて浮かれていると、キャベツも白菜もブロッコリーも紋所を沢山作られてしまうのです。    

 裏切りのモンシロチョウです。保護してやりたい蝶なのに裏切るなんて。ウラギリチョウとでも名前をつけてやりたい。


  

 にっくきヨトウムシ。こいつの話の内容はいつも真剣です。芯(真)に迫っていきますからね。青虫の糞は青いのですが、こいつのは黄土色と大きいので区別がつきます。それを見つけたら必死になって探します。ずいぶん食べて太っていますね。居るときには3匹くらい一つの株にいますから、たまったものではありません。キャベツはおいしいんですね。甘みがあるからでしょうかね。

 こいつは、どういう蛾になるのかなと思っていたのですが、調べたら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%AC に写真が載っていました。すごく汚い模様ですから、無理してアクセスして見るのはよとう(止そう)。

 きれいな花でもどうぞ。

   


   

アスパラとニンニク一首ずつ

2007年10月17日 | Weblog

 ハッと気が付いたら、電波利用税というものを払っていませんでした。アマチュア無線のコールサインを持っていて、現役で電波を発信できる人には年間500円の税金がかかるんです。そのお金で不法利用している人の取り締まりをするのだそうですが、やっているなんて聞いたことがない。これ以上は言いませんけど。

 それで喉がゼイゼイとうるさかったんですね。払ったけどまだゼイゼイしますが、こんどは何の税金でしょうか。

              

 いよいよ、本腰をいれて炭酸ガスの排出規制を行うようですね。産業界はたいへんです。大きな機械を作ったりするところとか、金属を溶かしたりするところなどではどんなに工夫しても限りがあるでしょうね。

 私などは、そういうところはどうなるのか分かりませんが、少なくとも会社でパソコンの端末機の電源を切って置けるようなパソコンを作ったらどうかと思います。パソコンは不要な熱を出し、おまけにそれを冷やすためにファンを使います。一台いちだいの電力の消費は工場から比べれば少なくても、日本全国、いや世界中のパソコンを考えたら、数がそれこそものすごく多いと思います。


   

 今年もまたアスパラガスの実が取れる季節になりました。発芽の具合はどうなるか分かりませんが、枯れてとぎれてしまった所に蒔いてみようと思っています。

  とを追いすがってたのむ酔っぱらい
       ラーメン食べよとしきりに願う 

 なんだこりゃ。とつぜん。とお思いの方が多いと思いますが、ア・ス・パ・ラ を織り込んで詠んでみただけです。暇ですねー。


   

 一本だけ撮るとかっこいいですね。ニンニクの芽です。これくらいの頃は何とかなると思うんですよね。問題はこれから先です。今年は少し、追肥などを考えてやってみようと思います。できれば、商品に近い形のものを作りたいですね。

  期待して手間かけ作るニンニクも
          追肥やりすぎ溶けてなくなる   

 なんてことが無いように、よくよく注意しなければなりません。

   

   

 月下美人が咲いていたんです。しかも、今朝まで。今朝気が付きました。
前回は、真夏に咲いたのですが、その時には気づかなかったんです。

   

 しかも、3つも咲いたんです。おどろきました。

 それではみなさん、今日も良い日でありますように。