鹿島神宮へ

2008年01月14日 | Weblog


 山仕事はあっても、畑の仕事はほとんどないので、またお巡りさんを思いっきり蹴っ飛ばしてしまいました。

 今年の恵方(えほう)は南南東です。南南東には何がある ? ・・・・あった。鹿島神宮だ。ということで、昨日は鹿島神宮にお参りに行って来ました。

    

 鹿嶋まで行くには、道路は二本あります。一本は国道51号をそのまま行く方法です。もう一本は、北浦という湖沿いに県道を行く方法です。今回は、途中から国道をそれて、北浦沿いに行きました。
      
 北浦は南北に20km以上も長~~~~~い湖です。霞ヶ浦の隣にあります。ここも霞ヶ浦と並んでブラックバスのメッカです。富士山麓の河口湖に持って行ってるくらいですから。なにで? バスで。バスの色は? 黒。ブラックバス。

 かなり巾の広い川のようにも見えます。もっと写真がありますが、多くなりますので、後日ライブドアの方のブログに載せます。


    

    

 途中に剣豪・塚原ト伝(つかはらぼくでん)の墓がありました。塚原ト伝は、戦国時代の剣豪で鹿島新当流の創始者です。鍋のふたで相手の攻撃を受けたというエピソードで有名です。それこそ本当に強かったそうです。


   

   鹿島神宮の鳥居付近ですが、参拝者の車で渋滞。

    かなりの数の参拝者。

 

     拝殿

   
    本殿

 正月なので、ご祈祷受付のための仮設テントなどが並んでいてじゃまになります。やっと撮ることができました。

   

 鹿島神宮の杜です。薄暗かったのですが撮れました。この杜は県指定天然記念物だそうです。

   

 鹿。奈良公園の鹿は奈良時代にここから運ばれたのだそうです。

    御手洗(みたらし)

 
 鹿島神宮は、古くていつごろ創建されたか分からないそうです。平安時代に 「 神 宮 」と言う称号で呼ばれていたのは、伊勢の神宮と鹿島神宮と香取神宮(千葉県香取市: 旧 佐原市)の三社だけだったそうなので、大昔からかなりの神社だったようです。

 藤原氏の祖先の中臣氏はここに居ました。大化改新で活躍した藤原(中臣)鎌足はここの中臣氏の出身だろうと思われます。

                    

 風は冷たかったですが、天気が良かったので気持ちも良かったです。お昼に食べた天ぷら蕎麦はおいしかったですよ。