みそか

2020年12月31日 | Weblog


今年も最後になりました。コロナのこと以外にもいろいろとありましたが、やっぱりコロナの
騒ぎが一番ですね。
恐ろしいことはあるものです。これまでは天災、特に地震が一番心配でしたが、その他にも竜巻や
豪雨、暴風、干ばつ、土砂崩れなどなどがありますが。

 
   フユシラズ
 
他の災害は比べれば局地的な災害ですが、この感染症は全世界的ですから恐ろしいです。
他には、今のところは映画や小説、あるいは科学的な文章でしか体験つまり間接体験しかして
いませんし何時起こるのかは分かりませんが、小惑星の衝突などが考えられます。
それから太陽の寿命でしょうか。
しかし、これは実際に起こるか起こらないかは、今のところはかなり先のことですが一つの
例しか分からないようです。

 

それにしても寒い。やや強い風が鋭い冷たさを持っていますね。この雪国を通って来る
風なのかなと思っています。雪と言えば、天気予報の時間に見られる図から想像すると、
関東地方は列島の背骨にあたる山脈のせいで、雪雲は此方には届かないようで、空っ風と
なっているようです。

 

こちらではめったに雪が降らないので、いったん降るとパニックになりますね。私などは、
スノータイヤとチェーンを用意したのは、たぶん50年くらい前で、その後はほとんど
降らないので、まったく用意をしてきません。幸い、困ったことは一度もありませんでした。
多少は降ったこともありますが、退職していたので用事のために出かけることはあっても、
その時には、もう通勤はしていませんから軽トラ(四輪駆動)で用事を済ませられる程度
でした。

 

「みそか・晦」と言う漢字を調べてみたところ、 光が無くて暗い・おろか(愚)・闇または
夜と言う意味があるとか。また每という文字は、夢に通じ、暗いの意味。日が暗い、という
意味を持つのだそうです。つまり陰暦の月末ですから、月が出なくて暗い夜ということになる
わけです。

と言うと「ミソカ」という日本語つまり発音は?
月末である 三十日を和式に読めば 三(ミ)・十(ソ)・日(カ)ですかね。





難しい名前

2020年12月30日 | Weblog


一時、青空が見えたのですが、また曇ってしまいました。
昨夜は小ぶりながら降り、朝のうち早くはとても湿っぽかったです。少しでも降れば、
堆肥を作るために集めた木の葉が濡れて重みで締まることと思います。乾いたままでは
腐ることがなく、肥料になりません。

 

腐った木の葉にカブトムシが卵を産み幼虫が木の葉を食べて育ちます。また、ミミズも
繁殖して唯の葉っぱを分解して窒素分の多い肥料にしてくれます。ミミズの役割はとても
大きいです。

人間もいろいろな栄養のある食べ物を摂取して健康な体を維持し、また子供は成長します。
野菜もそれと同じです。中学生の頃に、職業・家庭という科目があり、そこで肥料の三要素を
教わりました。三要素とは窒素・リン酸・カリです。いま肥料を買いに行くと窒素・リン酸・
カリの含有量の比率が袋に書いてあるので、それを見て数値の大きい物を買って来ます。

 
 手前は栗の老木 植えてから、もう50年以上経ちます

中央にある二本ほど見える栗の木は、まだ葉が落ちきれません。落葉樹は、種類によって
かなり違いはあるでしょうが、若木ほど落ちるのが遅い傾向があります。

 
  五葉松の下のマンリョウ

冬ですから寒いのは当然ですが、まだ今の寒さは序の口ですね。大地はまだパカパカに
凍らないです。二月頃になるとまるでコンクリートで舗装したような硬い土になります。
もちろん表面だけですが。
そしてやがて溶けてしまいますが。 今はまだそれほどにはなりません。

 

地名というのは、本当に読めない時があります。新聞を見ていて地方版に上の図の
ような地名があったので、急いでメモをしておいて調べてみました。
右上の 小白硲 と言う地名は「こじらはざま」というのだそうです。せっかく調べても
しばらくしたら忘れてしまいそうです。
NHK で名前に関する番組をやっていますが、本当に読み方が分からない名字が多い
ものだなと思いますね漢字と用いる名前は、意味の上で読ませる場合も多いので、
その意味もまちまちの場合はなおさら正しい読み方は分かりません。

 


防草シート留め

2020年12月29日 | Weblog


ある本を読んでいてちょっと気になったので、命と言う語を漢和辞典で
調べてみたら、私があるいは大部分の人がまず思い出す意味の他に、
「告げる」と言う意味がありました。そういえば命令なんてのはそれに
あたるのかな。と思いました。「名付ける」と言う意味もあります。
命名と言いますね。「巡り合わせとか定め」。これは運命という語を
思い出しました。「目当てとか目標」は「命中」。

 

その他にいくつか「いのち」と言う意味の他にいろいろと意味を持っていると
言うことが書いてあり、そうだそうだ、そういう事にこの語を使うなと思い
ました。
辞書がまとめて意味を総括してくれました。おもしろいものです。

 

正月が来て、店が休みになったところに猫のご飯がなくなってしまったら、
猫にニャーニャーと迫られて困ります。それで、ホームセンターに買いに
行きました。行ったらそれだけで帰るのももったいないので、畑で野菜を
風や寒さから保護するために、小さな低いビニールハウスのようなもの、
つまり「トンネル」を作るための骨材も必要と思って、それも買いました。
これは弓なりにさせるのに適した太さ5mmあるいはそれ以下の、強度のある
プラスチック製の長い2mくらいある棒なのですが、ほかにも流用できます。

 

霜溶けすると土の通路がベタベタして泥濘むので、防草シートをかぶせて
おくのですが、風が吹くと土とシートの間にはいりこみ、シートを膨らませて
しまいます。しまいには、土に留めておくための一種の鋲がきついと、風の
強さが布地を破ってしまいますそれを防ぎたいので、それを防ぐために縁を
留めるために使いたいと思っています。

 

こういう仕事は面倒くさいですね。材料をそろえて、長さに合うように切断
あるいは継ぎ足しを行い、長い釘のような留め金を作り、それで地面に刺し
留めるわけですから。
防草シートを敷くのは、何処もかしこも砂利を敷きたくないからです。
いったん、砂利を敷いてしまったら後で変えたいと思っても、砂利を全て
取り除くのはほとんど不可能です。それこそ膨大な量の土を篩(ふるい)を
使って選り分けなければなりません。膨大な仕事になります。

一日中曇りで、寒い日でした。


 


野生後退

2020年12月28日 | Weblog


新型コロナの感染を怖れているからと言う理由ばかりではなく、足の捻挫のせいもあって
買い物にも殆ど出かけないようにしています。必要な物が手に入らず少し不自由しています。

ほとんど毎日家にいますが、幸いまだ退屈とか閉じ込められているとか言う気持ちには
なっていません。それより、ゆっくり家に居られるという気持ちが強く、家は良いもんだ。
世界で一番よいところ。やっぱり家だ。という気持ちがますます強くなってきています。

 
  セキレイはよく遊びにきます

少しばかりの仕事をし、景色を眺め、本を読み、パソコンで世の中のほんの隅っこを覗き、
音楽を聴き、来し方を思い行く末をちょっぴり不安に思い、出会う小さな虫や動物・鳥類を
眺め、彼らのことを思い・・・・。と、いろいろ楽しいことはあります。

 
 シャクナゲの下のマンリョウ

最後の「彼らのことを思う」と言うのは、例えば野ウサギの将来はあるだろうか、いま
来ている野鳥の子育てをするところは、今のこのそれなりに開発された田舎でも、かなり
少なくなっているのではないだろうか、などと思うことです。

 
 猫か何かの動物の顔のように見えるイチゴ

すでに、何十年前からフクロウの声は無くなりました。子供の頃は、風呂に入っていると、
暗い東側の塚の所に生えていた太い曲がった松の木の枝の中からホーホーと聞こえてきて、
恐ろしく感じました。

   

二十数年前でしょうか、狸が裏山から出てきて私の方に来ます。普通なら人を見ると
逃げていくのに、珍しいこともある物だと思って、近所の人に話をしてみたら、たまたま
その人は猟銃を持っている人でした。以前もその話は書いたことがあります。
彼は「そのうちに狸はこの辺から姿を消すぞ」と言うので「何で?」と聞くと「病気が
流行っているんだ」と言っていました。
そのフラフラ狸を最後に、狸は居なくなりました。
狸は何も害はしませんでしたが、その代わり今はハクビシンが畑を荒らしにきます。




冬空の下

2020年12月27日 | Weblog


一日中くもり。気温は12℃程度です。今日も、いかにもこの辺りで典型的な冬の日の風景です。
この頃、ちょっと行き詰まります。「テンケイテキナ」を入力して漢字変換するときに、一瞬
止まりました。
 テンテイテキナだったっけ? テンテキテイだったか・・・。
まあ、この手のちょっとした迷いは昔からありましたけど、この頃はちょっとしたことに自分の
年齢を考えてしまう年頃になりました。

 

近くを通る県道の拡幅と、新しく作ろうとしている同じ幅の道路との交差点の工事をやっています。
やたら複雑になるような感じで、危なくなるのではないかと心配です。
日ごとに、工事のせいでどこを通るのか車線が変わります。

 

まだはっきりは分からないのですが、今までの県道は、 の付いた矢印のように往来させ、
新しくできる道路は○印の無い矢印のように通行させるように想像しています。
夜に此処を通ると、暗い中、コーンに色づけした反射塗料とか、立て看板やら様々な臨時の
標識が光って、「私ゃ一体何処を通れば良いのだ???」と迷いそうです。
まだどうなるか分からない不安感もあるのでしょうが。

 

コロナのせいで、必要な用事の無いときには外出はしないので、テレビを見ることが多く
なりました。大抵は録画ですが、普段はあまり見ないバラエティ番組を見てしまうことも
あります。 
ちょっとした用事を思いつき、ビョコタン・ピョコタンというリズムで外に出てゴミを
纏めたり、植えてあるものに肥料を与えたり、物置の掃除をしたりと、こまごま動いて
います。足は少し痛みますが、これがずっと長く続かないように注意しています。
 
 

まだ、私が小さな、つまり幼児だった頃に、父はよく汽車を見に連れて行ってくれました。
父の肩車に乗っかり汽車が通り過ぎたり、駅の近くへ行ったものですから、入れ替えの
機関車が走ってきて止まり、逆走をして戻るのを見ていたり。
時々ピポーっとものすごい音を立てるのが、突然だったり音が大きくて怖かったです。

 
 この頃3~4日、ブログの更新の時に聞いています。なんとなくイイナ。
 演奏家は珍しい姓で、木住野と書いて きしの と言うのだそうです。

そのせいか、今でも踏切には関心があります。また他の地をドライブしたりしている時に
見かける列車には興味があります。
ただ、鉄道マニアの人たちが、蒸気機関車が来るのを待ち構えていてシャッターを切る
と言うような程までの熱意はありません。マニアにはなれないようです。

 
  フルートの練習に疲れ、ジッと足下を見る(教室で)

いろいろな集まりやら会議やら、その他の行事が中止となったと言う連絡が入ります。
出かけないでいるのに、また出かける用事が減った、と言う感じですね。でもその方が
良いかなと思っています。感染を心配しながら出かけても、後になって後悔するような
ことになったら大変ですからね。
やってくる小鳥を見たり、空を行く雲を見たり、国語問題に関する本をよんだり。
そういえば、なるほどそうだったのかぁと思わせる国語の問題が分かり面白いものです。
私がいまちょっと困ることは、

  例えば「続く」と言う言葉を入力あるいは手書きをするのに「つずく」と
  入力するのか、それとも「つづく」なのか、と迷うことです。

パソコンなら漢字変換の時に「つずく」と入力すると「続く《「つづく」の誤り》」と
教えてくれるので楽ですが、手書きの場合は間違えたら、間違えたままで自動的に
訂正してくれませんからね。

 
 


日向ぼっこ

2020年12月26日 | Weblog


冬に入ると曇りの日もあり、ちょっと憂鬱なのですが、総じて晴れの日が多いです。
ただ、晴れても邪魔なのはゆっくり来て、さらにゆっくり通り過ぎていく雲ですね。
これが来ると風が起こり冷たい風が吹きますからね。日向ぼっこもおしまいにして、
そそくさと家の中に入るということになります。

 

子供の頃から日向ぼっこは好きです。第一、お日様の照りを浴びるのが好きで、子供の頃
などは日当たりの良いところで、よく漫画を楽しんでいました。そして、いつまでもそうして
いると「風邪をひくから家に入れ」と怒られる。
本などはあまり買ってもらえる時代では無かったので、表紙から裏表紙まで何度もなんども
読み返したものでした。
『おもしろブック』という少年雑誌があり、それを時々買ってもらいました。あの頃は時代劇が
流行っていたようで、「鞍馬天狗」とか「丹下左膳」とか言うのが小学校の近くの文具店の塀に
町の映画館の大きな映画の写真が貼ってありました。見に行ったことはありませんが。

 

他に『少年』と言う雑誌があり、それは友だちから見せてもらいましたが、その頃に「鉄腕
アトム」が始まったのを覚えています。ウィキペディアによるとしょうわ27年に連載が
始まったとか。私が小学
3年生の時です。記憶と一致しています。息子が交通事故で亡くなってしまった博士が、
そっくりのロボットを作ったという話からだったと思います。

 
 炭火で焼き芋を・・・

日向ぼっこから話がどんどん飛んでいきます。

そういうこと話しになるのは、どうやらいま読んでいる本のせいかなと思っているのです。
その本は決して夢の話でも昔の思い出に関する内容ではなく、江戸期から現代にいたるまでの
日本語のことを書いたもので、国語国字の問題を中心に仮名遣いやら何やらいろいろ書いた
ものですが、そのせいかも知れません。(丸谷才一『桜もさよならも日本語』)

 
 
  セキレイが近くに来て遊んで行きました

今年も終わりに近づきましたが、コロナの勢いは収まらず、むしろ盛んになってきて、心配な
年です。何事も無かったなどと言う年は無いでしょうが、それにしても今年はたいへんな年でした。
長い間にはそういう時もあるだろうとは思っても、これからどうなることやら本当に心配です。
来年まで尾を引きそうですが、これ以上は大事にならないことを願っています。


プラスチックの回収

2020年12月25日 | Weblog

今日は晴れましたが、お日様を邪魔する雲が一日中来ては去りしていました。風は
冷たいです。外にはあまり出たくない日です。まあ、冬ですからしかたがありませんが。
今まではサッサと着替えて裏山に入り草刈りなどをしたり、何か力仕事でもないかと
探してやっていたのですが、足を思い切り動かせないので、外の仕事は殆どしていません。
それなので、外に出ればただ寒いだけなので、不活発な生活になってしまいます。大いに
不満です。

 

我が町でも、プラスチックのゴミを回収することになって実施しています。
プラスチックのゴミは、実際は量はそれほどでなくても、かなり膨らんで量が多くなりますね。
細かく、ハサミなどで刻んで袋に入れればおそらく量は半分くらいになってしまうでしょうね。
しかし、そこまではなかなか毎回はできません。

 

資源は回収できれば再利用できますから、相当な節約になるはずです。量の多い・少ないの
問題など無視すべきことでしょうね。やっと実施されるようになったかと思っています。
気持ちです。

 

海にはずいぶん流れ込んでいるようですね。お日様に当たれば分解するようですが、土中や
水中ですと分解するのには、相当長い時間がかかるのではないかと思います。どれくらい
時間がかかるのかは私には分かりませんが。
一つだけを見て判断するのは不安かもしれませんが、とにかく解説したサイトが無いかと思って
探してみました。

 検索は 「プラスチック 水中での分解時間」と入力して見てみたところ、下記のサイトを
見つけました。

 https://lessplasticlife.com/marineplastic/driver/plastic_fossils/

時間をかけずに探したのですが、もっとあるはずと思います。

今日は、ゴミの話なのでゴミの画像でも仕方がありませんから、いつもに増して全く関係の
無い画像ばかりになりました。




曇天の下で

2020年12月24日 | Weblog


一日中、曇天のまま時間が過ぎていきます。典型的な冬の風景かなと思っています。
ただし、それほど寒くは無いので、外に出て散歩をしても楽です。
曇りですから暗いです。家にはいると、ちょっと大げさかも知れませんが、日中でも夕方に
なりかかって来たような感じになります。

 

左足首の捻挫をしているので、健康な時のような散歩ではなく、散策と言った方が合って
いますね。二~三歩歩いては立ち止まり、この曇天下の風景を味わう。
雑念が頭の中をくしゃくしゃと走り回り、しばらくしてまた数歩歩くという散歩です。
先日、絵で描いたように左足は斜め横に出して、体を前方に送ります。それを右足が受けて。
という形の歩き方です。

 
   ツグミ?

猫のミーちゃんが同伴してくれました。行く先いくさき、付いてきては遊び、私が進むと
後から付いてきてまた遊ぶという感じです。かわいいものです。
いつも家に居るので出歩かないと辛い、と言う気持ちの揺らぎは全くないので、とても楽です。
我が家より良い所は無いという気持ちが先行しています。
それなりに録画を見たり、本を読んだり、ちょっとした足に障りがないような雑用をしたり
しているうちに時間がどんどん過ぎて行きます。むしろその方、つまり時間が早く過ぎていく、
と言うことの方が気がかりです。

 
  花スオウの木にマメが生りました

二葉亭の小説、『浮雲』を我慢して読んでいます。面白くないからです。ただし、
こんな表現や言葉があったのかと思わせる、なじみの無かった言葉が次々と出て
ます。どうせ先を急ぐわけではないですから、辞書を引きながら読んでいます。
辞書を引いたからと言って、覚えていられるかどうかは問題ですが、引かないよりも
良いかなと思って引いているわけですが、むしろ引くより「押す?」と言った方が
正しいくらい脳に引き寄せることが出来ません。つまり覚えられません。
比べれば、いま書かれている小説の読みやすいこと。

自分のことを「くたばってしまえ(しめえ)」と言ったことをペンネームにしたとか。
何事も最初というのは大変なことで、後に続く日本の近代小説の始まりの基を成した
作品なのだとか。

 
   ネムノキにも豆が生っています

おっと、あまり寒くないせいか、私とパソコンの画面の間を蚊が飛んでいきました。
午後四時半頃ですが、気温を見たら14℃あります。蚊は意外に寒さに強いですからね。
ですが、大半はおそらく死んでしまっているでしょうから、おそらくずっと屋内に居た
ままでいるのでしょう。それにしても、食べ物はどうしているのか。蚊に聞かなければ
なりませんね。
コタツには入っていますが、電源は入れていません。やっぱり今日は暖かいです。

「新型コロナの昨日の感染者数」「重症患者数」「コロナ対策のあれこれ」「医療
崩壊寸前」などなど、毎日まいにちくりかえし報道されています。それを繰り返し聞いて
いると深刻さが麻痺されてしまって、あまり事の重大さを感じなくなってしまう人が
多くなるのではないかと・・・。
かと言って何の報道されないのは余計に心配です。人の気持ちというのは複雑なものです。
嫌っていながらも遠ざけられないものです。



不自由な思いをしています

2020年12月23日 | Weblog


足は2本しかないので、捻挫をすると辛いです。段差のあるとおろを降りようとしても、捻挫を
していない足を下ろそうとすると、残った捻挫足に一時体重がかかるので痛むし、その逆はもっと
痛みます。こういう時には膝の所で留め金でとめて足首を使わないようにできる歩行機があった
ような気がしますが、それを使いたいですが、それでもやっぱりぎこちない動きをしたり、場所に
寄っては危険を伴うことになるでしょうね。

耐えられない痛さではないのですが、普通に歩いたり上がり降りをしていたのでは、負担がかかり
ますます悪くなるのでは無いかと思って、慎重にしています。

 

入院していた人が、一時帰宅したのだそうで、「おーい、来たよ。」と寄ってくれました。
ずいぶん元気になったようで安心しました。
感染するような病気ではないので、一時帰宅して他人の家を訪問しても迷惑はかけない
わけです。
帰宅しても家にばかり居ても退屈なので、気楽におしゃべりができる人の所に来るのでしょう。
家に戻ってくると、家はずいぶん寒いとかぼやいていました。それはそうでしょう。
病院は全館暖房でしょうからね。

 
  寒くないのですかね うらやましい

まだ私も寒さに慣れないので、「今年は特に寒い」と、ついつい思ってしまいますが、
本当に寒いのかもしれません。今は雪国では車の大渋滞が起こるほどの大雪ですからね。
その雪の地域を越えてきた、いわゆる空っ風がこちらに吹いてくるわけですから、
その風の冷たいこと。つまり寒いわけです。

 

遅ればせながら、年賀状を仕上げていますが、パソコンは最新版でプリンターがまだ
旧バージョン用のものなので、マッチングさせるのが大変です。
文面の方は何とか処理できるようにしましたが、宛名書きの方は、宛名や住所および
郵便番号などのレイアウトが、ピタッとハガキの枠の付いた中に文字を入れられるように
するには、なお時間がかかってしまいますから、今回は宛名書きの面は手書きにしました。
いやはや時間がかかること。それに文字の書き損じもあります。

 

近所の人の葬式がありました。コロナ感染を心配しながら斎場に行ったのですが、受付を
すましたらガランとした大部屋に自分で行き焼香をするのだとか。そして、その後は式に
参列するのは良いのですが、そこで帰宅してもらっても・・・。と言う説明がありました。
殆どの人が焼香を済ませて帰宅しました。なるほど。このような時にはそれも仕方ないです。
内心、感染の恐怖は軽減されたかな?と思いながら帰ってきました。

 
  おいしいパン屋さん

町内の新年会は無しなのだそうです。町内会も、もうずいぶんやっていません。
来春には、町内会のさまざまな役員改選があるのですが、その頃になって下火になれば
集会を実施するのでしょうが、ならなかった場合は内々に役員を決めて、それぞれ回覧で
承認してもらうということになるかもしれません。役員は、順番でやることになって
いますので、大半は自動的に決められますが、そうでないものは次の候補者になるような
人に受けてもらい、事後承認という形を取るようになるかも知れません。
臨機応変に動いてもらいたいです。




テレビの影響

2020年12月22日 | Weblog


今日の朝はまた寒いな~と思っていたら、もうブログの更新をする時間になってしまいました。
ほぼ午後4時に近くなったら、始めることが多いです。

 
 今朝も、畑は霜で真っ白でした。雪の白さとはまたちょっと違います。

足が痛むので、こまごまとした仕事をちょこちょこやる程度です。資源ゴミを出しに
町内の公民館まで運んだり、モッコウバラの蔓が勝手にあっちこっちのびでいるので、
あるていどまとめたり。物置付近の片付けをしたり・・・・・。何の仕事をするに
しても歩きます。何をしないでいても痛みます。耐えられない痛みではなく、ズキン
ズキンとじわじわと迫ってくる痛みです。

 

テレビの録画(放送大学)をみていたら、『枕草子』を読むときに、こんなことに
留意すると良いよ、と言うことを示唆する場面がありました。
①季節の美学 ②時間への思い ③人間を書く ④ 樋口一葉・森]茉莉への経脈。
なるほど。

 

私の場合は②が一番強いですね。『枕草子』のこととは全く離れますが、時は
残酷なまでに過ぎていくと思ったり、時が経ったせいでホッとできたり、過ぎ去った
時間を切り取って今と比較したり、時間というものを認識しているのは人間だけなのでは
ないかなどなど、時間は不思議なものです。

 

コロナの流行と足の痛みのせいで出歩かないので、話題に乏しいせいか本のことが
ほんの少し多いかなと思います。
こういう本をかなり飛び飛びに時間をかけて読んでいます。続けて読むと、その土地土地に
いまいち気持ちが張り付かないでスーっと読み終えてしまいそうなので、場合によっては
読んでは休み、その地を訪れたりしているので、時間がかぇています。


 



祖先にエールを

2020年12月21日 | Weblog


家に居るときには何を着るかに無頓着なのですが、そのせいか今年はいつもの冬より寒く
感じます。
しっかりと、あったかいものを着れば良いのでしょうけどね。
着込むと、作業とする時に着替えるのが面倒です。だいたい、そのしっかりしたあったかい
服は、着脱がどちらかと言うとめんどうくさい。
猫を飼っているのですが、猫はその点では着替えをすることが無いので羨ましいです。

 
 
 ネットの中は切り干し大根

昔は、ドテラを着っぱなしで、洟をすすりながらタバコをくわえ、日向ぼっこをしている
老人を見かけたものですが、最近はどてら姿など見かけないです。
かく言う私も、その人たちの年齢に一歩いっぽ近づいているのですが。
このドテラは漢字では褞袍と書くようですが、ふりがなが無いと読めないです。書いてみろと
言われたら全く書けません。
 
 https://yuraika.com/dotera/

 
 今日も晴れ

どうしても、しなくてはならない用事があり、先ほど銀行に行って現金を振り込んだり、
郵便局に行ったりしてきたのですが、そういう所ではシュッシュッと頭を押すと消毒液が
出るものを置いておく所が多いです。あれは良いなと思います。もちろん、マスクはして
行きますが、そのマスクを忘れがちで車に戻って取ってくること数知れず。家でもマスクを
していれば、習慣になって忘れないのでしょうが。

 

どうしても多少は歩かなければならないので、辛いです。足首がギクッとするようなことは
絶対に無いように気をつけています。そうなったら大変なことになりますからね。

外に出ると、猫がついてきてくれます。なかなか可愛いものですね。いちばん可愛いのは、
トイレから出てくるとドアの外できっちりと三つ指ついて待っていてくれることです。
カワイイものですね。

 

ところで、近頃読んだ本によると、中国語はフリガナが無いので、どう発音するのか
正しい発音かを知るのが大変なのだとか。日本語はフリガナがあるので、それはひらがなや
カタカナですが、それを読めば良いから正しく伝わるわけです。それから、外国語はフリガナで
示せる利点もあるわけです。
中国語の漢字をくずしてひらがなとカタカナを作ったのでしょうが、その「かな」が本家の
中国語より日本語に貢献しているとは。改めて日本人の器用さを強く感じます。我らが祖先に
エールを送りたいです。



今日もズキズキ痛みます

2020年12月20日 | Weblog


年のせいか、寒さを強く感じます。それとも、本当に寒いのかも知れませんが。
確かに寒くなる時期ですから、年のせいなどと、自分に非とか弱みがあるように、進んで
思わないのが良いかもしれませんけど。

 
  バケツの氷

夏になると冬の方がイイナと思ったり、冬になると夏が良いと思ったりと、まあすぐにそういう
ことになってしまう自分は、何と言うのか身勝手なものだなと思います。
思ってもそうはならないはずです。そう思うのは凡人な証拠です。もっとも、自分が偉いとは
思ってはいないですが。

 

この頃、こんな本を少しずつ読んでいます。若い頃に買ったものですが、読む気がしません
でした。いま読んでも面白いとは思いませんね。ただ、これから先はどうなるのか、と言う
思いだけが私を弱く引っぱっているわけです。
そんな訳で、さっぱりページが先に進みません。

 

たしかに、この帯に書いてある通りなのでしょう。読み終わったときに、そのように
感じるかどうか楽しみです。
明治の始めのころは、江戸期には、それぞれのお国の言葉で喋っていたようで、江戸城の
中などでは、どういう言葉をつかっていたのか、後に言う標準語というものが無かったので、
その頃は、全国どこでも通じる共通語を作るのが大変だったとか。
文学の世界でも大変だったようです。

 
  落葉樹(これはクヌギ)葉が落ちて裸になってしまいました。
  若木ほど長く葉が落ちないで付いています。

捻挫は相変わらず良くなりません。この手の怪我は注意した方が良いかなと思って
います。足が不自由ですと、イライラの元にもなりますね。人と一緒には歩けません。
とにかく歩くスピードが遅いので、他人をイライラさせるでしょうね。
ただ椅子に座っているだけで、程度は重くないとは言え、ズキズキと痛みを感じます。

  
  のんびり

まあ、しはらく慎重にしていることにしましょう。コロナの流行っている時期でも
あるし。むやみに、出歩かないようにという警告なのかも知れません。

 駄句
   痛む足 食欲変わらず 霜柱
   寒天に 無性に乗りたい 三段ギア
   干し芋や 作っては食べ 作っては食べ
  


歩いてもあるいても

2020年12月19日 | Weblog


今日も晴れて寒いです。朝は特に寒く感じて、朝食が終わったら部屋の片付けなどを
急いで済ませて、コタツに入ってしまいました。
コタツでもいろいろなことをしています。多少はネットで地図を見たり、時事に関して
鈍感なので、朝日川柳などで出てきた言葉が分からないときには調べたりすることも
あります。

 
  友達にもらった対流式のストーブが壊れてしまいました。
  キッチンのような大きな部屋にはこれが一番。上で煮炊きができるし。
  新しいのを買ってきたら、さっそく猫がそこであったまっていました。

例えば近頃見られる(聞かれる?)「ガースー」などのようなことはニュースなどで
見落としてしまうと何のことだか分かりませんからね。どのニュースでもやったか
どうかも分からないし。
その「ガースー」に関しては意味が分かったので、ひょっとしてと思って Youtube を
見たら出ていました。なるほど、実にくだらない。そのようなことは辞書や百科事典では
分かりませんからね。知ってガックリくることも多々あります。結果はそうであっても、
やっぱりネットは便利です。しかし、どんな物でもその裏の使い方があって、ネットなら
誹謗中傷が近頃はひどく話題になることがありますね。「ネットで炎上」なんていう
言葉も聞かれます。

 
   なんだ? これは??

「アッ、まだだった」と気がつき年賀状作りをしました。油断していていました。
何とか図案を考えて試し刷りをしてみようかなと思ったら、油断大敵・プリンターの
インクが6色とも全て空になっていたようです。
今まで、何度もプリンターの方から「インクが無くなった」と言うメッセージを
受けていたのですが、それでも印刷できたので、インクの交換するのを忘れていました。

着替えて、買いに行ってきました。左足首を捻挫しているので、足を引きずるようにして
店内を歩いてきました。今は誰もジロジロ見る人が居ないですね。そうであって欲しいです。
世の中にはいろいろな人がいるのです。

  
  ちょっとしたカボチャくらいの大きさのユズ 
  獅子柚(シシユズ)とか鬼柚(オニユズ)と言うのだそうです

新型コロナウィルスのせいで、店は閑散としているかと思いきや、そんなことは決して
無くて、その後猫の餌を買いに行ったホームセンターでも、いやはや人の多いこと。
もっとも、私もその中の一人なのですけど。他人を責めることはできません。

 

話は変わって、先ほど見た録画は「こころ旅」なのですが、種田山頭火の歌碑がある
お寺の銀杏の木の下にあるから、それを見て欲しいというリクエストのハガキに従い
おとずれる場面があったのですが、このごろ種田山頭火は私は無沙汰をしていました。

  分け入っても分け入っても青い山

と、五七五の習慣に従わない形の句を詠んでいた彼。独特な人で、ずいぶん旅をした
そうです。後継者はいなかったようです。
いろいろな人がいろいろとチャレンジしていき、一つの場を作るなんてことができる
人はイイナと思います。うらやましい。
後継者がいるとかいないとかはまた別なことです。

  歩いてもあるいても満足せず

これは私の長らく引きずっている心境です。私の場合は「歩く」は、車で「走る」こと
ですが。





あくせくせずに

2020年12月18日 | Weblog


忘れっぽいのが特技なので、今の時期は困ります。何を忘れるかと言うと、車を降りて
マスクをすることを忘れることほぼ80%。
アッと気がついて車にしょっちゅう戻ります。車の中にはマスクを複数おいておきます。
でないと、帰宅したときに車のマスクを車に戻さずに、家に持ち帰ってしまうからです。
もっとも、洗うためにそのようにはしていますが、補充するのを忘れます。

  
  今日の夕焼け

気温は8℃です。年のせいか、今年は例年より寒く感じます。何かと鈍感になっていくの
でしょうが、ついでに寒さの感じ方も鈍くなってくれると良いのですが。
もっとも、次からつぎへと色々なことを考えていることは確かなので、少し先に思った
ことは忘れがちになるものです。

 

左足が少々不自由なままピョコタンピョコタンと歩き、その左足をかばいながら
木の葉集めをやっています。
これくらい積み上げました。ただし、このままでは風が吹くと吹き飛ばされて
平らになってしまいますから、このあとは木の葉の上に乗って足踏みをします。
時々水もかけます。すると踏んだだけより締まってほぼ平らになります。一日
雨が降ればもっと低くなります。そしたらまた積み上げます。
畑の野菜の栄養素となるわけです。手間はかかりますが無料です。

 

    昨日またかくてありけり
    今日もまたかくてありなむ
    この命なにを齷齪(あくせく)
    明日をのみ思ひわづらふ

      島崎藤村の「千曲川旅情の歌」と言う詩のなかの一部

気になる言葉ですが、あくせくしないように生活しようと思っています。

 


空気がたいへん冷たい

2020年12月17日 | Weblog


一日中晴れて、天気に関してはとても良い日なのですが、何せ風つまり空気がたいへん
冷たいです。気温は8℃です。
この風の冷たさは素人の想像ですが、たぶん雪国を通ってきたものなのだろうと思っています。
今年は、ずっと暖かさが長持ちしていて喜んでいたのですが、今になって例年の寒さになった
せいか、いつもの年より辛い感じがします。
これはそのせいなのか、それとも年齢のせいなのかは自分では分かりませんが。

 

空はこんな具合です。ただ、風や冷たさはカメラで写せないのが残念。
カメラにもそう言う機能が付くと良いですね。ただし、画面の下方に温度が数字で出るなんて
いう方式ではなくて。
じゃぁ、どういう形で画面に?と聞かれると困りますが。それが分かればカメラの会社に
提案できるのですが。言い訳になりますが、そういう馬鹿げた発想が発明につながるという
話は聞いたことがありますが。でも、私には知識が無いので発想だけです。考案はできません。

 

バナナの木はこの通り。南洋のものですからね。寒さに弱いのはあたりまえです。
こうなっても、木そのものは枯れません。実際は木ではなく、葉っぱがグルグル巻きに
なっていて、木のように見えるだけなのだそうですが。

 

今年もハクサイはこのようにして収穫した物を二三日乾かし、そして新聞紙に包みました。
それを順々に食べて行くわけです。

    

捻挫は、あまり良くはなっていません。足は二本しかないので、前進するときに、あるいは
段の上り下りの時には、どちらから先に足を上げ下げしても、捻挫した方に体重がかかる
時には痛みます。
それで、上の図で普段は左上の図のような歩き方をしているのですが、痛みを軽減させたいと
思って、いろいろと試しています。
今のところは、痛い足を右の図のように横向きに出した方が、痛みが軽いように思えます。