たけ

2008年02月29日 | Weblog

 現役で働いているときには、給料が変わるわけではないので、数字の上では閏年には一日ただ働きをしたことになるなーと思いましたが、本当は実感はありませんでした。辞めてみるとそんなことはどうでも良いことで、かえって一日年を取るのが長くなったような気がしないでもありません。

 「うるう(閏)」というのは、どういう意味なのか調べたのですが、よく出ている辞書は手元にはなくて、「余る」という意味であると書いてあるのが一つありました。閏という漢字の意味は、中国では閏の日には王様が門を閉ざして中にいて政務をとらないと書いてある辞書もありました。

             
                      

 きのうは、久しぶりに穏やかな日でした。暖かかったです。屋根にあげた風呂用の水は温まり、水を足さなければ熱くて入れませんでした。水を足して温度を下げることを、私の地域では 「うめる」 と言います。「熱いので水でうめました。」なんていうように使います。広辞苑では2番目の項に、「水を加えてうすめる。また、湯をぬるくする。」で漢字では「埋める」と出ていました。そのように出ていますので、方言ではないのかなと思います。皆さんの地域では何と言いますか?

 その地域で生長すると、どこまでが方言なのかが分からない場合があります。他の地域の人に指摘されて初めて方言だと分かるなんてこともあります。

                      

 竹があれば、便利な思いをしますが、あればあったで管理がたいへんです。山仕事が一段落したので、今度は竹伐りをしています。竹は猛烈は勢いではみ出してきますから、その分は成敗しなければなりません。切り倒しておくのももったいないので、豆の手などに仕立てるのですが、枝をはらって燃やし始末するのに手間がかかります。

          

 竹もけっこう弱いところがあります。中に食い破って虫にはいられることがあります。そういう竹は生きていますが、いじけたり色が変に濃い緑色をしていたり、枝葉の付き方も変です。竹も生き物ですから、そういうこともあるんでしょうね。

 立ち枯れもあります。ほったらかしておくと、竹林は枯れたのが倒れて斜めになっていたり、手の届かない高い所などで折れて垂れ下がっていたりと、荒れた景色を作ります。

            

 伐採した竹は、枝葉を切り取りこのようにして保存しておきます。本当は雨ざらしにしないほうが良いのですが、屋根を作るのがたいへんですし、毎年あとからあとから生えて出てくるので、その処理の為にも適当な所で駄目になってくれた方がよいので、このようにしておきます。

 用途はさまざまですが一括して、豆の手にする、と言ってしまいます。なるタケ(だけ)根気よく管理していこうと思っています。


          

 チューリップの芽が出ていました。やっぱり春はすぐそこあたりに来ているみたいです。また語源の話ですが、ある辞書にはチューリップはトルコ語で、ターバンという語から来たのだそうです。花の形から名前が付いたとのことです。

 梅はまだ咲きませんね。さいている種類もあるようですが、早生の梅はないのでまだ蕾のままです。フキノトウは後口が出ていますが、もう少し経ってから取ろうとおもっています。


 一日一茶

   梅さくや我にとりつく不性(精)神

たかがほうき

2008年02月28日 | Weblog

 レコードは、15分から20分くらいでひっくり返さなければなりませんので、面倒です。何か作業をしながら聞いていると、あいにく手が離せないときなどに、ひっくりかえすことになりがちです。放っておくと、CDなら黙って止まっていてくれますが、レコードはプッツンプッツンと永遠に鳴り続けますから、ストレスがたまります。ストレスがたまるとコレステロールが多くなるような気がします。

 誰かが、レコードをかけるということは、一種の儀式だと言いました。丁寧に盤を拭いて、針を掃除して、細心の注意を払って丁寧に針を落としていく。その行為が儀式だと言うのです。私ゃ、そんな表現は大嫌いなので、決して言いません。あっ、言っちゃった。

                       

       

 風で飛ばされてきた、こういうゴミが芝生に落ちると困るんです。こんなのが沢山おちると、ホウキで掃くのですが、なかなか芝にからみついたりして取れません。取れたかと思うと今度はホウキにからんじゃってストレスがたまります。ストレスがたまると皮下脂肪などが増えるかもしれません。増えないかな? なんかそういう気持ちがしたものですから、、、。

            

 たまたま、こういうタイプのホウキが駄目になってしまったので、使ったことがないのですが、今回はプラスチックの穂が付いたのを買ってみました。タイプが二つあって、堅めのと柔らかめのがありましたが、堅めのを買ってみました。

 ところが、これが正解でした。多少の土などがたまっているところでも土ごと掃いてしまいます。芝生の木の葉などは楽チン。しかもホウキにからまない。今までは、駄目なところは放棄していました。今度は気持ちが蜂起でもするかのように掃除ができます。ひょっとしたら座敷にも良いかも。絨毯には良いかもしれませんね。絨毯が減るかも知れませんが。

 玄関など、水を流して掃除する時でも掃き出し易いです。こういう物事がうまく言ったときには、適宜に体脂肪は分解し、糖分はどんどん燃えているような気がします。健康に良いですね。


         

 いつも奥さんが職場の友達にもらってくるのですが、今度は自分で しもつかれ(すみつかれ) を作ってくれました。初めての挑戦ですが、それにしては良くできました。おいしかったです。ほんの少し酢を多めに入れてもらいました。

 大豆が入りますが、節分の時の福豆をいれました。もともと、それを入れるのが本当だとか聞いたことがあります。本当かどうかは責任を負いかねますけど。鮭は頭がないので、身をくずして入れました。こういう食べ物は健康食ですね。



 一日一茶

    雪とけて村一ぱいの子ども哉

カメラはカメラでも

2008年02月27日 | Weblog


 昨夜は雨でした。今朝はすっかり止んで、瑞々しい  の朝です。どうやら久しぶりに霜もおりなかったようです。予報では、風がまた強くなるらしく、東京方面では鉄道が2本線とも運転を見合わせているとか。
 
                     さてさて

 カメラはカメラでも、胃カメラを飲んできました。いやそのおいしかったこと、おいしかったこと。朝食抜きでお医者さんまで行ったのですが、朝ご飯を食べないとこんなに寒く感じるのかなと思いましたね。

 燃えるゴミを出す日だったのですが、外に出るのがとても嫌でした。奥さんがゴミは出してくれたのですが、犬と鶏にはがまんして餌をやりました。まあ、待っていてくれておいしそうに食べてくれたので、それが少しは癒しになりましたけど、、、。

                       亀ら

 お医者さんは、ピストルに弾を装填でもするかのように、楽しそうにカメラにフィルムをいれ、そのカメラを先端が光っているチューブに取り付けます。
  「まず食堂から見ますからね。」
  「え? あ、そうか食道か。」 
 食べることに気持ちが向いてしまいます。
  「おー、きれいだ。食道は大丈夫。次は稲。」
  「あ、胃か。『胃ネ。』と言ったんだ。」
  「きれいですよ。癌の形跡など全然無いし。」
 と、胃をカメラが突っついているのが感じられます。 心の中で指二本立てていました。ピースですよ  。癌じゃなかったーーーーっ。 

                             

  「先生、突っついているよ。胃の中がツンツンしてる。穏やかにネ。」
 先生は私の気持ちなど知るよしも無し。もっとも、こちらもしゃべれないですけど。
  「へんへ、いおあかがあおほお、、、(先生胃の中があのその、、、)」
くらいで、何を言ってるのか、言っていることを「何?」なんて究明されでもしたら、時間がかかるだけ苦しさが長くなってしまって、損々
  「ここまで来たんだから、十二指腸まで行ってみましょう。」
とまあ、ドライブで回り道でもして楽しむかのような口調に聞こえるじゃぁありませんか。「買い物に出たけど~財布忘れてドライブ~~~  」なんてCMが昔ありましたっけね。あれを歌っていたのは誰ですか。私の記憶では小沢征爾の息子だとか。違うかな。もしそうだったとしたら、いま「篤姫」で西郷さんを演じている、あの俳優ですか?

                       

  「なんでも良いから早くしてね。」
  「大丈夫だ。さて、カメラは U ターンして胃を逆の方角からみてみましょう。おー、なんともないよ。」
 嬉しいんですが、ツライ ツッッーーーっ。心の中では
  「やまとごころの もののふは(大和心の武士は) 、切腹だってしたんだ。これくらい何だ。 」
 でも、切腹は外からで、これは中からだからまた違うんだナー。その、チョンチョンて中から先端で突っつかれるのはツライですよ。

 とまあ、そんなことで胃は大丈夫だと判明しました。帰り道はモーハー安心でしたが、とてもとても空腹で、ハラヘリホレハレでした。

                      

 帰ってきたら、猫のミーちゃんがあったかいカーペットの上で伸びたりイナバウアーをしたり、、、。「猫は胃カメラ飲まないんだね。」と、猫をうらやましくおもいました。思いついたパロディ 「猫に胃カメラ」意味が分かりません。

         

 コロの散歩は、もうご機嫌。空は曇っていましたが、心は日本晴れです。それで、散歩の80%以上はフリーにしてやりました。理由が分からなくても「今日はなんで?」なんて聞くこともなく、喜んでコロコロと走るわ走るわ。ほとんどがたんぼ道ですから。天下はおれの走る道という感じで走りまくっていましたね。

 「どれどれ~、コロちゃん、胃カメラでもやってみようか~~」てなことも考えてしまいましたよ。


         

 キャベツに被せておいた不織布は、あの二日間にわたる強風にも負けずに、大丈夫でした。この 試験平和(試しのVさいん) が役に立ったんですね。布も破れもせずにいましたね。これは良かったですよ。


         

 こっちの、ニンニクのトンネルも不織布なのですが、びくともしていません。嬉しいですね。要らないと捨てられる運命だったのが、わが家に来ていろいろな使われ方をしています。 

                                                           


  補) 試験平和(試しのVサイン) 
              テストピース


 一日一茶

   雪ちらりちらり見事な月夜哉(つきよかな)

                            


ビニールハウス

2008年02月26日 | Weblog


 日本は、比較的小さな国なのに、ひょろ長い国なので、同じ日になのにお天気状況が色々なのには驚きます。ポカポカ陽気の所があると思えば、吹雪に荒れている所があったり、そうかと思うと、海水浴が出来るところがあったり、、、。

 もっとも、小さな国とは言っても、ヨーロッパの国々と比べると、そんなに小さくはないですね。まあまあの国ですよ。日本より大きな国は、数カ国しかありません。それから、大きすぎず小さすぎなので、政治的にも治めやすいのかなと思います。
                        images

 もう一つ、これは本当にラッキーなことなのですが、民族紛争がない国です。いま、世界の国々を見てみると、かなりの国で扮そうが起こっています。ちょっと大げさかもしれませんが、紛争の無い国が珍しいと言ってもいいくらいです。

                     

 強風に吹き寄せられた庭の木の葉を片付けるのに、2時間くらいかかってしまいました。広い平らなところぞ、ザッザッと掃くだけなら簡単ですが、地形が複雑なので、狭いところに入り込んだものなどを、掻き出したりしていたものですから。

 集まった量はリアカーにほぼ一台です。かなりの量でしょう。南側の庭に面した部分は、物置も含めてほぼ30mくらいあるので、けっこうな仕事量になってしまいました。春一番が私に残して行った仕事です。


       

 大風で、ビニールハウスがとうとう破けてしまいました。あちこち、修理してごまかしていたのですが、全体的にビニールが弱っていたんですね。いよいよ張り替えをしなくてはなりません。これでは、ビニール・ハウスじゃなくてボロ・ハウスです。ビニールがビリビリ・ハウスです。

 近所のハウスはもっとひどかったです。いく棟もやられていましたからね。私などたった一棟の被害ですから、、。一棟しか無いですからね。

       

 ハウスの中にはレタスが出来つつあります。いままで暖かかったのに、急に冷やされては枯れるかも知れませんね。天井がなくなると、霜がおりる可能性があります。ここまで来たのに霜がおりて枯れてしまっては大変。

       

 それなので、応急措置としてトンネルをかぶせました。幸い、既成のトンネルが二つあったものですから、それを繋いで長い列にしました。まるっきり外ではなく、屋根も8割は残っているし、脇のビニールもしっかりありますので、冷え方はやや緩和されるのではないかと思います。


                      

 民族紛争がないので、あちこちで爆破事件などが起こりにくいということになります。その分は安心して町を歩けます。でも、いつまでもこの状態が続いてくれると良いですが、油断しないようにしたいものです。よその国の人どうしの闘いが日本で起こったらたいへんですからね。


  一日一茶

    梅がゝや どなたがきても 欠茶碗(かけちゃわん)


またすごい風

2008年02月25日 | Weblog


 二日続きの強風とは驚きです。列車は、あちこちで運転停止状態だったとか。春二番とは言わないのでしょうか。一とか百とか千など、数字の付く語には、特定の数を表すということではなくて、最初とか数の多さなどを表現するためのものがありますからね。八百万なんてのは、複雑な表現ですよ。

 強い春先の風など吹く、こういうときにはひと雨あると良いんですよね。それが無い、、、  。
   
                   

 外にも出られないので、パソコンの前でレコードを聞きながら読書をし、コタツに入って読書をし、猫をなでてから畳に寝ころびテレビを見、コーヒーを飲み、あくびをし、何のために立ち上がったか忘れてしまって、座り直したり、そんなことばかりしていました。

        

 カバーは、この本の中の一作品「雨あがる」が映画になったのでこのようになっていますが、本のタイトルは「おごそかな渇き」です。短編集です。どの作品も、雑誌などに掲載された物です。しかし、どれもおもしろいものでした。江戸時代の人の心意気というものが感じられて愉快痛快でした。心があったかく感じられるものでもありました。まだ読んでいない方には、ぜひお勧めします。

 これ一冊を読み終えた午後4時半頃には、やっと風も静かになりました。「風あがる」じゃなくって「風鎮まる」という本は無いんですかね。


       


 読み疲れると、炬燵のある部屋から外をしばらく眺めていたりしました。玄関の格子の外はわずかしか見えませんが、遠くで小枝などがざわめいているのが見えました。室内は、一瞬強い風が吹くときにはその音が聞こえたりしますが、深閑とし雰囲気で落ち着いて読めましたね。途中で、居眠りも入りましたけど。

 泥棒がわが家に入ってきたんです。それを見つけて追いがけるのですが、足が動かないんですよ。「こら待てーーーっ。」と怒鳴っても声がでない。家族の者は、何も知らずに、あっちの一里も先の方にある部屋に居てテレビを見ている。と、焦っていたら足が動かないはずです。目が覚めたら、いつの間にか、かわいいミーちゃんが、どっかりと私のあぐらの上に乗っかっているではありませんか。暇だねー。


       

 ネギも残り少なくなってきましたね。寒さのためか、青いところは元気がありません。いったん掘って、ハウスの中などに伏せて置くと元気なままでいるのかも知れませんが、やったことが無いのでどうなるか分かりません。

 こんな日には、根ぶか汁なんてのが江戸っぽくて良いですね。ハンバーグだったりして、、、  。それもいいかな。私は大好きですからね。ハンバーグに根ぶか汁だったら最高ですね~ 。・・・ チャーハンだったりして、、、。  パッ 

 と、思っていたらサバのみそ煮でした。これなら最高ですね。何が出ても文句はないんですけどね。これはおいしかったッス。

        


                      

 おとといは、山掃除の仕上げでかなり働いたので、昨日はのんびりとしても悪いことないかなと自分に納得させました。それに大風ですから。

 外で働かないと、何か罪な気がしてなりません。やらないときには、都合のよい口実を考えだします。腰にわるいからとか、まあそれくらいしか理由は思いあたりませんけどね。   

 この後は木の葉集めとか竹きりがあるんですよ。これも良い運動になります。



 一日一茶

   梅咲いて 身のおろかさの 同(おなじ)也

 一日一茶  昨日の分

   鶏の 小首を曲る 夜寒哉


すごい風

2008年02月24日 | Weblog


 山掃除は終わりました。最後が枝が混んでいてたいへんでした。これで、ひと安心なのですが、また夏が来ると草が生い茂るんだろうなぁと思うと、、、、。この苦労は延々と続きます。もっとも、こういうのは苦労とは言わないですね。あとはホウキで掃いて、雑巾がけをすれば完了です。 冗談。

 昨日は、とても暖かな日だったのですが、午後の何時頃からでしょうか、いつの間にかうつらうつらと眠ってしまって、目が覚めたらすごい風でした。畑の土が舞い上がって、空気の色が黄色っぽくなっていました。

 これでは、ここばかりでなく、かなり吹き荒れている地域もあちこちにあるんだろうなと思いました。これから4月頃までは、ときどき強い風が吹き土埃が舞い上がる日が何日かあります。

       

 造成中の所はすごく土埃が舞い上がっていました。カメラを持ち出したときには、先が見えるようになっていましたが、一時は真っ黄色で、先の方の森は見えませんでした。


                      

 その風は一時は止みました。しかし、非常に強くはありませんが、また吹き出して、今朝になってもまだ吹いています。東京もひどい風だったとニュースでやっていました。春一番だとか。私のあたりでは、春十番くらいまで吹いてしまった感じです。

 今日の天気予報では、晴で曇りの印もついています。北西の風が強いと言っていますので、今日も風の日ですね。だめだこりゃ。出来れば、一雨降ってから風にして欲しいです。埃でしかたありませんよ。

       

 ソラ豆はさっぱり生長しません。緑色をしているし、生きているようですから、大丈夫だと思います。あまり期待をよせると、負担に感じてかわいそうですから、知らんぷりしていようと思っています。豆がいじけるとたいへんですしね。


       

 ときどき、焼き芋を焼いています。焼き餅は嫉妬ですが、焼き芋には特別な意味は無いようですね。餅には尻餅というのもありますね。もち肌なんてのは、聞いただけでいい感じです。芋肌なんてないですね。あったら何か荒れた肌のような感じがします。

 それで、この芋がバカでかいので、半分の長さに切って、それぞれを半分にして焼いたのだそうです。一つが4分の1の大きさということになります。今回は、特にうまく行って、飴のように焼き上がりました。おいしいね。あまり多くは食べられませんけれど。

                      
                      

       

 これは思い出のレコードです。およそ30年くらい前に買ったものです。中味はベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」です。演奏しているのはウィーン三羽がらすと言われたひとり、パウル・パゴダ・スコダというピアニストで、指揮者がヘルマン・シェルヘン、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の演奏です。原盤は Westminster です。ヘルマン・シェルヘンは癖のある演奏をするときがありましたが、私は好きな指揮者でした。

 これを、出始まったばかりのカセットのカーステレオにいれて、通勤の時にどれほど聞いたことでしょう。当事は¥1,800円前後のLPが、これは¥1,000でした。CDで出たら買おうと思っているのですが、もう録音が古いせいか、CD化されないようです。残念。30代の初めのころの、いろいろな若い思い出が一緒に貼り付いているレコードです。詳しくは分かりませんが、彼はその後、若いピアニストの指導に力を入れたとか。もう亡くなったと思います。

 
  ウィーン三羽烏(ピアニスト)

     パウル・パゴダ・スコダ
     イエルク・デムス
     フリードリヒ・グルダ

 音楽の好きでない方には迷惑な話でしょうが、またまた私の趣味の一部を披露してしまった次第です。



あと少し

2008年02月23日 | Weblog

 電子レンジは「ピーピー」という音を出しますが、「チン」と音を出すものがありました。それは、電子レンジの隣にあった オーブントースター というものです。これは原始的です。ダイヤル式のタイマーを、希望の時間に合わせると、ジリジリと少しずつバネで戻って、最後に「チン」となって終わりというものです。

 使い古されて、汚く古びていますが現役です。汚れていますので写真は公開できません。公開したとしてもモザイクにしなくてはなりません。


                      

 なんか、このごろ亀が好きになってしまって、、、、。急ぎの用事でもないかぎり、じっくりゆっくりやることにします。

          

 ブロッコリーです。小さいのは脇芽です。おいしいですね。ネギなどのような強い特徴はありませんし、味もこれと言って表現できないですが、おいしいです。それに緑も濃いですから、栄養がいかにもありそうな気がします。

 おいしさを表現する言葉というのは、あまりありませんね。自分でも何とか言おうと思うのですが、言えません。食べ歩きの番組を見ることがありますが、口に食べ物を持っていってから 「ん~~。」と言う人が多いですね。で、次の言葉を待っていると、ごく平凡な言葉。がつかり。

                     


        

 こんなのを読みました。上下二巻になっていますので、ちょっと時間がかかりました。これは 「燔祭」という短編小説の続きです。主人公は同じで超能力を持った女性ですが、最後に殺されてしまいます。こういうのを読んで、速読ができるようになれば良いなと思うのですが、なかなか速く読むのは難しいですね。速く読めれば沢山読めるんですけどね。こういうときは  でなくて  になりたいです。救急車ですね。即医者 ← 即ドック ← 速読。  

                      

 山仕事は山でしますが、やましい仕事ではありません。山師でもありません。裏山で仕事をしているから、うらやましい かな? あと1時間やれば終わるのだけど、と言うところで昨日は終わりにしました。

 若い頃、スキーによく行きましたが、ゲレンデの下の方に、もう一回滑りたいのを我慢しましょう、とかいう内容の立て札が立っていましたっけ。あと少しの先にはとんでもないことが待っているかも知れませんからね。 腰が心配です。後す腰(あと少し)ですね。

 イージス艦なみの大変なことだったらたいへんです。イージスというのは、意味の分からない言葉だと思っていたら、やっぱりよく分からないです。それはギリシャ神話に出てくるらしいのですが、30年も前に全巻読みましたが我慢して読んだせいか記憶にありません。

 イージスというのは、ゼウスとかアテナという神様が使う一種の防具だそうです。絵とか写真でも、これがそうだよと思って見たことないっす。


        

 この写真に意味はありません。汚いトタンに写った私の陰がおもしろかったので、撮している姿でなく自然な姿に写るようにと、あてずっぽうにシャッターを何度か切って撮ったものです。 まだ陰は薄くなっていませんか?

 一日一茶

   ゆで汁の けぶる垣根也(や) みぞれふる




やまそうじ

2008年02月22日 | Weblog




       

 昨夜の月です。月の筋は木の枝です。


       

 同じ方角、今朝の空模様です。今日は晴だというのですが、こんな空模様では、心配です。でも、今は異常乾燥していますので降っても良いかなと思いますが。それに、東の空の雲ですから、強い西風に押されてどこかに行ってしまうかも知れません。

                        

 いま畑にある野菜は品目が少ないので、あまり情報はありません。同じことの繰り返しになってしまいます。かと言ってゼロではないので、話題は少しずつ小出しできます。

 今は、畑より裏山の方に関心があります。あと少しで仕事が終わりになりそうなんです。でも、一日に1時間か2時間までしか、やらないことにしています。

 疲れる。だらけて怪我をする。ぎっくり腰になる可能性がある。というような 、体に気配りばかりしています。まだまだこれから先、2月があと一週間、3月があり、4月だって出来ますから。もっとも、その頃になると3月にはジャガイモを植えたりして、畑も待っていますけどね。

 が、まあとにかくゆっくりとやることにして、今日はまとめてその様子をご紹介します。

                        


         

 林は、およそ、2.5反歩(1反は10畝 1畝は30坪)あるいはそれ以上面積があったと思うのですが、大部分はこんな状態でした。若木より高く篠が立ち上がり、それに大小のツタが絡まり合い覆い被さっていました。これを刈り取って行くんです。

 こんな状態ですと、どこから手を付けて良いやら、ちょっと迷ってしまいます。しかたないので、体で押し分けていって隙間を作り、そこから刈り出します。

 もちろん、篠と混じってガマズミだのウメモドキだの野バラだの、名前の分からない灌木がそれこそ多く、しかも小指くらいの細さから竹箒の柄以上くらいの太さまで数多く生えています。


       

 それをガツンガツンと刈り払い機の刃にショックを受けながら、何とかこんな状態にしているところです。先の方まで見えるようになってきました。やや中央の茶色い葉っぱをつけているのがクヌギで、伐採したあとの株から自然に出たものです。若木なので、新芽に押し出されるまで枯れ葉が付いています。   

       

 こちらはまた別の角度から。杉の木は、家が丸見えになってしまうのを防ぐのと、風よけのために多少は残しました。もっときれいにすると、一見、公園のようになります。スズメバチに刺されたのはこのあたりです。

       

 こちらは、いま盛んに攻めているところです。奥の方は篠の藪ではなくて、主に樫の幼樹があるので緑に見えます。右手の方に、まだ篠の藪があるので、そちらを攻撃しています。

 いちばん奥の木立は サワラ というヒノキに似た木で、ヒノキよりはるかに柔らかみのあるものです。本物のヒノキは堅いので石檜(いしぴ)を言われ、サワラは柔らかいので糠檜(ぬかぴ)とも言われます。これは、欲しいという人がいるので、おそらく来年の冬には切りに来ると思います。自分で伐採する手間が省けるかなと思っています。

 あと数歩。少しずつ、すこしずつ。  歩。  歩。蝸歩です。 走ではありません。うそではありません。( うさぎ + 走る = 兎走 → うそ )

 仕事をやりすぎて  になっちゃうといけませんからね。  こんな気持ちもなくっちゃね。   


  一日一茶

    門々(かどかど)の 下駄の泥より 春立ちぬ



                      


外に出してやる

2008年02月21日 | Weblog


 電子レンジを使うということを、「 チンする 」 とよく言います。「 チンする 」は、まだ辞書には載らないですが、市民権を得たのと同然の言葉になりつつあるような気がします。音が語になる、一つの例ですね。擬音語といいましたっけ。

 しかし、わが家の電子レンジは 「 チン 」 とは鳴りません。「ピーピー」となります。でも、言葉としては 「 チンする 」 と言ってしまいます。「 ピーする  」とは言いませんね。皆さんの家のレンジは「チン」と鳴りますか? 

                    

 材木屋さんから電話がかかってきて、「端材があるよ。」というので、ドライブをしながらもらってきました。 

         

 この軽トラで田舎道をドライブするのは快適です。どこに行っても怪しまれないですね。乗用車ですと、「どこの怪しい人間が来たんだっぺが。」とばかり、じっと見られます。軽トラだと、それが無いんですよ。仲間だと思うんでしょうね。田舎に軽トラという風景は最高の組み合わせです。

 端材は、こんなにもらえます。きちんとまとめておいてくれて、フォークリフトで積んで、ロープで縛ってくれるという丁寧さ。中にはとても良い板があります。それは保存しておいて、後で何かに使います。

       

 寒いので、たき火をしながら荷台から下ろしました。このたき火の中には黒こげで、よく分かりませんが、大きな木の幹が入っています。端材は、とても良いつけ木になります。量がたくさんあるので、どんどん燃やしていくと、やがて太い木も燃え出します。

       

 せっかく鶏小屋の近くで作業をしているのですから、烏骨鶏を外に出してやりました。コーコー鳴きながら、あっちこっちでかき散らかして何かを食べていました。ときどき「コケコッコーときたもんだ」と盛んに鳴くときがあります。どういう時に鳴きたくなるのか、今度聞いてみようと思います。たぶん「ケッコウな気分の時にやるんだよ。」と言うような気がします。

       

 生ゴミを火にいれる前に、土の上にぶちまけて水を切っていたら、それを見つけて食べに来ました。かなり量が減りましたね。水が切れたので火にいれてしまいました。生ゴミは、いつも火にくべるか土に埋めるかどっちかで、ゴミには出しません。

       

 この鶏は、いつも一人でいます。誰にもいじめられもしないで居ます。餌を食べるときにも、他のは一斉に餌箱に飛びついていきますが、これは離れたところにボーっとしていつまでも居て、なかなか食べに来ません。なんとなく気になる鶏です。かわいいですよ。鶏だから、一人じゃなくって、ひ鶏です。「ひ」は「ひーふーみー」の「ひ」です。

                      

 ちょっとしたことなんですが、それでも何かをすると楽しいです。端材をもらいに行くには、国道をずっと走るわけですが、大きなトラックに後に付かれてしまうと、もうはあ大変。でもお互いさまですからね。彼等もあおったりはしません。

 海の見える大きな橋を渡ったり、100円ショップを横目でみながら通り過ぎたり、鉄道の高架をくぐったり、たんぼ道を走ったり、「 でえたらぼっち 」 の大きな像の下をチョロQのように走ったり、マクドナルドの臭いだけを無料で楽しんだり、乾燥芋干し場を過ぎて行ったりと、ホントに楽しいですよ。


  一日一茶

     かくれ家(が)や 歯のない口で 福は内


ウォーキング

2008年02月20日 | Weblog


 やっぱり晴の日はいいですね。気分が晴ればれします。それに、寒い時期ですから、太陽のあったかさがよ~~く分かりますから。

 「 冬は日蔭を歩き、夏は日向を歩け。」 という言葉があります。自分の弱さに立ち向かえと、自分を鍛えるための言葉なんでしょうが、やっぱり冬は日向を歩きたい。夏は日向など歩いたくらいなら、今の時代ですと熱中症を起こしてしまいますからね。ひっくり返って、泡を吹いてからでは遅い。カニじゃあるまいし。

                     


      

 すぐ近くを走っている高速道路の側道をウォーキングしました。高速道路を右の方に越えると、北西の風をまともに受けます。こっち側は暖かいんですよ。フェンスを乗り越えて、この斜面で日向ぼっこをしたいくらいです。前方は、常磐道、つまり東京方面につながる方向です。

 この高速は西に向かい、宇都宮~高崎に向かう予定です。北関東自動車道と言います。まだ建設中の所が多いです。でも、常磐道にはとっくにつながっていますので、全国どこに行くにも、とても便利です。

      

 こっちは、海のある方面です。この先15km内外のところの、ひたちなか市で終点になります。わが家は、この側道の見えなくなるくらい先を右に折れて、1kmくらいのところにあります。

   

 残念ですが、フェンスの内側にゴミを捨てる人がいます。ゴミなんてのは、集めに来る日に出せば良いのに。沢山あるなら、私など小分けにして残し、次回に袋のゆとりがあるときに、入れます。それでも余ったらその次にいれますね。そのために、ゴミの入った袋を入れる箱を端材を使って作ってあります。おいしそうな臭いがあったって、猫も犬もカラスも入れません。


      

 途中で、側道沿いに篠の藪を見つけました。豆の手にするのに、こんどはここに取りに来ればいいわけです。こんなものは、誰がとっても文句をいう人はいません。去年取りに行った所より、ここの方がずっと取りやすいです。

 突然ですが、ウォーキング版 未完成いろはかるた となります。

 い いろんな人に会うけれど美人一人もどうして来ない。
 ろ 論より歩け。
 は はっきり言って帰り道はくたびれる。
 に 憎まれっ子ゴミ捨てる。
 ほ 骨折り仕事でも健康第一。
 へ へんな道は通るべからず、変な人は避けて通れ。
 と 年寄りの冷や水、がんばりすぎるな。
 ち ちっとも減らない体重、体脂肪。
 り リッチな人は側道なんて歩かない。
 ぬ ぬくい道は休んでいつまでも日向ぼっこ。
 る ルートを変えてもやっぱり田舎。
 を をで始まる日本語なんて今は無いんだよ。

(途中略)

 ひ 人も歩けば篠も見つける。 これで、篠に結びつきました。     

  

  一日二茶

    ひいき目に 見てさえ寒き そぶりかな

    ひいき目に 見てさえ寒き 天窓哉(あたまかな)
    


羊頭狗肉

2008年02月19日 | Weblog


 おいしいものは良いですね。ありふれた食材を使って、おいしく作られた料理は大好きです。しかし、この頃は 「 バチが当たる 」のではないかと思われるような食べ方をする人がいます。バチは罰ですね。

 テレビで、よく大食いの番組がありますが、あれは良くないですね。あんな食べ方をする人は悪い人です。それを報道する人はもっと悪い。見る方にも責任があるかも知れませんが、普通の人はやろうと思っても出来ませんが、食べ物に対して、ありがたいという気持ちがないです。

                     


       

 たいした材料は入っていませんが、鍋です。ふたは塚原ト伝が、敵に襲われたときに使いたいというので、貸しちゃいました。← 談  です。身も蓋もあります。

 油揚げの中味は餅です。トロリと柔らかになっていて、とてもおいしいです。ハウスの中で大きくなったシュンギクも、緑が濃くて良い役割をしていました。このあと、うどんが入りました。


       

 米ぬかもらいを今年も再開しました。スーパーの駐車場に米つき場がありますが、糠は自由に持っていけと書いてあるので、遠慮せずにもらってくることにしています。箱もスーパーでくれるので、それに入れて持ってきます。他の人ももらうのか、無いときもありますが、まあそのへんはお互いにゆずりあいでしょうね。

 ぬかは、鶏の餌にします。それから、新たに今年も堆肥を作り始めますので、それに混ぜようと思っています。「糠に釘」なんていいますが、わが家では「糠に鶏(とり)」です。「ぬか喜び」は、喜びが無駄になることですが、わが家の「ぬか喜び」は、そのままの解釈で、糠が手には入って喜んでいるという意味です。「ぬかるなよ」という言葉は、私は「ぬかあるよ」という言葉に言い換えます。

 「糠にくぎ」は新しい解釈です。食品の偽装に関して「そこまでやるか」といういみになります。くぎ り方が変わりますが「糠肉偽」です。肉を偽装しても甲斐がないという意味です。羊頭狗肉という言葉がありますね。

 「豆に釘」という言葉もわが家にはあります。黒豆を煮るときに釘をいれます。真っ黒に煮上がります。


       


 大食いの番組の話の続きですが、この頃よく食べ物について 「命をいただく」と言うのが聞かれますが、正にその通りです。いたずらに、無理矢理腹に押し込むような食べ方は、「命を粗末にする」という意味になります。そういうことの為に、いたずらに命を奪われた動植物はたまらないでしょうね。

 報道の倫理委員会のような機関は、何とも言わないのでしょうか。そういうのを平気で放送していると、見ている側の倫理観が破壊されていくのではないかと思います。特に子供には良くないですね。


  一日一茶
      
    寒き夜や 我身をわれが 不寐番(ねずのばん)


しめなわつくり

2008年02月18日 | Weblog


 この頃の風はとびきり冷たいです。雪国を通ってきた風に違いありません。こんなに寒いなら、かえって雪になってしまった方があったかいのではないかと思っています。今朝など、ー7℃になっていました。晴のようです。

 今年度、と言っても昨年の11月24日から今年の11月23日までなのですが、私の住んでいる班( 組 と言っています)が鎮守様の祭の当番になっています。それで、昨日は大きなお祭りがありました。

 祈年祭(きねんさい)と言って、としごいの祭とも言いますが、所によっては春祭りに相当する祭がありました。年は良い年の年という意味がありますが、昔の言葉では 稲 を指しているそうです。つまり豊作を祈願するお祭りです。


       

 朝は8時に公民館に集合して、簡単な打ち合わせと役割分担を決めてから神社に行き、先ずは幟を立てる作業です。前回は6年前ですので、忘れてしまっているので、ああでもない、こうでもない、と言いながらなんとか立てようとしています。みんな忘れっぽいですからね。こういう時には、忘れるのは私だけじゃないと確認できますから、安心できます。

 はた(旗?)で見ていると。誰もが本気の顔をしているのですごいですよ。下手なことをいったら、殺されるかも、、、?   そんなことはない。

 誰もが親方になったつもりですから、意見がかち合ってしまってなかなか作業がすすみません。「 船頭多くして 船 山に登る 」です。それだけ皆さんは一生懸命なんですね。

 むかし英語のテストで、アマゾン川の源流を探していったら、「アンデス山脈の中腹の泉であることが分かった。」という英文を、見事な答えを出したのがいましたよ。

   「 彼等はアンデス山脈を 船  で登った。 」  ~

 船もおだてりゃ山登りだ~こりゃー。こんな迷答には ◎ を三つくらいやりたいですね。


       

 何とか片方が立てられました。旗竿が重いので、立てるのはものすごく大変です。途中でボキッと折れたりしたら、それこそ大けがをします。幟も大きくて、5mくらいあります。

       

 公民館にもどって、こんどは注連縄(しめなわ)つくりです。こんなに手が多いのは、横綱型の注連縄を作っているからです。親方の指導で、数人がかりで三本の束ねた藁を均等にねじっていきます。

       

 一方、こちらは普通の縄タイプの注連縄作りの班。数多くのディスカッションがなされながら仕事が進んでいきます。細木さんがどうのこうのとか、叶姉妹 大好き  なんていう、他愛もない話ばかりでしたけど、、、。班内の全員が協力しての作業は見ていても気持ちが良いものです。大半が、何十年か前に子供会で遊んだ連中ですからね。

       

 横綱タイプの注連縄ができました。なかなかのものです。今は注連縄を作るのが難しくなってきました。まず、ワラを確保するのがたいへんです。それから、このタイプの注連縄は作るのがとてもたいへんで、だんだん次の世代に伝わらなくなりつつあります。今回、親方になった人は注連縄を作っている業者のところに講習を受けにいって、覚えて来たそうです。すごく熱心。買えば3万円するそうです。

 このあとは、神社でかしこまってお祭りがあり、そのあとは宴会となったのですが、この作業までが何と言っても大変でした。それだけに、皆さんが仲良く協力して行うということで、お祭りも和やかにできました。めでたし、めでたし。


 一日一茶

   夕風や 社の氷柱(つらら) 灯のうつる


お試しセット

2008年02月17日 | Weblog

 かゆいところに手が届く、という言い方がありますが、この頃はいろいろな分野で、そういう現象が見られます。だいたい、24時間営業の店なんてのは、学生の頃はぜひあって欲しい店だったのですが、水戸にはたった2軒しかありませんでした。それも、ダサイ店だったので、利用したことは1~2度程度だったですね。

 これも、かゆいところに手が届くの類でしょうか。ジャガイモのお試しセットというのを見つけたので買ってみました。あけみ蝶さん が買ったものと同じタイプだろうと思います。面白い企画だなと思っていましたが、たまたまホームセンターに行ったら売っていたので、迷わず買いました。

       

 こういう感じで、説明書もパウチされて付いています。品種名、特徴、調理適正、肉色、煮崩れ、肉質、生育(早生、中生など)、写真が表になっています。

       

 一つひとつに鉢巻きがあり、名前がかいてあります。13種類だそうです。男爵、メークイン、ワセシロ、キタアカリ、トヨシロ、とうや、アンデス赤、ホッカイコガネ、キタムラサキ、スタールビー、インカのめざめ、シンシア、十勝こがね です。

       

 キタアカリとインカのめざめは、すでに買ってあるので、実質私にとっては11種です。知らない品種がたくさんあるので、そちらに興味が大いにあります。季節が来るのが大いに楽しみです。

 それにしても、今はいろいろなものがあるものですね。  です。

 どこに何を植えたか、しっかり立て札を立てて置かないと分からなくなってしまいますね。そういうのは、私の弱点なんです。なんだか、心配になってきました。チンプンカンプンになってしまい、どれがどれだか分からなくなってしまい、「まあ、いいか。」なんてなりそうな、悪い悪寒、いや間違い。やかんでもなし熱燗でもない、予感。


  一日一茶

     外は雪 内は煤(すす)ぶる 栖(すみか)かな
       

冷やしんす

2008年02月16日 | Weblog


 安かろう悪かろうという言葉がありますが、安かろう毒だろうという言葉が生まれそうな今日この頃。安心して食べられる食材、ということを宣言して売るならば、多少は高くても良いではないかと思うのですが。売り上げの伸びが気になる、つまり会社の生長が第一義となると、そりゃ無理も生じるということになりますね。

                     

 他人(ひと)のことをとやかく言うものではありませんから、それ以上は言わない。見ざる聞かざる言わざる。私の場合は徹底したそんな「ざる」は出来ませんので、見笊、言わ笊、聞か笊ですね。その笊もかなり目の粗い笊です。ふさいだ手のつもりも、指の間にかなり隙間が開いているということです。これじゃぁ、いくつになっても立派な人間になれないですね。


        


 ホームセンターに行ったときに、衝動買いをしてしまったヒアシンスです。左が青で右が赤です。蕾ができているので、もう食べられるかも。おっと、あぶない。それはブロッコリーでした。こっちは花を楽しむものでした。冷やしんす。

       

 水菜がまた少し生長しました。あと少ししたら、サラダか鍋ですね。しかし、この頃のこの冷え込みで、少~~しばかり、延び方が鈍って居る様子です。まあ、あわてずに待っています。まだ黄色がかっていますから、これが濃い緑色にならないと本物になりませんね。


       

 もいもいさん が、2月12日のブログで 「 富山の劇場で映画を見た 」 と書いていますが、北関東に住んでいる私の目から見ると、「 おや? 」と思いました。飛騨と富山が、なかなか結び付かないのです。

 なるほど、地図で見ると、高山 ー 富山間は、道が曲がっている誤差は無視して見てみると60kmくらいなのでしょうか。高山から岐阜市までは、その倍くらいの道のりがあるんですね。いくつかある峠の険しさの具合は、道の曲がり具合の細かさからしか分かりませんが、富山市までは、それほど厳しくは無いように見えます。

 以前、新潟県の上越市で上杉謙信の城跡を見たときに、なるほどと思ったことがありました。どうして、謙信は村上氏の応援に、はるばる長野まで行ったのか。理由はいくつもあるでしょうが、一つには武田信玄より、はるかに簡単に行けたこともあったのではないかと思いました。距離がずっと近くて、一本道なんですね。上越市から長野方面を考えて見て分かりました。遠くにいて考えると、とんだ思い違いを起こしていることがよくあるものです。

 そう言えば、オーストラリアには、南半球が上に描いてある地図がありましたっけ。彼等の目から見た世界は。北半球の人間の目からは微妙に違うように見えるのでしょうか。

 それは、地図のことばかりでなくて、立場の違いにより、とんだ誤解をしていることがよくあります。自分の置かれているところからのみ考えることにより、とんだ思い違いをするという危険性があるという一つの証拠にもなると思いました。


  一日一茶

    手拭い(てぬぐい)の ねぢったまゝの 氷哉(こおりかな)
 


小さい春みつけた

2008年02月15日 | Weblog

 まだ真っ暗なので、空の様子は分かりませんが、予報では晴れのようです。風は「西の風後北西の風やや強く」とありますので、昨日くらいなのかなと思います。きのうの風は冷たかった。

 今どき、多少の風があるのは当たり前のことです。あまり強くはありませんが、風は吹きます。それも北西の、とびっきり冷たい風です。雪国の方から吹いてくるんでしょう。雪ぐにでは雪が多くて困っていることを考えると、多少の冷たさは我慢しなくては申し訳ありません。雪がある不自由さから解放されているだけでも、楽をしていると思えば気が楽になり、山仕事にも励みがでます。

 寒さを、そのまま暖かさに変換できると良いですね。そんなバカな、と思うかも知れませんが、やがて出来るようになるかも。ものごとには、絶対不可能だということもあるでしょうから、絶対に出来ないかもしれませんけど。

 熱源を利用して電気を起こし、氷を作るということを考えると逆のことも出来るかも。雪を地下室に埋めて、夏の冷房にするという手はすでに使われているそうですが、普及には至っていないみたいです。夏の暑くなった水を地下に埋めて、冬に暖房に使うことも可能でしょうね。問題は費用でしょうね。

                      

 「誰かさんが小さい秋見つけた。」という歌がありますが、あの「誰か」というのは誰ですか。不特定な人なのか、特定の人を指して言っているのでしょうか。

 私の場合は「誰かさんが小さい を見つけた。」です。この場合の「誰か」は私です。わが家の小さい春を見つけてしまいました。それは、これだーーっ。    いちおう感激   
     

       

 まだ小さいので小さい春なのですが、このフキノトウはキウィの棚の下に出ていました。草地の所にも一つ出ていました。いよいよ春の兆しですね。

 それにしても、立春というのは本当ですね。「暦の上では、、、」なんて言っていますが、そんなことはともかくやっぱり春が来ているんですよ。芽が出るのは春ですからね。いくつか説のある中で、「芽が張る」から春なのだという説があるくらいですからね。ところで「暦の下」っていう言い方はなぜか無いですね。


        

 しかししかし、朝の池の氷はこんなに張っているのです。まだまだ寒い日は続きます。風は身を切るように冷たいです。まだまだ寒さはたくさん残っています。油断大敵氷カチカチです。


       

 不織布をめくってみたら、にんにくはこんな感じでした。まあ、普通でしょうか。葉の先端が変色しているのが気になりますが、まあ、全体が枯れているわけでもないし、大丈夫かな? いや大丈夫だと、都合の良い方に思いこむことにしました。今はまさににんにくも我慢の時です。忍の時です。「忍」に「苦」 ですね。

                      

 人間はいろいろなことを考えますが、それを実用のレベルに持っていくのは大変なことですね。しかし、少しずつ実用できるようになってくるからすごいです。すごいですが、ロボットのようにどんどん技術が進んで行くと、漫画とか映画などでよく見られる、心配なことも起こってきますね。起こったら大変です。漫画や映画のようには絶対に行かないと思います。

 地球規模に危機が訪れるということは、これからは大いにあり得ますね。その時に、失恋などして「この世などなくなってしまえばいいんだーっ。」と思った人が、たまたま禁断のスイッチの押し方を知っていたら、本当にこの世が無くなってしまいすからね。

 あり得ないことを一生懸命心配するのを杞憂というのだそうですが、この心配は、はたして杞憂でしょうか。そんなことより、今は下の句の方が切実です。


  一日一茶

    うしろから 寒が入る也 壁の穴