こしと言っても

2008年01月20日 | Weblog

 寒いですね。言ってもあったかくなるわけないんですけどね。ついつい。

 寒さとは別な話になります。平日は勤めに行っているのに、休みの日まで私に外で働かれても落ち着かないでしょうから、ゆっくりしていました。夏の忙しい時期ならまだしも、冬でそんなに忙しくないわけですからね。

 私も骨休めが欲しいところです。腰もすこしピリッと、氷が割れる時に筋が入るみたいな、あの筋のような痛みを先ほどごくわずかに感じました。危ない。やばい。

     いい湯だな~~                          

 でも、腰に関係ない仕事はしましたよ。風呂の照明が、なんとなく薄暗くなり、なんか大げさに言いますと、お化け屋敷のお風呂場のようになってしたっていたことに、はっと気が付きました。それで新しいのを買ってきてくっつけたら、いやはや明るいこと。

 「やばい」という言葉は上品な言葉ではありませんね。女の子が使うのを見るとガクッと来ます。なんか、薄汚れた人生を送ってきたように思われてならない。やっぱりこれは男の言葉なのではないかと思うのですが、皆さんはどう感じますか。

 語源はわからないそうです。「いや危ない」から来ているのではないかと説明しているものが多いようです。

                     ギクッとこないでね。


    

 木の葉の山です。栗畑の木の葉は大部分を隣でさらって持っていったのですが、それでもまだあります。それを集めて堆肥の準備です。まだまだ積み上げます。腐ると少なくなりますから、出来るだけ大きな山にしておくのがいいです。

 かと言っても、大きすぎると雨水がしみこみにくくなりますから、その時には山を二つにします。そして、腐って少なくなったら一つにまとめます。

 先日、鶏小屋を掃除した時に、たくさんの鶏糞もいれておきました。それでまだ足りないかなと思ったら、買ってきた鶏糞を足します。豚糞や牛糞を入れようかどうか迷っています。迷う理由は、見たこともないような雑草がたくさん出るようになってしまうからです。


    

 庭を改装したときに、庭師さんがビオトープを作ってくれたのですが、自然の木を植えるのが良いでしょうと、一本のクヌギの木を裏山から掘ってきて植えてくれました。真夏の午後になると、ちょうど日蔭になって池の水温が上がるのを防いでくれます。

 いつまでも茶色の枯れ葉が付いているのは、木が若い証拠です。古くなると、すぐに葉を落とすようになります。この枯れ葉は、春になって新芽が膨らみ古い葉をはじき出すまで付いています。いくつかドングリができて下に落ちています。これを蒔こうかなと思っています。

    

 芽がでて、数年経ったら山に移植します。クヌギのドングリは太っています。樫や楢は細長いです。


       


 腰と言えば越し。古紙。ごしごし。越地吹雪。三越。のどごし。玉の輿。少し。引っ越し。いろいろありますが、越の国は北陸。コシヒカリは越の国原産の米。

 どうして越前・越中・越後とあるのに、間に入って加賀とか能登があるのか疑問に思っていました。ら、どうやら加賀と能登は西暦700年代つまり奈良時代に越の国から独立したのだそうです。理由は私には分かりません。いろいろ事情があったんでしょう。当たり前だ。そう、後にその前田氏が加賀の国を治めることになるんですね。

 そんなことを考えながら、越の、いや間違い、腰の痛みを感じないようにしています。まだ一度軽く来ただけで大丈夫ですけどね。