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おいしいものを得るには

2014年04月30日 | Weblog


せっかくの連休ですが、昨夜からずっと雨になりました。もっとも、ゴールデンウィークとは言え、特に間に平日が入る今年など、誰も休んでいるわけではなく、近所を見ると出勤している人は多いようです。儲かって笑いが止まらなくてしかたがないという、あのバブルの時期ならまだしも、今は景気が上向きになっているとは言われていますが、さっぱり実感が湧かないと言う人が圧倒的に多いわけですから、まだまだ努力が必要です。

連休は嬉しいですが、それより給料が上がって欲しいというのが本音だと思います。もっとも、上がらないならせめて休みをくれという人も多いかも知れませんが。

 

「水戸の梅」と言う、餡玉を紫蘇でくるんだ和菓子が水戸にはありますが、その中でも特においしいという和菓子屋さんを教えてもらったので買ってきました。確かにおいしいです。それぞれ、どこでも作ると頃により個性があり、おいしいのですが。

ついでに、季節ですのでかしわ餅も買ってきました。甘いものを摂りすぎないように注意しなければなりませんから、一度には食べませんが。

 

裏山は、夏の間にジャングルのように雑草が生い茂りますが、冬になりスズメバチが飛ばない時期になってから、きれいに刈り取ります。すると春になってから、このようにワラビがあちこちに顔をだします。私の所だけでは食べきれないですので、そのままにしておいたところ、先日お客さんが来て珍しいとたくさん取っていきました。自然に生えてきたものですが、喜ばれてとても嬉しいです。来年もぜひ忘れずにお出でください。

ワラビは取ってもまた出てきますが、旬である今取るのが一番です。だんだん遅い時期になると、出てすぐに葉になってしまったり硬くなります。やっぱり何でも時期というものがあるものです。

 
 

コゴミもたくさんでています。あく抜きの必要が無いと聞いていますが、食べたことが無いので人には勧めるわけにはいきません。経験のある人なら、いくらでもどうぞと言えるのですが。

 

桃の花は盛りを過ぎました。桃の苗は二本植えてありますが、買ってきて失敗しました。

理由は、あちこちに果樹を植えてしまうと、果樹というように樹ですので大きくなります。たとえ小ぶりに育てたとしても、熟する前に鳥の対策を考えなければなりません。そうなると、ネットが一番なのですが、そのほかには袋で覆うとかしなければなりません。

いずれにせよ、手間が大変なことになります。おいしい果物が出来ることは良いのですが、おいしく食べるには何もせずには得られないということです。不精者の私には一応は失敗というほかありません。

 
        七重八重花は咲けども山吹の 実のひとつだに無きぞ悲しき

鳥対策に一番良いのは、例えばゴルフ練習場で見られるように、ネットで全部周りを囲ってしまうことでしょうか。その中に、やれサクランボだの、葡萄やら桃やらなにやら全部の木を植えておけば良いのでしょうが、まああれほど大きくなくて結構とは言っても相当な費用がかかりますから、それはちょっと残念ですが私には出来ないことです。

何ごともおいしいものを得るには、そう簡単にはいかないということでしょうか。それはまた、人生訓にも通じるところがあるように思います。


   廃 句

      いい話  そう簡単には  あるものか
      いい話  そんなもの無しと 心得よ    近頃危ないですからね
      いい話  話の世界には ありますよ
      七重八重 雨に濡れても 目に痛し
      行く末は 鳥の犠牲か  桃の花      そんなこと無いない



体を動かす方法を考えて

2014年04月29日 | Weblog


電動アシスト自転車は、とても楽です。と言っても、あくまでも自転車ですから、バイクのように乗ったままというわけには行かず、ペダルは踏まなければなりません。

今日は、ちょっと試し乗りに数キロ走ってみました。風が強い日で、向かい風を受けることがありましたが、長い距離にわたって向かい風の中で走るのも楽です。坂道だけとは限らないものだと実感しました。

電動のスイッチを切ると普通の自転車になります。ただし、装置が余計に付いていますので、その分だけ少しペダルは重いです。追い風ならスイッチを切って走るのは楽です。また、運動のために余計に負荷をかけたいなら、必要の無い所では電源は切って走った方が良いかと思います。

 
                         こぼれた実から発芽した蕎麦の苗

今までは、歩くだけだったのですが、家からですとコースが限られ、とっくに飽きていたので、場所を変えて歩くには車でどこかに行って駐め、そこから歩くということを気晴らしを兼ねてやっていましたが、体を使う方法にもう一つ手が加わったということになります。

 
                        紅葉の種がどこからか飛んで来たのでしょうか

自転車に乗っていると、車では見ない見えない所が不思議なほど見えてくるのです。こんなところに、こういう会社があったのか、この露地は車では走れないな、行ってみようか、などちょっとした探検みたいな気分も味わえるものです。

まあ、今は物珍しさも手伝っているのでしょうから、楽しいことばかりなのかも知れません。 「 いつかは飽きるぞ 」 と言われそうな気がしますが、それは人間ですから飽きる時は来るはずです。それを出来るだけ先延ばしにしたいと思います。問題は冬ですね。

 
              ブドウ   これは実のように見えますが花になる蕾だと思います

西日本の方では雨だとか言う話ですが、こちらはもうずいぶん降っていませんので、そうとう乾いています。風の強い今日などは土が舞い上がるのではないかと心配です。

夜のうちだけでも、そっと降ってくれると良いのですが。でも、連休が始まったので心情的には降らせたくはないですが。

 

ショッピング・センターでは、こんなコンサートをやっていました。ウォーキングの途中でしたので、短時間しか居ませんでしたが、いろいろなバンドが入れ替わって出ていたようです。

一方この反対側ではフリーマーケットをやっていて、若い人たちで賑わっていました。いろいろな所でいろいろなことが行われる連休。楽しいですね。


ヴィヴァルディ 『四季』

2014年04月28日 | Weblog


ゴールデン・ウィークは10連休の所もあるとか。そうなると、何をやるのか、どこに行くのか、用意周到、完全に予定は決まっている人もいれば、「さて、どうやって過ごそうか」と悩んでいる人もいたり、仕事がいそがしくてまだ考えていない、これから何処に行こうか何をやろうか考えます、なんて言う人も・・・。

 

先ほど、久しぶりにヴィヴァルディの『四季』を聞いてみようかなと思ってCDを引っ張り出してみたら、これくらいありました。数十年にわたって彼のを聞いてみたい、あのオーケストラのを聞いたみたいなと思っていたら、これだけ溜まってしまいました。

コレクターではないので、全部集めてやる、なんていう気持ちはさらさらありませんが、聞いてきた結果こうなったということです。

CDの長所であり欠点は、腐ってなくならない、レコードのように雑音が出るようになって劣化しないと言うことです。たまに、プラスチックの中に埋め込んで信号を記録してある薄いアルミ箔が酸化してボロボロになることがありますが、よほど管理が悪くなければ、そうは劣化しません。

                          

最初に買ったのはこれです。イ・ムジチというイタリアの合奏団のレコードでした。ジャケットに中世ヨーロッパの春夏秋冬の絵が描いてあります。あちらでも、日本のように是が春だ、秋だというような程では無いにしてみ、言葉にもあるように春夏秋冬と一応は四季という観念はあるようです。   

 

この音楽を聴き直してみたいと思ったのは、先日、私のフルートの先生のコンサートで、この曲のうちの「春」をフルートで演奏してくれたからです。すばらしい演奏でした。それをきっかけに、「 そう言えば、しばらくこの曲は聞いていないな。久しぶりに・・・」 と思いました。

   
              

クリスマス・ローズはまだ元気に咲いています。いつまでも咲いているのはきれいで結構なことなのですが、何で今ごろクリスマスなんですか。他に命名の仕様があったと思うのですが。

 

ジャガ芋は、多少遅いのもありますが、全部の芽が出たようです。ゴールデンウィークですから、もうそろそろ霜の心配からは解放されるかなと思いますが、連休後に霜が降りたこともありますので、まだ少しの用心は必要かなと思います。


    廃 句

       毎日が 日曜日のひと 何をする?       世の中は連休なのですが
       この時期に ひとつ仕事でも しようかな
       田の中の ドライブの季節 やってきた     トラクター
       辞書作り 本当にたいへん 『舟を編む』
       ウド・ワラビ タラにゼンマイ コゴミかな    山菜豊富 

 


春いろいろ

2014年04月27日 | Weblog


希薄な中身にもかかわらず、アクセスして読んでいただきましてありがとうございます。人、それぞれ感ずるところはありますが、それをどうやって外に出すかに関しては色々と迷うことがあります。
迷ったら出さないことにしています。途中まで書いても、こりゃ言いすぎた、まずいかなと思ったら全部削除します。何度もそういうことは、これまでにやってきました。

私のブログなどは値しないことですが、書くことは一つの 『「 腹ふくるる業 」 の解消 』 でもあります。難しく言うとカタルシスです。つまり言うことによって気持ちがスッキリするって言うやつです。ですので、いったん書いて消しても結構カタルシス効果はあります。

 
                        買ってしまった電動アシスト自転車

電動アシスト自転車は、とても楽です。かなりの急坂もスイスイと降りずに乗って上れます。
この春の爽やかなそよ風の中、スイスイと自転車は気持ちがとっても良いです。ジリジリと照りつける夏とか手足がかじかみ痛いほど寒い冬は向かないでしょうけど。

 

梅の実がはっきりしてきました。問題はこれからです。何の都合があってなのか、自分で摘果するのか、これから実が落ちるのです。栗なども栗自身が自分で摘果します。梅もそうなのかも知れません。

 
 

サヤエンドウは白い花と赤い花。味に違いがあるじゃなし。いや、ビミョーな違いがあるのかも知れません。
そんなビミョーなものは関心がないですね。豆は豆だ、と。かなりいい加減な性質なんですね。がさつで困ったものだ。


     廃 句

        雉が鳴く 現代(いま)なら鳴いても 撃たれまい
        そう言えば 人もしゃべらにゃ 気が滅入る
        おしゃべりが 生き甲斐な人 あっちにもこっちにも
        そんな人 隣りに座っちゃったら 百年目
        身はここに 心は青空 スーイスイ       春の青空きれいですね



あって当たり前のもの

2014年04月26日 | Weblog


空気や水はあって当たり前のこと。普段は有難いとは思わないものです。それと同じように、安全もそうですし、互いに全然性質は違いますが、毎日の食事、お金、健康などなど、ごくごくあって当然のようなもの。それらが突然バランスを崩したら、それこそ大変なパニックになります。

 
                                       ニ ラ

今朝、テレビを見ていたらJR福知山線の脱線事故のことをやっていました。2005年(平成17年)4月25日だったそうです。107人が亡くなりました。その時に電車に乗っていたある女性は、今でも電車に乗るのが怖ろしく、車内では音楽を聞いて電車の音を聞かないようにしているとか、あるいは他の人が亡くなっているのに、自分は生きていて良いのだろうか等々、複雑な心境を語っていました。その恐ろしさは、本人でなければなかなか理解できないものでしょう。

当時、仕事の能率しか頭に無かった会社を経営している人たちは、彼女のその気持ちをどれくらい理解できるでしょうか。また、理解しようと努めているでしょうか。

 

ニラは、食べる為に刈り取ると、その後から柔らかい芽が出て、それを繰り返すことがでる便利な野菜です。

  

午前中、独り暮らしをしている老人の訪問に行くときに、自転車で田んぼ道を通っていると、山の麓の小川の底から清水が湧いていました。動画ならよく分かるのですが、写真では分かりにくいので赤い〇で囲ってみました。モリモリと尽きることが無く水が湧いていました。

子どものころは、この田んぼに比較的近い所に住んでいて、よく親が田の仕事をするときに付いてきて、このあたりで遊んでいましたので、とても懐かしく思い、しばらく眺めていました。

 
                                    ムベの花


     廃 句

        春が来て 雲雀が空に 雉は林に
        子供らと 元気争う  鯉のぼり
        寒いかと 厚着で出かけた ウォーキング      汗たらたら
        この花の 一割で良いから 冬に咲け
        菜の花の 林の中の 子どもたち


 


人の噂も七十五日

2014年04月25日 | Weblog


マスコミもいいかげんなもので、人々が新鮮で無いと思えるようなニュースは、どんなに以前に騒いでいたことでも、ピタッと報道を止めてしまいます。もっとも、何時までも幾つもの事件を報道したいたら、新聞のページだって限られている中での編集でしょうから、溢れてしまいます。テレビのニュースの時間も、どんどん増えていくことになると思います。

韓国の沈没船のニュースにかける割合はかなり減ってきました。小保方さんの話などは、ほとんど聞かれなくなってきています。ましてや、あの盲目の偽作曲家の話など、もう忘れてしまいそうなほど記憶の外側へと移りつつあります。

 

営業でやっていく会社は、やっぱり売れないニュースは報道したくありません。が、その中でしっかりと長くながく報道し続けているものもあります。たとえば、朝日新聞の『プロメテウスの罠』というものはもう、どれくらいになるか数えてもいませんが、あの原発事故があって間もなく始まったのですから、三年くらい続いています。根性のあるものだなと思っています。

 

ビニールハウスが雪のために潰されたので、壊した鉄骨をある農家からもらってきたというのを、もらってきました。そういうのはどう言えば良いのでしょうか。「またもらい」? 本などを借りた物をさらに貸すことを「また貸し」と言いますけど。たぶん、この場合は、もう言葉が無いのかも知れません。いや探せばあるかも知れませんけど、私にはどういう言葉があるのか分かりません。

それはともかく、ハウスの鉄骨は元々カーブしている部分もあります。そう言う物も含めて豆の手などに利用しようとするには、一応は真っ直ぐとまでは行かなくても棒状にしたいわけです。それで、木の股を使ってこのようにし、この写真の場合は手前をもち右のほうに曲げていくと、比較的直線に近い状態になります。

 

春キャベツです。モンシロチョウが寒くて活動できなかった時期の苗でしたから、食べられて網のような葉っぱになってしまうというような被害はでませんでした。

春のものは甘みが強いのだとか。天ぷらが合うとテレビでやっていました。

 
                                  カラタチの花

しかしまあ、次からつぎへと色々なことが起こるものです。それだけ世の中は広くて大きく、かつ複雑なのでしょうね。

広くて大きく複雑でも良いですから、ぜひぜひ悲惨な出来事などは起こらないようにしていかなければなりません。極めて単純で馬鹿にされそうな言い方ですが、みんなが笑顔で楽しく幸せに毎日を送ることができるようであって欲しいと思います。

それには、あまりにも過度な我欲は減らし、我慢をし、感情をコントロールし、上手に不満を消化あるいは他のものに転化してしまったりと、個人の努力が必要です。それがいわゆる頑張るということであると思います。


 


何もしない日

2014年04月24日 | Weblog


何もしないで過ごすにはもったいない程よい日でしたが、午前中ちょっと出かけて、とある会議に参加して頭を使ったくらいで、あとは何も特にしなかったです。

 

出先に行く途中にあった工場跡。何とも言えぬ寂(さ)びが錆にでていました。この錆がなければ、棄てられた工場の感じが半減しますね。

 

夏にキャンプでもやりたいような林がありました。それにしてもきれいに管理されている林です。

 

西の空の表情が面白いので撮って見ました。

 

山芋の種。山芋はどういう訳か、こういう形の種と、ムカゴと言ってパチンコ玉くらいのいびつな焦げ茶色した、ムカゴと呼ばれる種芋の二種類出来ます。何か原因があって二種類できるのでしょうね。

私はまだこれが山芋の種とは言い切れないのですが、これもそうなのだと言う人がいます。確かに蔓をみると山芋の蔓の先にこれができているようなので、確かにそうなのでしょうね。

子どものころに、鼻にくっつけて遊びませんでしたか。

とっても良い日には、「何もしないでもったいない」と思うのではなく、「何もしない良い日だった」、つまりたっぷりと良い日を堪能したと思うのが良いのかも知れません。現役時代には、仕事をしなければなりませんから、そういうことなど言っていられませんでしたけど。




空に泳ぐや鯉のぼり

2014年04月23日 | Weblog


日の出が早くなったせいか、早く目が覚めてしまうので、昼間は眠くてしかたありません。何か作業をしているときは眠くないのですが、昼休みなど座ってテレビを見ていると、いつの間にか眠っています。

 

保育園の鯉のぼりは元気です。今は昼寝をしているので、一人も見当たりませんが、小っちゃな子供はもっと元気です。

先ほどは 「屋根より高いこいのぼり~」 なんて言う歌声が聞こえてきました。鯉のぼりなんて、誰が考え出したのでしょうかね。面白い発想ですね。すごい発想です。水の中を泳ぐ鯉が空で泳ぐなんて。

外人が初めて見たら何と思うでしょうか。彼らの表情を見てみたいものです。

 
                                 揚げ出し豆腐

さて、韓国のフェリーの沈没は本当に大変なことになってしまいました。もう一週間が経ってしまったそうです。

毎日のように運行され、何も危険なことが無かったということは、やっぱりどこかに気の緩みが出ていたのでしょうか。何でもそうです。「どうせ、大丈夫なんだから・・・」と言う毎日は、大丈夫で無くなることもあると言うことを忘れさせてしまうのです。

荷物を積み過ぎていたからか、機械が不調であったからなのか、航路の変更のせいなのか、慣れない人に運転をさせたからなのか・・・。原因は一つなのか、複数なのか。いずれにせよ、人命を預かる人は慎重であって欲しいものです。当たり前のことですが。でも、その当たり前が毀れたということですね。

前途あるはずの高校生の行方不明者が多いそうです。まことに気の毒でなりません。

 

スミレの種がこぼれては増えていって、今では草地にこのように花がひろがってきています。このスミレはかわいくて増えるし、きれいですから良いなと思っています。私の土地のあちこちに咲いています。けっこう強いですね。

荒々しい草の間に、ちょこちょこと分け入っては群れてきれいに可愛く咲いている、このスミレは大好きです。







いつまでも

2014年04月22日 | Weblog


ニンジンをたくさんもらった時には、ジュースにして飲みます。リンゴも一緒にすると味にこくがでておいしいです。

NHKのテレビで見たのですが、これから春キャベツが取れますが、この春キャベツの天ぷらはおいしいそうです。甘みがあるそうです。もちろん、他の野菜も一緒にして揚げてるのも良いそうです。

 

田圃のクロかけをやっている人がいました。これなら楽ですね。もちろん、慣れつまり技術が必要でしょうけど。ここは、元からの田んぼでは無く、畑だったところなので、まだ土は乾いているので、水を加えながら行うのだとか。

昔は、田んぼに入り足を濡らして、いちいち鍬で土を持ち上げてペタペタと鏝(こて)のように鍬をつかってクロかけをしたものです。何千回もの繰り返しの作業だったわけです。その点便利になったのですが、楽になった分、出費も多くなったことでしょう。

 
                                    ゼンマイ

今日はウォーキングの途中で、とある町工場の所を通ったら呼び止められ、お茶をごちそうになりました。

この頃はコースが変わり、その工場の近くを通るのは本当に久しぶりでした。楽しい話がいろいろとあり楽しいウォーキングになりました。たまに、そういうことも良いものですね。

 

裏山にはしょっちゅう雉がきています。オスはきれいです。よく鳴きます。確かに「鳴かずば撃たれまい」とは良く言ったものだなと思います。

雀はたくさん戻ってきました。朝はツバメが電線で一休み。鳩がきたり、ツグミやセキレイ・・・・。いろいろな野鳥も来ます。この頃聞こえなくなったのは、フクロウとカッコウの鳴き声です。
夏になる頃からホトトギスが鳴きながら空を横切っていきます。

これらの野鳥、ぜひインフルエンザにかからないようにと願っています。野鳥もいなくなっては淋しくなりますからね。自然が遠ざからないようにと願っています。
野ウサギは見かけませんが、畑には糞があったのでまだいると思いますが、子孫を残す環境で無くなれば、いずれこの地域からは姿を消すのでは無いかと思っています。可哀想な動物です。いつまでも、ぜひ残っていて欲しいのですが。



や~めたとは・・・

2014年04月21日 | Weblog


しかしまあ、今度の空模様は寒い曇天が続いたかと思うと、やっと降り出したかなと思わせて、「やっぱりや~めた」とは。まあ、確かにすこしは埃よけにはなりましたよ。しかし、水は不足しているのです。
子どもの頃に、誰もが欲しいものを持っている友達で思わせぶりばかりで、くれそうでくれない人がいませんでしたか。

「欲しい?あげる~?」 ほら、じゃああげようか」  「ほしい。くれ」  「ほら~。 あ、やっぱりや~~めた」 なんて具合にね。天気の意地悪。

 

エシャロットとチンゲンサイ。いよいよ、少しずつ収獲できるものが増えてきました。と言ってもあまり多くの種類を作っているわけではありませんから、増えたと言ってもほんの少しずつですけどね。

 

自家製春巻きができました。美味かったこと馬勝ったこと。注意することは食べ過ぎないようにすることですね。

 
                                        ウラシマソウ

この草は背丈は低いのですが、屈んで撮ったので大きく見えます。花は食虫植物のウツボカズラにやや似かかっています。花の先端から糸のようなものが伸びてているのが特徴です。
似た花にマムシグサというのがありますが、それは糸をもっていません。ウラシマソウと言われる所以は浦島太郎が持っている釣り竿の糸に見立てているとかいう話を聞いたことがあります。

世の中には、本当にいろいろなものがあります。何万年、何十万年という時間がいろいろなものを作ってくたのでしょうが、それにしてもすごい技だなと時につくづく思ってしまいます。まさに神業。そう思うと、創造主はやっぱり神様なのでしょうかね。



目のはなし

2014年04月20日 | Weblog


白内障の手術をしてから、老眼鏡は要らなくなりました。視力は1.2のレンズを入れたと言われました。しかし、そうは言っても若い頃のような視力が得られたと言うことでは無いようです。文庫本のふりがな(ルビ)などは見えにくいことがあり、弱い老眼鏡をかけると読むのがとても楽になります。理屈で考えてもやはり目全体の老化は免れることはできないのかなと思います。

 

油ものはあまりとらないようにしています。タラの芽は天ぷらが一番おいしいようです。まだ、これからも多少は採れると思いますが、今年はこれくらいにしておこうかなと思い、これで二度目ですが、これくらいでおしまいにしようと思っています。

それで目のことですが、以前に飛蚊症(ひぶんしょう)というのをやったことがありますが、その時が目のトラブルの始まりでした。ある日あるときに、右目の隅っこの方で何かきらりとひかるものを感じ、そのあとで目にゴミが入った感じがしました。ゴロゴロ感は無く、ただゴミだけがみえるのです。目を洗ってもだめ、目薬をしてもだめで、どうしても取れないので目医者に行くと、飛蚊症と診断されました。

 
                             裏山でワラビが取れ始めました

 飛蚊症は、目の水晶体の内側に入っている水がだんだん少なくなり、ジェリー状になるのだそうです。そうすると水の入っていたところが縮まります。その時に網膜を引っ張ってポツンと網膜を剥がすのだとか。縮んだ水球のあとの空白には別な水がたまるのだとか。

それでゴミではない黒いものが、まるで蚊が飛んでいるような風にかんじられるわけです。その時に、医者のいうことには治らないこともあるかも知れないがレーザーでの治療はあると言われ、一種の賭けだなと思いつつレーザー光線を当てて治療をしました。それは成功しました。

飛蚊症の場合と違い、もっとたくさん一度に網膜を剥がすようなことが起こる場合があり、その現象を網膜剥離というのだとか。

 


このところ、寒くてさむくて仕方がありません。これが長く続くと低温障害が起こり、農作物に影響してくるでしょうね。蒔いた種がやっと芽を出したが、結局は霜にやられてしまったとか、育たないとか、移植できないとか、花は咲いても実が入らないとか、いろいろうまくないことが起こってくるでしょうね。そうすると、野菜の値段が高くなるということに・・・。

季節も天候も順調に行って欲しいものです。





君知るや南の国

2014年04月19日 | Weblog


冬の間ときどき使っていた石油ストーブに沢山石油が残っています。そのままにして夏を越えたりすると、石油が分離して蒸発した水蒸気がタンクの上の方の壁に水滴となりついて、それがポタポタと落ちることを繰り返すのだそうです。

それを放置しておくと、石油の燃え方が悪くなるだけではなく、特のファン付きのストーブはデリケートなそうで、故障の原因になるのだとか。それなので、しまう前に空だきをすることが大事だという話をききました。

 

この二日ばかりとても寒いのです。それなので、ストーブにはまだ沢山石油の残っているものがありましたので、空だきを兼ねて、残った石油の整理と暖房をかねて昨日今日は使っています。
早くしまわないでおいて助かりました。何せパソコンのキーを打つ手が冷たく感じるくらいの冷え具合ですからね。

 

山桜はまだ咲いています。岡のような山並みには山桜が多く咲いていてとてもきれいな季節です。

 

寒い日でしたので、むかし読んだ本でことを思い出しました。
 

         君知るや南の国

    レモンの木は花咲き くらき林の中に
    こがね色したる柑子は枝もたわわに実り
    青き晴れたる空より しづやかに風吹き
    ミルテの木はしづかに ラウレルの木は高く
    雲にそびえて立てる国や 彼方へ
    君とともに ゆかまし

            ゲーテの詩「ミニヨンの歌」  森鴎外 訳

 

18世紀のドイツの文豪・ゲーテは、あるときにイタリア旅行をしたのだそうですが、アルプスのブレナー峠というところを越えると、南側にパーっとイタリアの明るい光景が広がり、暖かくてとても心を打たれたのだそうです。振り返って北をみると、どんよりとした鉛色の雲が広がる空の寒い風景が対照的だったとか。

イタリアで明るい暖かい日々を送ったことがよほどの印象に残ったのでしょうか、やがて 『 ヴィルヘルム・マイスター修業時代 』 と言う本の中に上に挙げた詩を載せたのだそうです。

私の場合はアルプス越えではありませんが、どちらかと言うと暗い冬が終わり明るい春が廻ってきた、ちょうど今ごろに合うような感じがするような・・・。

まだその本は部分的にしか読んでいませんが、そのうちに全部読んでみたいと思っています。時代が古いので、描写のしかたが微に入り細に渡ったりして、今の本を読み慣れた私たちにはちょっと読みづらいのです。しかし、常に気になる本ですから、そのうちに・・・・・・。



いったいどこに行くのか

2014年04月18日 | Weblog


 

 

冒頭からCDの話です。いま、このCDを聞いています。オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団のベートーベン/交響曲第三番「英雄」ですジャケットはいろいろなデザインで再発売を繰り返していますが、このCDも再発売のものです。時代からみて、最初はレコードであったはずですしね。

録音はざっと半世紀以上も前のものです。しかし、古さは感じられず、ただただすごい演奏だなと思うばかりです。指揮者の指導は厳しかったんだろうなと思うと同時に、オーケストラの実力もすごいものだと思います。

 

今日は、春が少し後戻りをしてしまい、ほんの少しずつですが、ポツポツと降る程度の寒い日になってしまいました。空は真冬のような薄墨色。行きつ戻りつしながら春が進んでいる模様です。それなのに、部屋の空気を入れ換えようと思って、やせ我慢をしながら窓を全部開けっ放しでブログを編集している私。

 

こんなだったスオウの芽がはじけて、

 

花が咲きました。小さい花なので数の多さで勝負しようとする算段らしいです。

 

県立図書館ですが、ここは子どもの本が置いてある部屋です。中に大きな鯉のぼりが二匹泳いでいるみたいです。季節に合わせたこういうのも良いですね。

子どもと言えば、この頃は本当に子どもが少なくて、町内の私の班では子供会はなくなりました。子供会のない町内は増えてきました。兄弟二人だけで小学校に通っているというようなところでは、会としては成り立たないようです。運動会では町内対抗のリレーは出来なくなりました。

確かに子どもの数は減っているようですが、子供会がない理由はそれだけではなく、今は親と一緒に住まない若い人の家庭が多いせいもあります。別棟に若い人の家族が住めるほど敷地に余裕がないせいもあります。

 

世の中は、目まぐるしく動いています。価値観も変わるし、人の職業も変わります。考え方がかわり、情報化社会になり、国際化も進み、農業などもそれにつれて大きく変化しています。病院の医師が足りなかったり、都会に医者が集まりすぎたり、超巨大な店の支店が田舎にできて田舎の街は、人の姿があまり見られないゴーストタウンに変わってしまっています。お金はどんどん東京に流れて行ってしまいます。

しかし、人の気持ちも環境もそれにつれて同じようには変化できないところがあります。それで社会に歪みが出来てきて、それを直しきれないうちにまた変わってしまうというめまぐるしさ。一体、世の中はどこに動いていくのでしょうか。





 


眠い春

2014年04月17日 | Weblog


少しずつ昼の時間が長くなってきたせいでしょうか。眠いです。まず、夜明けが早い。それから、日暮れが遅くなったので、家に入る時刻が遅くなる。それにつれて寝る時間が少しずつ食われている。というようなことの繰り返しで、睡眠時間が少なくなっているのかも知れません。

イギリスの詩に、日が暮れるのが遅いために、子どもはまだ明るくて、小鳥が鳴いているのに寝床に入らなくてはならない。不満だと詠ったものがありましたが、日本よりずっと北にある国は、だんだん夏に向けて昼の時間が極端に長くなります。逆に冬は、まだ真っ暗なのに学校に出発しなければならない。帰りは早く暗くなってしまうので、急いで家に帰れ帰れと学校では生徒を追い出す始末なのだそうです。

 

ハウスに植えてあるブドウ・巨峰は、今年の冬の寒さのために小枝がずいぶん枯れていました。全体も影響を受け、枯れてしまうのではないかと心配していましたが、やっと新しい芽が出てきたのでホッとしました。

枯れてしまうと、また振り出しに戻り苗を買ってきて一から出直しになりますので、実にがっかりしてしまいます。私のように、好きでやっている者は、ちょっと残念だなと思う程度で済まされますが、産地ではこの冬は大変な被害を受け、もうブドウの栽培は止めるという話があちこちで聞かれるとか。確かに、再び始めるには資材にお金がかかるし、元のような大きな木にするには、かなりの時間が必要になるはずです。再出発できる年齢は若い人あるいは若い跡継ぎのいる人に限られてしまうでしょうね。

 

ウォーキングをしていたらアケビの蔓に花が咲いているのを見つけました。

 

これは私の裏山に生えている小さなアケビです。毎年草刈りをしてしまうので、大きく育つことは出来ません。かと言って、いちいち確認しながら生い茂った草むらを刈るなんてことは至難の業ですし。移植しておけばやがては実がなるようになるのですが、ついつい忘れてしまいます。

 

ノラボウ菜は花盛り。普通の菜種と殆ど変わりはありません。菜種の一種なのでしょうね。

 

今夜こそ早寝をするぞ、と思ってもいつのまにか遅い時刻に・・・。テレビを見ていて、いつのまにか眠ってしまうなんてことで多少は寝不足は挽回しているようですが、ゆっくりと体は休まらないでしょうから、本当に気をつけなければなりません。


月みれば

2014年04月16日 | Weblog


新聞か何かで読んだことがあったのがヒントになる話なのですが、今年は3月6日であった虫が土の中から出てくる頃ということを言う、暦にある「啓蟄」という時期は、今のカレンダーに旧暦を乗せてみると、4月6日(土)でした。

いくらなんでも、3月初旬では穴から出て来いと言っても寒すぎて虫には酷すぎます。次の朝は大霜で見事にすべて昇天してしまったなんてこともあり得ますし。四月のこの時期なら納得いきます。でも、今日はちょっと土掘りをしたのですが、土中にはまだ黄金虫の幼虫が円くなって寝ていました。今ごろでも、姿を見せる虫はあまりありません。

 

ノラボウ菜は花盛りです。まだ食べていますが、そのうちに硬くなってしまいます。緑の野菜の少ない時期には、毎日食べていられましたので、ずいぶん助かりました。

これは、このままにして種を実らせて一分は取って保存し、来年畑に作るときにその種を使います。その残りは落ちるに任せ、また発芽して来春も自然にこのようになるに任せることにします。

 

暖かくなったので、保育園では小っちゃな子が外に出てきました。この乳母車と言ってもいいのでしょうか、車は向かい合って四人乗れるようになっています。JRの中長距離電車はこのように向かい合う4人がけのボックスと言われる坐席がありますね。

 

昨日は日本では部分月食だったそうで、夕方月が出た頃撮って見ました。上が黒くなっていますが、もう終わり頃だったようです。三脚は用意しないでしまったので、ぶれてしまいました。
見るみるうちに月食は終わってしまいました。月食は満月の時に起こるものです。

私は田舎暮らしをしていますので、月を見ることは街暮らしの人よりはるかに多いと思いますが、それでもたとえば平安時代の人のようには見ていません。月を眺めて見たとしても、ほんの数分くらいなもので、あとは家の中にひっこみ、「家族に乾杯」 などを見てしまうとかになってしまうのが普通です。

昔は、月を見てあれやこれや世の中のことを思い、遠くにいる恋人を思いなどしてきたそうですが、よほど例えば月を見る会にでも参加しない限りは長く月をみることはあり得ません。今では月は忘れられた存在になってきました。

 今は春なのですが、

   月みれば 千々(ちぢ)にものこそ 悲しけれ
            わが身一つの 秋にはあらねど   大江千里