朝が来て、「さあ、今日の始まりだ」と思いますが、午後も遅くなってくると「そろそろ日暮れも近くなるなぁ」と思うように、一年と言う、それより365倍も長い時間でも同じように思うものです。
昨夜も、大きなお月さんだろうと思って、また小さなデジカメで撮ろうとしたのですが、月は真っ白な円盤にしか写らないので止めにして、夜景にしました。
夜の空も、昼間と同じように青空と白い雲です。ただ、光が弱いので目で見ただけでは、そうは感じにくいです。
冬が来る前に十分栄養を蓄えておこうという魂胆なのでしょうか。盛んにイチジクだの柿だのを狙ってやってきます。
甘いものが好きなようです。エネルギーになるからでしょうか。
虫も忙しいですね。このほかにミツバチのような蜂が飛び回っていたり、赤とんぼ、カナブン、蜘蛛などが動き回っています。蜘蛛は巣を張ればじっとしていますが、その巣づくりに忙しいようです。
まだ取れます。味は落ちていません。
これは富有柿ですが、こういう熟し方は普通はしません。甘がきが熟したのなど、おいしくないです。今年は甘柿も渋柿も全滅のようです。
ただ、干し柿用のものがこれからどういう熟し方をしていくかです。
やっぱり、異常な暑さのせいかなと思っています。それ以外は素人には心当たりが見当たりません。
とうとう九月も、残すところ明日だけになってしまいました。古来、九月は長月と言いますが、ちっとも長い月とは思えませんでした。とんだ災難のあった月でした。もっとも、九月と言う月のせいではありませんが。
雨が強く、総じて降っている時間が長かったですかね。したがって、新たに名づけて長雨月(ながめつき)。
スーパー・ムーンとかで、地球から特別近い位置にお月様があったのだそうで、いつもの満月の1,14倍とかの大きさに見えたのだそうです。
それくらいで違いがわかるのでしょうか。私は分かりませんでした。見る時刻によっても、つまり普段だって地平線の近くと天頂付近と大きさが違って見えるし。
開高 健という作家の自伝を読んでいるのですが、まだ子どもの頃の話ばかりですが、私よりは年上ですが自分の育った時代と近いので似たようなことがあり、共感する場面が結構あります。面白いです。
いつ読み終えてもかまわないものですから、同じところを二度読んだりして、ゆっくり味わっています。
おや?と思ったら、こんなところ - 物置の内部のドアのところですが - にへばりついていました。
少し動きましたが、せっかく居場所を定めたようなので、気の毒ですからそっとしてあります。まだ冬眠には早いでしょうが、気が済むまで居たら移動することでしょうからね。
先日、西の空の方に面白い形の雲がありました。オタマジャクシのようですし・・・・・。これは煙ではありません。
子どもの頃、草の上に寝て空を行く雲をみていたものでした。しばらくして何だか空に落っこちそうな気がしてきたのを覚えています。
自分は草の上に寝ているのに、どうみても空に落っこちるはずはないのですが、どうしてそういう感じになるのでしょうね。
不思議な現象は他にもあります。大洗の海岸近くにある小学校の脇を通ると、私が小学校の一年生と二年生の担任だった女の先生が、今もそこに居そうな気がするのです。もう、その先生はとっくに他界してしまっているのに。
まだ早い朝から、神社の参道を踏み外し田んぼに半分落っこちている車があるので来てくれという電話がありました。
駆けつけるとなるほど、こりゃ大変だ。大きなトラックが道幅一杯のところに侵入してきて、脱輪した軽乗用車を引っ張り揚げようとした感じですが、暗くなりどうしようもなくて、車はそのままにして帰ってしまった模様です。
何かと用事はできるもの。そのうちに、ユンボが来て難なく車を引っ張り上げていきました。持ち主はホッとしたようすです。聞けばなんでも夕方神社におまいりにきたのだけれど、道幅が狭いのでつい脱輪してしまったとか。気をつけましょうね。
保育園児が来て、ワイワイキャーキャー言いながら栗を拾っていきました。イガが痛いだの、どうして平たい栗ができるのだとか言ってくる子供がいたり、いやその賑やかなこと。でも、一番声が大きかったのは、保母の先生でした。
今夜も良い月夜です。空には月、庭では虫の合唱。涼しくてとても良い晩です。
夜の空は、昼とちょっと違うけどやっぱり昼の空に似ています。青空に白い雲。もっと露出を長めにすると、まるで昼間の空のように写るはずです。
明け方頃、雨が激しく降っていました。その後はたいしたことがなく、午後はやんで青空になりました。気温も上がって、少し動くと汗が出ます。
川澄淳 展
茨城県天心記念五浦美術館と言うところで行なわれている、知人の絵画展を見て来ました。ものすごい作品の数です。
油絵を中心に水彩画や、木彫りの裸像など、さまざまな絵や造形が見られてとても楽しかったです。
美術館
多くの人が見に来ていました。かなり見ごたえのある展示でした。
絵を見ていると、いろいろなことを考えます。絵が何かを語りかけてくるのかも知れません。
私はもちろん、絵の専門家ではありませんので、作品のここのところの描写が素晴らしいとか、色の出し方描き方の技術の素晴らしいと、細かなところまでは見通せないのですが、それでもそれなりに見ることができるので楽しいです。
美術館
風邪気味だったので、大事をとってしばらく家の中に燻ぶっていたのですが、今日は久しぶりに遠出のドライブができ、良い絵を沢山見ることができ、気分がすっきりしました。
たまには出かけるのも良いですね。
今夜は月見。幸い、空は晴れてきれいな月を拝むことができました。いまは、なかなか月を愛でることの少ない時代。少しでもと思い、庭にでて撮ってみました。
昔は、月を見ていろいろなことを思ったそうです。いや、私が子どもの頃はテレビなどないし、電気も来ていなかったので、天空に浮かぶ月を眺め、畳の上にさす月明かりを眺めたりして宵を過ごしたものです。
絵に描いたような句があります。
名月や 畳の上に 松の影 其角(きかく)
それから
名月や 池をめぐりて 夜もすがら 芭蕉
夜もすがら = 一晩じゅう
いつものようにお月様にお供えをしました。栗、葡萄(巨峰)、里芋は自家製です。
木曜日、金曜日と二日間出勤して、今日は土曜日ですから、また休日になる人が多いです。中にはずっと続けて休みにしてしまう人がいるかも知れませんが。
私が現役中は考えられないことでした。いつもカレンダー通りの出勤で、しかもシルバーウィークは無いし。もっとも、私の父の時代はもっと休日は少なかったことは事実ですが。
少しばかり残った栗の木から落ちた実ですが、この栗の収穫期にはとても大変でした。作物というのは、たいていのものは一度に実りますから、それはそれは仕事が大変です。
専業農家ではないので、畑にしておくのが大変で親の代に栗を植えたのですが、それはそれとしてそれなりにとても大変で、一家総出で仕事をしました。
以前は、他所の家に行くとよい匂いがして良いなと思ったものですが、今は自分の庭にもこのキンモクセイがあるので、ほのかな香りがしてきます。
ギンモクセイもありますが、香りはいまいちですね。
イヌサフラン
どことなく、夏の疲れがたまっていて、ゆっくりしているとついついウトウトとしてしまいますが、気温が20度くらいになり、風も涼しいので風邪に注意しなければなりません。
この二三日、そういう思いはしなかったのですが、なんとなく風邪気味で不愉快でした。
イチジクに、やたらスズメバチが寄ってきて食い荒らしています。スズメバチは、おおむね子育てをしている巣から離れると攻撃的ではなくなりますので、近くに寄ってもただ威嚇するように飛び回っているだけですが、知らずに実を取ろうとして触ったりしたら大変ですから気をつけなければなりません。
魚を取るタモ網というのでそっと飛ばせると、ホバーリングのような飛び方をしますが、この網で被せるようにして取ると、楽に捕獲できます。失敗しても攻撃はしてきません。
かりかりと 蟷螂蜂の 皃を食む 山口誓子
蟷螂(とうろう) カマキリ
皃 (かお) 顔
食む(はむ) 食べる
今日は雨です。時々雨は当然ですが、大雨があってしかも災害まであってから日も浅いので、また雨かという思いは当然します。
シルバーウィークが終わって、世の中は元の通りに動いているのではないかと思います。朝の、道路渋滞はいつもの通りでした。
写真は、ほとんどがお天気のときのものです。雨の日の写真は使ってしまったものばかりです。
9月も今日を入れてあと6日。だんだん歳末が近づいてくるなという気持が起きてきました。
もう、蝉は鳴かなくなりました。もっとも、今日は寒いくらいなので鳴かないかも知れませんが、また暑い日が来れば残ったものが鳴くかも知れません。
虫も夏から秋にうつり、野菜も夏のものはまだありますが、元気がなくなり、新しく種をまいた大根が芽をだしたり、次々といろいろなものが交代の時期になっています。
世の中は、相変わらず騒がしいですね。今度は、車の名門の会社で不正が発覚し、大騒ぎをしているようです。
いろいろある中で、大規模災害が何とかならないでしょうかね。先を見越して早めに手当てをしておくことはできないことなのかなと思うことがあります。
A stich in time saves nine. 今日の一針、明日の十針 と言いますからね。
秋は一日いちにちと進んで行きます。暦の上のことは別にして、季節感としては初秋と言えるかも知れません。
私たちは、二つの春、二つの夏、秋、冬、と同じ季節を二つの持っていると思っています。一つは今言ったように暦の上での季節と、もうひとつは実際の季節です。「実際」と言うのもおかしいと思う人もいるでしょうが。
昔からの暦の季節と今言う季節の二つの季節はもちろん重なるところがあります。
まだまだ寒いのに春だとか、暑いのにもう秋だとか言う、季節を二つずつ持つということは、それだけ豊かな生活をしているとも言えるかも知れません。
今日も、とても良い日でした。こんなに良い日があるのに、先日のあの大洪水の日は一体なんだったのでしょうか。誰もが「あの雨さえ降らなかったら」と思うはずです。
地震の時もそうでした。あの揺れさえ無かったら・・・・・。
夕べの月
ゴールデン・ウィークは毎年ありますが、今年のようにタイミング良く、このように長く続く連休はこれから毎年あるでしょうか。
敬老の日と秋分の日は休日になりますが、それと土曜日・日曜日のからみでしょうね。来年は、手元に暦があるので見てみましたが、飛び石連休になるようです。
かろうじて、シルバー・ウィークになると言えるかも知れません。とすると、なんとかシルバー・ウィークと言う新しい名称も定着するかも知れません。
ゴールデンに対してシルバーなのか、それとも敬老の日があることだし、それでシルバーなのか・・・・・。
ゴールデンとシルバーがあるなら、次にブロンズは無いのでしょうか。あると良いですね。そしたら、オリンピックのメダルだ~~~。
今日も良い日です。仕事をして汗をかきました。自転車にも乗りました。絶対に乗ったままでは登れない坂道をスイスイです。電動アシストは愉快です。
光の関係化、写真がなんかチリチリとした感じがします。稲刈りは7~8割くらい終わっているようです。
知人から新穀をもらい食べました。新しい米はまた特別おいしいですね。
昨日のことですが、およそ40年くらい前の職場の同僚がフルートをもって遊びにきました。私にフルートの手ほどきをしてくれた人です。
いやもう、なつかしいこと。転勤をすると、互いに距離も遠くなるし、仕事が第一ですから、なかなか元のようには付き合えません。
しかし、どこかで繋がっているものなんですね。
なんだこれは?
と思いきや。コオロギが入ってきてしまいました。外はコオロギだのほかの虫が大合唱です。
このままでは、家具の後ろの方に入り込んでしまい、ミイラになってしまいますから、パッとつかんで外に放してやりました。これから、霜がおりるころまでは日が暮れる頃から合唱を聞くことができます。
毎年まいとし、いつまでもこの合唱は続いて欲しいなと思います。
テレビで、「2001年宇宙の旅」などの映画を作った、スタンリー・キューブリック監督の「博士の異常な愛情」と言うのを見たものですから、「いつまでもこの合唱」・・・などと考えてしまいました。
昨日に引き続き、今日も良い天気です。空気がキラキラして、目をあけているのが辛いくらいにまぶしいです。
風も涼しく、とてもいい日です。
一年を通して、本当に良い日はそうは数多くはありませんね。良い日は、出来ることなら楽しんだほうがよさそうです。
楽しむと言っても、特にどこかに出かけたり、イベントに参加したりするということを敢えてしなくても、静かに空を眺めたり、庭先でお日様のまぶしい光を体いっぱいに浴びて、コーヒーを飲んだりしても楽しいものです。
枯れ葉がどんどん溜まって行きますので、まだまだ落ちるでしょうが、今日はきれいにしました。が、午後はまたパラパラともう落ちています。
時期ですから、しかたがないですね。常緑樹ですと、冬に、それでなくても日が低いので陰ができて寒くなります。
イチジクの実を取ろうと思って、手を出したら何か冷たく感じるのでなんだろうと思ってみたら、こんなものがちょこんと乗っていました。
なかなか愛嬌があって可愛いものです。しばらくこのままにしておいたら、葉っぱのほうにピョコンと移ってくれました。
ミニトマトは食べきれないのが地面に落ちています。これはこのままにして置きます。すると来年の春には苗になって此処に生え出てきます。
そしたら、何本か移植して育てます。それを毎年くりかえしています。このトマトは、今の改良品種のようには甘くないのですが、多少は料理につかったり、トマトジュースにしたりしています。
また、程よい酸味があり、鶏と一緒にスープを多くした煮込みは大好きです。
隣り合っている畑は、こちら側が雑草だらけだと迷惑でしょうから、根元から削り取るようにして草刈をしました。刈った草は自分の畑の方へ。
畑と言っても、今はブルーベリーが一列植えてありますので、下に雑草が生えているくらいの方が、根元が乾きすぎないので良いのですが。
飛び立つ虫
夏が再来です。草刈は大汗が出ました。滝のように流れました。華厳の滝か那智の滝。いやいや、これは袋田の滝。大げさだなぁ。
北東の風を強く受けるらしくて、雨が降り地盤が緩んだところに風が吹くので、ピラカンサスだの、白ムクゲだの、アスパラガスだの、ビワの木が南西の方に傾きます。
そういうところは、畑の土のようにやわらかいので、起こしてもまた斜めになりますから、杭を深くぶち込み、紐で引っ張るようにします。
がしかし、これが起こすとなると、嫌だと言わんばかりにこれまた抵抗をするのです。仕方がないから、あとは力任せにやるしかありません。優しくなんかしていられませんから。
今日は、久しぶりに一日中晴れ渡っていますので、やっと猫のミーちゃんは思いっきり外で遊べます。
しかし、さすがに疲れてか、しばらく見かけないので、外で呼ぶとかなりしばらくしてから、眠そうに目をしばたたくようにして近寄ってきました。
どこか木陰で寝ていたんですね。とにかく、その辺にいたのでホッとしました。
「 ミーちゃん、どこにいたの?」 「 ・・・・・・・・ 」 「 返事が無いね。その辺だよね。」 の、いつも一方的な会話です。
猫ばかりではなく、今日は蝉の声も元気に聞こえるし、飛び回る虫の多いこと。やっぱりこの夏のような秋晴れを待っていたんですね。
まぶしくて、目を開けているだけで疲れそうです。
おしなべて 物をおもはぬ人にさへ
心をつくる 秋のはつ風 西行
一日中雨かなと思っていたら、それほどでもありません。が、これから夜になってからはどうなのか。
テレビは、どのエリアでも同じでしょうが、ほとんどが南米で起きた地震で発生した津波の情報を延々とやっています。番組の中でも日本地図に津波が達する沿岸を太い線でなぞった画像が延々とでています。
津波はあったらしいですが、どこでも数十センチくらいだったとか。ただ、これからも日本に届くものもあるとか。
自覚症状は無いのですが、胆石があるとかで、定期検診に行ってきました。変化は見られないとか。セーフです。 相変わらず待たされますが、本を読んでいたので苦痛に感じませんでした。
ホバリングをしながら蜜を吸っているので、なかなか良いものが撮れません。待っていると、どこかに飛んでいってしまいます。
前回この花の写真を出したときに、 ニチニチソウと教えてもらいました。
インゲン豆はここまで伸びたのですが、支柱が短くてその先まで行ってしまったので、さてどうしたものか思案中のようです。
そんなに高いところに生らせても手が届きませんからね。その心を知らないインゲン豆。播いたときに、よく言って聞かせなかったので、こういうことになっちゃったんですね。
笠間市のカフェ。窓に飾られたこれらの作品はもちろん笠間焼きです。いちばん手前の細長い花瓶?はイイナと思いました。
笠間焼きは、決まった形の器も多いですが、このように自由な芸術作品も多いので楽しいです。
陶器というと、ほとんどが茶碗とか壷など器です。それが、私はありふれていて面白く感じません。こういう作品が好きです。
また雨です。水害にあった地域では、少しの雨なら舞い上がる埃が落ち着き、泥を被った木々の葉っぱや、車やら屋根やらの汚れが落とされて良いのですが、こう降ると、せっかく排水したり自然に引いた水が、また増える心配があります。
特に、まだ冠水している低い道路や土地などが深くなるので人や車の往来に大いに支障がでます。
水害にあった地域を地図で見てみました。昔は鬼怒川や小貝川(こかいがわ)の西側から千葉県にかけて下総国(しもふさのくに)の一部だったそうです。
今回、ひどい水害にあったエリアは、この地図ですと豊田郡というあたりかなと思います。小貝川と鬼怒川は一部つながっていたようです。
かなり湿地帯が広がっていたようで、平安時代に平将門が起こした乱の時には、よく舟で兵隊が移動したという話が出てきます。今でも大方が田んぼになっていますから低いままなのでしょうね。
秋になると、この女郎蜘蛛が裏山の方から少しずつ移動してきて、やたら頭とか顔にくもの巣がひっかかり困ります。
蜘蛛は、巣をかけたまま何処かにいってしまい、空き家になった巣に木の葉が引っかかったりして汚いです。時どき箒などで掃除をしなければなりません。
秋雨や 長すぎるのは 困りもの
秋雨や ついでに気温も 大下がり コタツが欲しい
天候も 議事堂付近も 荒れにけり
要らぬ時 降ってくれるな 秋の雨
この雨に カラスもあきれて 声も出ず
時は音もなく過ぎて行きます。時間を意識しているのは人間だけでしょうか。
町内にある Nikon の工場
動物も虫も魚も鳥も、夢中で毎日を過ごしているのだと思います。犬や猫がのんびりと昼寝しているのも、体のバランスを取るために脳が命令を出しているのであって、怠慢の心があってでは無いかも知れません。
もっとも、人も疲れて不愉快になれば自然に体を休めることはしますが、そのほかに、言うまでも無いことですが、怠けの気持がそうさせることもあります。
以前、2010年10月2日に 「 子しのびの森 」 というタイトルで同じ場所を紹介したことがありますが、 『更級日記』 に出てくる場所が隣町にありますので再び行ってきました。
『更級日記』は平安時代の中ごろに書かれた 菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)と言う女性によって書かれた日記ですが、その中に父が常陸の国の国司となって今の茨城県に来る件(くだり)があります。その父が国をめぐり歩いているときに、立ち寄ったところであろうという場所が笠間市の岩間地区にあるので、久しぶりに行ってきました。
いまでもさびしいところです。娘に宛てた父親の手紙文がその『更級日記』にでています。
常陸の国にある神社をお参りして歩いているのですが、川の水が美しく流れている野が広くあるところに、木が群がってい良いところがあります。その風景を見せたいと思っていると真っ先にあなたを思い出しました。「ここはなんという所だ」と聞くと、「子しのびの森と申します」と言う答えがあったのですが、(その「子しのび」と言う名前が都に自分の子を置いてここにきている)自分の身の上と重なって、とても悲しく思ってしまい、そこで馬を下りてしばらく眺めていましたよ。
とどめおきてわがことものや思ひけむ
見るにかなしき子しのびの森
この森も自分のこと(「事」と「子と」と掛けことば)のようにもの思いをしているのだろう
見るのも悲しくなる子しのびの森よ
以下省略
日記が書かれてから凡そ1,000年の月日が流れて、いまそこに「子しのびの森」が私の目の前にあると思うと大いに感動しました。
場所はなんでもない、どこにでもあるとても寂しい田舎の風景ですが、私にとっては特別な場所に思えました。
神社の境内にあった大木の実
この日記の作者の実名は書いてないので分かりません。あの天神様で有名な菅原道真の子孫だそうです。
有名な紫式部も、清少納言も実名は伝わっていないそうです。
もう、お彼岸が近くなってきていますから、残暑は腰抜けになってしまいました。
この九月は、その残暑がほとんど無いに近かったので大いに助かりました。
やっぱり、あのねっとりした暑さは長く続いて欲しくないものです。毎年、このような秋になって欲しいものです。
ただし、大雨は無しにして欲しいです。
たくさん取れるように感じられると思うでしょうが、これはもう数少ない残った木のいっぽんです。これもまた例外なしに、虫の被害にあっています。
一時は、と言っても期間にすると二十年くらいでしょうか、出荷するくらい栽培していました。蚊のうずまくしめった木陰を這いまわるようにして実を集めました。
ちょうど見上げたところにイガが落ちてきて、眼球に刺さってしまったこともありましたが、幸い全部が自然に抜けてくれて、視力などには一切影響はなかったです。
本当にラッキーでした。
クワガタとかカミキリのような昆虫が栗の木の幹に卵を産み、それが孵って幼虫が幹に食い入り、何年も幹を食い荒らすことを繰り返して木は枯れた倒れ、そのあとは植樹しないまま、自然に減っていくのにまかせました。
その結果、激しい仕事からは解放されてきています。が、土地の面積が減ったわけではありませんので、草地は管理しなければなりません。
ムラサキシキブ
人は、いつまでも若くてエネルギッシュでいるわけではありません。いつまでも同じことは続けていられません。
できることなら、無理をせずに自然に別な形に変わっていくのが一番よいことかなと思っています。
ただ人は情けあれ 夢の夢の夢の
昨日は今日の古(いにしえ) 今日は明日の昔
『 閑吟集(かんぎんしゅう) 』
天気の良いことに越したことはありませんが、あの雨の後遺症は災害地ではまだまだ続いています。
電気や水道は次々に復旧していますが、ニュースによると、泥棒の被害にあった家があるとか、それから各家では泥水を排除したり、濡れた家具衣類などなどの処分がたいへんなようです。
ごみ置き場はすでに一杯になってしまったそうです。
刈払い機を久しぶりに使いました。いままで雨が多くあまりつかえませんでした。細かなところは刈払い機が活躍します。
この頃は、道芝のような草で、四輪草刈り機で刈り取っても、葉の茎が柔らかく抵抗の少ない草は草刈り機の刃が草の葉をなでるだけで、刈り取らないことが殆どです。
そういう草が少しずつ増えてきました。それで、効果が無くては草刈をしても無意味ですから、刈払い機で、上の図の赤い矢印のように、浅く土ごと根も全部刈り取ってしまうようにして刈っています。
まだ一面には蔓延って(はびこって)いませんので、一通り草刈を終えてから、刈払い機で見つけては一つひとつ刈り取るようにしています。手間が増えました。
草も、昔からある草があり、新しく生えてくる新種のものもあります。遠い土地から種によって運ばれてくるものがあったり、外国のものが帰化してしまったりするせいでしょうか。
聞いた話ですが、一重の花のオレンジのポピーがあちこちに咲いています。我が家の草地にも見かけます。それは、なんでもトラックのタイヤにくっついて運ばれ、全国に広がったものなのだとか。
植物だけではなく、新種の毒蜘蛛であったり、蛇が輸入品と一緒に日本に運ばれてきてしまうこともあるそうです。天敵がいない場合には、ものすごく蔓延る危険性がありますね。
人も移動しています。ヨーロッパではアラブの国からの難民がどんどん流れ込んできて大変だそうです。
あまり多いと、社会に少しずつ摩擦が起きてくることでしょうね。治安やら、税金の払えない人たちの分の負担やら、病院の受け入れ態勢やら、いくらでも問題が発生してくると思います。
少しずつなら、社会が飲み込んでしまい、必要に応じて少しずつ改善が行なうことは可能ですが、急に激増すると社会のあちこちが麻痺してしまう可能性も出てくるかと思います。