先日、娘の元同級生のR子ちゃんが瞳の仏壇に手を合わせに来た。彼女は毎年、お盆に来てくれるのだが今年は用事があり1か月遅れになったとか。
「いつも有り難うね」
「いえいえ」
「ところでR子ちゃんはいくつになったん?」
「40歳です」
「へえ、もう40なんや。いつ見ても若いから40には見えへんわ」
「もう40歳よ。瞳も生きてたら40歳やね」
そうそう、瞳は9月13日が誕生日なので40歳になったばかりだ。
40歳と言えば不惑の歳。孔子は『40にして惑わず』と言うが、私は70歳になっても惑っている。
今の飲食業をこれから先も続けたいが、足と腰に痛みを感じる日々で、立ち仕事ゆえに続けようかどうか惑っている。
それと、開業して39年になるが私の加齢と共に客層も高年齢化、諸般の事情で徐々に減ってきてかなり暇になった。
「値段を下げよか」と妻に言えば「下げてもお客さんが増えるとは限れへん。それで売り上げが落ちたら最悪やで」
確かに一理ある。
年寄り夫婦がカウンターの中に立っていても若い人達は来る事はない。
もし、瞳が生きていて手伝ってもらえば、若い客層も増えて活気を取り戻せるのだが。
瞳が40歳だと孫もいる事だろう。
「孫は老夫婦が見て、時々私は店に出る」
こんな夢も叶わない。
痛む足と腰をさすりながら、値段を下げるべきか、店を続けるべきか、70にして惑う。