6月22日(水)は、朝から具志堅隆松さんらが平和祈念公園で遺骨混りの土砂採取問題に抗議してハンストに入る予定だったが、急遽、沖縄県が熊野鉱山開発問題についての公害等調整委員会からの和解案について説明するというので、午前9時に具志堅さんと県庁に行った。
県からは照屋副知事、金城環境部長、多良間統括監らが出席、私たちは具志堅さんと宗教者グループら6名で県の説明を聞いた。
公害等調整員会から示された和解案は次のとおりである(県から提供された「合意案の概要」と「措置命令の概要」については末尾を参照されたい)。
1.事業者による掘採工事は、「令和4年1月までに遺骨調査が行われた場所」、「盛土の可能性がある場所」の順に行うものとし、「遺骨調査が必要と考えられる場所」の工事については、令和6年11月から12月にかけて行う。
2.工事の際に遺骨が発見されたときは、事業者は、その周辺半径5mの範囲で、工事を2週間中止し、戦没者遺骨収集情報センター(以下、「センター」)等による調査及び遺骨の収集を認める。
3.事業者は、剥離した表土を一定の場所に保管し、埋戻しまでの間、センターにおいていつでも調査可能な状態とする。
4.事業者は、表土剥離後の石灰岩が露出した状態において、掘採までの間に、再度センターが調査を希望した場合には、これを受け入れる。
5.事業者は、表土を剥離した範囲を順次、緑色の農業用シートで覆う。
6.事業者は、令和6年1月以降、掘採を完了した部分に順次埋戻しを行うとともに、ガジュマルの植栽を行う。
今日は時間がなく、この和解案の問題点を詳しく説明する余裕がない。ただ、次の点だけは指摘しておきたい。
①当初の措置命令では、事業開始前に「遺骨の有無について確認する」とされていたが、この和解案では、業者が掘採の途中に遺骨を発見したときの措置を示したものにすぎない。業者が、工事の中止が必要となることを覚悟して、遺骨が見つかったと必ず県に報告するだろうか?
②また、そもそも、南部一帯で発見される遺骨は、細かく砕けてしまったものが多い。業者に悪意がないとしても、遺骨を見つけるには長年の経験や専門知識等が必要である。
③この和解案では、いったい事業年度は何年かかるのだろうか? そもそも熊野鉱山では土砂搬出ルートがなく、業者は北側の農地を借地し、一時転用してダンプ道路にする計画としている。しかし、一帯は農振区域であり、農地転用には知事の許可が必要だが、最大で3年間しかできない。道路造成、鉱山の掘採、埋戻し、そして農地への復旧作業を含めて3年以内である。
和解が成立すれば、業者は現在、提出している自然公園法の開発届を取下げ、新たな開発届を提出することになる。その開発届は、当然、事業年度を3年以内としたものでなければならない。しかし、この和解案は、その点について一切考慮しておらず、そもそも無理なものである。
④公害等調整委員会が示した回答期限は、なんと明日(6月23日)の慰霊の日である。このこと自体、公害等調整委員会が沖縄の実態について何の認識も持っていないことを示している。
(なお、この点については、知事は夕刻の記者会見で、「どう対応するのか?」という質問に対して、「あらためて発表します」と説明したという。少なくとも、明日の慰霊の日に和解応諾の回答は無くなったようだ。)
1時間ほどで県との話し合いを終え、大急ぎで平和祈念公園に向かった。すでに座込みテントが張られ、平和の礎に刻まれた戦没者の名前を読み上げる準備も終わっていた。
午前11時頃から集会。具志堅さんが力強くハンスト開始の挨拶をし、私からは、今回の和解案について、その問題点を説明した。
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以下、県から提供された和解案概要