チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

<解説>糸満市・熊野鉱山開発に係る公害等調整委員会の和解案受諾の経過と問題点(改訂版)

2022年06月26日 | 沖縄・南部土砂問題//遺骨問題 

 6月24日、知事は、糸満市・熊野鉱山の開発問題をめぐり、国の公害等調整委員会が示した和解案を受諾してしまった。早ければ8月末には鉱山の掘採が始まるという。具志堅隆松さんや私たちが和解案の多くの問題点を指摘し、受諾しないように要請していたにもかかわらず、県民、ご遺族の方々に十分な説明もなく性急に受諾してしまったことに強く抗議する。

 以下、和解の経過と問題点、これからの課題を説明する。

 

<目次>

第1.和解案受諾に至った経緯の問題点

第2.和解案の問題点

1.県の措置命令と公害等調整委員会の和解案

2.今回の和解案の問題点

⑴ 掘採前の遺骨の確認、県との協議を無くしてしまった ---「措置命令失効」の大きな影響

⑵ 業者が掘採中に遺骨を発見しても、その報告の義務・罰則がない

⑶ 意味不明な和解案の内容

⑷ 「盛土がなされた場所は、遺骨が混入している可能性が低い」という認識の誤り

⑸ 「土砂搬出路の農地一時転用許可の事業期間は3年以内」との整合性は?

⑹ 糸満市を全く無視した和解受諾回答

⑺ 何故、和解案に応じる必要があったのか?

第3.「設計変更申請不承認により、今後、南部地区の土砂が辺野古埋立に使われない」という知事認識の問題点 (後日掲載) 

 

第1.和解案受諾に至った経緯の問題点

 公害等調整委員会が和解案を提示したのは6月14日であった。しかし県民がその事実を知ったのは6月21日の新聞報道である。具志堅隆松さんや私たちはすぐに県に説明を求め、翌22日、県は私たちに、和解案の内容を説明した(当初、環境部長か統括監対応と言われていたが、照屋副知事が急遽、出席されたことは評価したい)。

 6月23日が公害等調整委員会への回答期限ということだったが、私たちの抗議もあり、さすがに「慰霊の日」の回答は延期された。具志堅さんや私たちは、6月22日から23日にかけて、平和祈念公園で「遺骨混りの土砂を埋立てに使用させないこと」を求めてハンストに入ったが、そこでこの和解案についての対応を話し合った。

 6月24日午前9時半、私たちは急遽、県庁前広場で約40名が抗議集会を行い、その後、沖縄県環境部に知事宛の「和解案を受諾しないことを求める要請書」を提出した。

 ところが知事はその直後、県議会定例会の代表質問に対する答弁で、「和解案受諾」を表明してしまったのである。知事は、前日、平和祈念式典後の記者会見で、「(和解案への対応について)明日までに具体的な状況がはっきりする。内容全体を含めて私にはまだ来ていないので、確認して発表する」(6月24日、沖縄タイムス)と説明していた。そしてハンスト現場にも来て、具志堅さんを激励した。ところがその翌日の午前に、「受諾する」という議会答弁をしたのであるから、知事が和解案の内容について、十分に検討したとはとても考えられない。

 6月24日午後、私たちは急遽、「知事の和解案受諾表明への抗議文」を県に提出し、受諾表明に強く抗議するとともに、23日に提出した要請書に誠実に回答するよう申し入れた。

 県は同日午後、公害等調整委員会に受諾を通知、その後、知事は夕刻に和解案受諾の記者会見を行った。

 

 この経過でも分かるように、県はあまりに性急に和解案を受諾しており、県民、特に当事者である戦没者遺族への十分な説明を行っていない。24日の県への要請行動には、ご遺族の方も同席され、「沖縄戦で家族5人を失ったが、今も遺骨はひとかけらも戻っていない」と、南部地区からの土砂採取に強く抗議された。

 県は和解案受諾の回答をしてしまったが、この問題には下記のように疑問点があまりに多い。県は今からでも受諾回答を撤回し、早急に県民、そしてご遺族の方々への説明の場を設けなければならない。 

 

第2.和解案の問題点

1.措置命令と公害等調整委員会の和解案

 県が昨年5月に出した自然公園法に基づく措置命令と、今回の公害等調整委員会の和解案は、下記のとおりである。

 <沖縄県の措置命令>(2021.5.14)

 1.遺骨の有無について関係機関と連携して確認し、関係機関による遺骨の収集に支障が生じないよう措置を講じること。

2.掘採区域の周辺、特に掘採区域の敷地境界に接している慰霊碑の区域における風景へ影響を与えないよう、必要に応じ、植栽等の措置を講じること。

3.周辺植生と同様の植物群落に原状回復すること。

4.上記の各措置について、掘採開始前に県に報告し、協議すること。 

 

 <公害等調整委員会が示した和解案>

 1.事業者による掘採工事は、「令和4年1月までに遺骨調査が行われた場所」、「盛土の可能性がある場所」の順に行うものとし、「遺骨調査が必要と考えられる場所」の工事については、令和6年11月から12月にかけて行う。

2.工事の際に遺骨が発見されたときは、事業者は、その周辺半径5mの範囲で、工事を2週間中止し、戦没者遺骨収集情報センター(以下、「センター」)等による調査及び遺骨の収集を認める。

3.事業者は、剥離した表土を一定の場所に保管し、埋戻しまでの間、センターにおいていつでも調査可能な状態とする。

4.事業者は、表土剥離後の石灰岩が露出した状態において、掘採までの間に、再度センターが調査を希望した場合には、これを受け入れる。

5.事業者は、表土を剥離した範囲を順次、緑色の農業用シートで覆う。

6.事業者は、令和6年1月以降、掘採を完了した部分に順次埋戻しを行うとともに、ガジュマルの植栽を行う。 

 

2.今回の和解案の問題点

⑴ 「掘採前の遺骨の確認、県との協議」を無くしてしまった --- 措置命令失効の大きな意味--- 「和解案は措置命令の内容を概ね反映している」とはいえない!

 昨年の措置命令では、「掘採前」に「遺骨の有無について関係機関と連携して確認する」、「掘採開始前の県への報告・協議」が義務付けられていた。これが措置命令の中心項目であった。しかし、今回の和解案は、この2つが無くなり、業者が掘採着手後に遺骨を発見した際の手続き等を示しているにすぎない。

 知事は24日の記者会見で、「今回の合意案は措置命令の内容を概ね反映している」とコメントした。しかしその根拠は、「関係機関による遺骨の調査・収集の機会は確保されている」、「表土を剥離した範囲を緑色のシートで覆うことは、措置命令の『植栽等』による方法の一つである」、「ガジュマルの植栽を行う」、「これまでの公害等調整委員会の審理や進行協議を通して、実質的な事前協議が行われたものと認識している」等にすぎず、とても「措置命令の内容を概ね反映している」とはいえない。

 また、自然公園法に基づく措置命令では、業者が措置命令に違反した場合、知事は掘採の中止命令や原状回復を指示できる。従わない場合は罰則が課せられる。しかし、今回の和解案では、業者が和解条項に違反しても、県が是正を指示する法的根拠はなく、何のペナルティもない。

 しかし前述のように、和解案を遵守させる法的根拠や罰則がない以上、「合意案は措置命令の内容を概ね反映している」という知事の認識は基本的に誤っている。

 今回の和解の最も重要な問題点は、沖縄戦跡国定公園内の鉱山開発に対して、知事が自然公園法に基づき発出した措置命令がなかったことになることである。沖縄戦跡国定公園内の80ヵ所以上の鉱山、そしてこれから新たに始まる鉱山開発計画に対して、今後、知事が自然公園法に基づく措置命令を出すことは二度とできなくなってしまうことが危惧される。

 

⑵ 業者が掘採中に遺骨を発見しても、その報告の義務・罰則がない

 問題は、事前の遺骨確認、県との協議もないまま掘採が始まってしまうことである。南部地区の戦没者の遺骨は細かく砕かれているものが多く、重機による掘採中に見つけることはほぼ不可能である。

 またこの和解案では、遺骨が見つかった場合でもそれを県に報告するかどうかの判断は業者に任されている。遺骨が見つかったと県に報告すれば、2週間、その付近の工事が止まるのであるから、業者は県に遺骨発見の報告をするだろうか? 前述のように、何のペナルティもないのであるから、「気がつかなかった」として済まされることを防ぐ術はない。

 

⑶ 意味不明な和解案の内容 -- 何故、内容を確認することもなく、丸ごと受諾したのか?
 今回の和解案には、意味不明な点が多い。

 掘採は3つの工区に別けて行われる。和解案⑴は、「事業者による掘採工事は、『令和4年1月までに遺骨調査が行われた場所』、『盛り土の可能性がある場所』の順に行うものとし、『遺骨調査が必要と考えられる場所』の工事については、令和6年11月から12月にかけて行う」とされている。また、和解案⑹では、「令和6年1月以降、掘採を完了した部分に順次埋戻しを行うとともに、ガジュマルの植栽を行う」とされている。

 この合意案で業者と県が合意したとしても、業者による工事開始時期がまだ決まっていない段階で、何故、最後の工事箇所が「令和6年11月から12月に掘採を行う」と期間が定められているのか? また、「令和6年1月以降、埋戻しと植栽を行う」ともされている。これらの具体的な日時は、実際には変動するものであり、そもそも和解案の文面としてふさわしいものではない。

 さらに和解案⑵は、「工事の際に遺骨が発見されたときは、事業者はその周辺半径5mの範囲で、工事を2週間中止し、戦没者遺骨収集情報センター等による調査及び遺骨の収集を認める」とされている。しかし遺骨が見つかったにもかかわらず、調査・収集範囲が「半径5m」というのはあまり狭すぎる。また、「2週間」でセンターが遺骨の調査・収集をできるのか? 「遺骨の調査・収集を認める」ではなく、「遺骨の調査・収集を終えるまで工事を中止する」とすべきであった。

 県はこうした点について公害等調整委員会に確認する必要があったが、そうした確認もせずに丸ごと受諾したことは納得できない。

 

⑷ 「盛土がなされた場所は、遺骨が混入している可能性は低い」という認識の誤り

 知事は、「最初に工事に着手する全掘採予定地の約半分を占める斜面部分は、すでに遺骨収集情報センターによる遺骨の調査収集は終えた。2番目に着手する斜面下の平坦部分は、他の場所から持ち込まれた土砂により盛土がなされた区画であり、遺骨が混入している可能性は低い」と説明した。

 確かに斜面部分での遺骨調査は昨年8月に行われた。しかし、この斜面部分、その下の平坦部は、一昨年11月、開発業者が森林法を無視して重機による伐採・整地を行ってしまい(下写真参照)、表面を目視しただけでは遺骨の確認は難しくなってしまっている。

 

                                  沖縄ドローンプロジェクト撮影

 また県は、「斜面下の平坦部は、他の場所から持ち込まれた土砂により盛土がなされた場所であり、遺骨が混入している可能性は低い」という。

 他の場所から持ち込まれた土砂には遺骨が混入している可能性が低いとしても、盛土の下の戦争当時の地表面には、遺骨が残っている可能性が高い。盛土部分を除去して当時の地表面を露出させ、遺骨調査を行う必要がある。

 下の写真でも分かるように、熊野鉱山付近では斜面から平坦地部分にかけて、東西方向にドリーネ(石灰岩が浸食されてできた竪穴。沖縄ではアブと言われる)が連なっている。2つのシーガーアブもその位置にある。こうしたアブやガマ(壕)には戦争当時、住民・兵士たちが避難していた。こうしたアブには、戦没者の遺骨が残っている可能性が高い(本年3月の県議会でも、県は、「戦後、シーガーアブで70柱の遺骨が収集された」と説明している)。

⑸ 土砂搬出路の農地一時転用許可は3年以内であり、自然公園法の開発届も事業年度は3年以内に限られる

 熊野鉱山では鉱山掘採に伴う石材・土砂搬出ルートがないため、開発業者は現在、北側の農道に続く4筆の農地の一時転用を知事に申請している。

 この付近の農地は、農振法に基づく農用地区域に指定されており、一時転用許可は「3年以内」に限られる。

 熊野鉱山の開発届では、当初、事業期間は5年であった。農地一時転用申請も、「3年以上の一時転用は認められない」ということで、糸満市は業者の申請を受け付けなかった。そのため業者は、農地転用の申請書を、事業期間を3年に短縮した計画に差し替えざるを得なくなった。

 この一時転用申請は、現在、沖縄県で審査が行われている。「3年以内」というのは、掘採だけではなく、埋戻しや農地への復旧期間も全て含めた期間である。今回の和解案では事業終了期間が不明だが、全体の事業年度は3年を超えてしまうのではないかと思われる。県の説明では、今までの公害等調整委員会の審理でもこの点については全く検討されていないということだが、その点でも、今回の和解案は不十分なものであった。

 また今後、和解が成立して新に提出される自然公園法の開発届も、当然、「3年以内」でしか受理できないのは当然である。

 なお、開発業者は現在、重機や作業車両を、魂魄の塔前の沖縄県が管理する広場から「有川中将以下将兵自決の壕」に続く里道を通している。今後、掘採が始まれば、さらにダンプトラックや作業車両が頻繁に通行するだろう。しかし、この魂魄の塔前の広場は、米須霊域の参拝者の駐車等のためであり、鉱山のダンプトラックの作業車両の通行は認められない。県は、昨年、私たちの指摘により、この広場に「参拝者以外の使用禁止」の看板を立てた。業者が今後提出する開発届には、このルートを使用しないことを明記させる必要がある。

(付近の鉱山のダンプトラックの待機場になってしまった魂魄の塔前の広場(2021.2.27)。私たちの訴えにより、県は、参拝者以外の使用禁止の看板を出した。)

 

⑹ 糸満市を全く無視した和解受諾回答

 県は6月22日、「和解案受諾の回答をすれば、次回(7月29日)の公害等調整委員会で審理は終了する。開発業者は提出していた開発届を取下げ、改めて開発届を提出する。届が受理されてから30日を経過すれば工事に着手できる。従って業者は、最短で8月末には工事に着手できる」と説明した。

 しかし、自然公園法の開発届の窓口は、県ではなく糸満市である。熊野鉱山の現在の開発届も、2020年12月22日に糸満市に提出された。糸満市は、昨年1月22日、「採掘前に届出者に遺骨収集への配慮を促すべきである」、「届出地は風景の保護の必要性が高いため、自然公園法に基づく措置命令を検討すべきである」等の意見書を付けて、開発届を県に送付した。その後、県が受理したのは昨年の3月18日である。県はその後、糸満市の意見も配慮して措置命令を出した。

 このように開発届については、糸満市が申請の窓口になるのであり、糸満市は現在の開発届に対する意見も出していた。しかし今回、県は、和解案の受諾にあたって糸満市の意見を全く聞いていない。
 また、熊野鉱山の開発については自然公園法だけではなく、糸満市の風景づくり条例に基づく届出書、開発行為に関する指導要綱に基づく協議等の手続きも行われている。今回の和解案に基づき事業計画の内容が差し替えられるのであれば、当然、糸満市のこれらの条例、要綱の変更手続きが必要となる。糸満市抜きで、県だけで、工事着手に同意できるものではない。

 

⑺ 何故、和解案に応じる必要があったのか?

 県は6月22日、私たちに、「和解を拒否した場合、公害等調整委員会の裁決で県の措置命令が取り消される可能性が高いので、措置命令の内容を一部含む和解案を受け入れる」と説明した。

 しかし、開発業者はすでに6月21日、和解に応じている。和解が成立しない場合に措置命令が取り消されるというのであれば、開発業者は、今回の和解案を拒否したほうが得策であることは明らかである。開発業者が和解案を受諾したということは、裁決で県の措置命令が取り消される可能性がないと判断したからであり(若しくは、今回の和解内容は鉱山開発に何の支障にもならないと判断した)、県が和解に応じる必要はなかった。

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