昨日は、県庁で開催された、辺野古のアセスの沖縄県環境影響評価第4回審査会を傍聴した。
傍聴者は100名ほど。会場にはテレビカメラも多く、関心の高さがうかがわれる。
今回は、反対を表明している宜野座村松田区の区長さんら、沖縄リーフチェック研究会の安部会長、沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団の東恩納さん、真喜志さんら、ジュゴンネットワーク沖縄の棚原さんらが意見を述べた。
4者の意見 . . . 本文を読む
7月29日(木)の夜、名護で開催された辺野古環境アセス違法確認訴訟の学習会に参加してきました。
京都行動のMLに送った、原告募集の呼びかけ文を下記に転載します。
このブログをごらんになっている方も、PDFファイルから委任状をプリントして私に送っていただければ、原告になることができますよ。
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昨日は、辺野古に寄った後、夜、名護で開催された、「違法なアセス調 . . . 本文を読む
午後、辺野古へ。
昨日から来ていた韓国からのYさんと会う。京都で会っていたのはもう5年ほど前になるから、本当に久しぶりで懐かしい。
辺野古に来る前は、高江で1週間ほど座り込んでいたという。
(辺野古のテント前でのYさん)
夕刻、名護に出て、辺野古で新しく起こす環境アセスをやり直せという裁判の学習会に出席。(この裁判については、後述の予定)
終了後、Yさんと一緒に那覇に戻る。 . . . 本文を読む
午後、那覇地裁へ。高江の審尋にやっと参加できた。
裁判所前には、辺野古など沖縄のいつもの顔ぶれが50名ほど。今日も顔見知りが多く、やあやあと挨拶を交わす。
5日間かけて高江から100Kmほどの行程を歩いてきたメンバーらを大きな拍手で迎える。みんな真っ黒に焼けている。
子どもたちも夏休みに入ったからか、大勢来てくれた。指名されて恥ずかしそうに挨拶するのがかわいい。
今日で審 . . . 本文を読む
(読谷の慶良間諸島を望む丘に建てられた「恨の碑」。韓国の英陽にも、「韓国・恨の碑」が建てられている。)
戦争当時、沖縄には1万6千人を超える朝鮮人軍夫や「慰安婦」が連行され、そのうち1万4千500人が犠牲になったといわれています。
沖縄でも、こうした朝鮮人の問題はなかなか取り上げられてこなかったのですが、それでも、1997年には慶良間の渡嘉敷島にぺ・ポンギさんら朝鮮人「慰安婦」のための「 . . . 本文を読む
今日は沖縄市で、沖縄・生物多様性市民ネットワークの結成大会が開かれた。
来年、名古屋で開催されるCPO10(「生物多様性条約」第10回締結国会議)に向けた沖縄でのネットワークだが、沖縄では、「環境」「平和」「人権」がキーワードとなっているので、辺野古、高江、泡瀬、奥間川、ジュゴン保護キャンペーンセンター、普天間基地から爆音をなくす訴訟団等、それこそほとんどの沖縄の運動団体が集まった。
し . . . 本文を読む
朝、那覇の国道58号線を歩いていると、今日、沖縄高速道が、不発弾処理のために通行止という表示が出ていた。
家に戻って昨日の新聞を見ると、南風原の3ケ所で米軍の不発弾が見つかり、今日、周辺の交通を止めて不発弾処理をするという記事があった。
沖縄では、今なお、約2300トンもの不発弾が埋まっていると推定され、完全処理まで、今後、80年ほどもかかるという。戦後、なんと710人もの人が、不 . . . 本文を読む
今日、また、沖縄にやってきました。
今回は、8月のお盆明けまでいる予定です。
ところが、お婆ちゃんが今日から入院。我々の夏の予定も、大幅に変更です。
今日の日食、那覇では、92%も欠けたようですが、私が着いたのは夕刻。残念ながら、飛行機からも何も見えませんでした。登久子の話では、那覇の町はかなり暗くなったそうです。
ともかく、またこれから沖縄での様子を更新していきますので、ぜひ、ご . . . 本文を読む
今日もジリジリと暑い。早いもので、もう今回の沖縄滞在の最終日だ。 午前中、車で本島南部、荒崎海岸に向かった。一度は訪ねたいを思っていたが、行き方も分からなかったので、なかなか来られなかったところだ。今日も行きつけるかどうか分からないが。 1945年6月18日、南風原の陸軍病院から南部へ撤退し伊原周辺の壕にいたひめゆり学徒隊に解散命令が出された。翌日、第3外科壕にガス弾が打ち込まれ、壕内は地獄と化 . . . 本文を読む